【Rolling Stone誌2020年12月】ミュージシャン対談バリー・ギブ&ジェイソン・イズベル(その2)

(その1)をアップしてから(その2)までアッという間に2週間が過ぎてしまいましたが、ロング対談の後半(その2)です。

イズベル:ループとかサンプリングとかで、今は一般的になったプロダクションの手法にビー・ジーズがどのぐらい貢献したか、みんなわかってないんじゃないかな。ぼくが知っているかぎり、ループを最初に取り入れたのは『サタデー・ナイト・フィーバー』のサントラですよね。

バリー: 「モア・ザン・ア・ウーマン」は「ステイン・アライヴ」と同じドラムループを使っているんですよ。「ウーマン・イン・ラヴ」も同じドラムループ。いくつかのレコードで使いましたが、あれって正確さに対する強迫観念みたいなものかもしれません。グルーヴがきっちりしてないと、ってね。

イズベル: あなたたちがやるまでは存在もしなかったドラムループから、いろいろなレコードやキャリアが生まれたんですよね。

バリー: こういうのやったことがあるかどうかわからないけど、たとえば曲をレコーディングするときに、最後の最後でスピードをあげるとかってやったことないですか? ぼくたちは、それをいっぱいやったんです。

イズベル: そういうレコーディング上のワザみたいなものが今もあればなあと思います。例えば、ローリング・ストーンズは何枚かのアルバムでわざとリードボーカルを聞こえにくくして、ミックが何と歌っているか知りたくて人がソングブックを買うようにしたって読んだことがあります。

バリー: ビートルズが与えてくれたような創意が今もあるといいなあと思いますね。なんでも好きなテーマを取り上げて歌に仕上げちゃうっていう考え方とか。恋愛だけをテーマにする必要がなかった。ビートルズにはいろいろと考えさせられたし、彼らは信じられないぐらいクリエーティヴでした…だからいろんなことが始まったんですよね。ビートルズが10年しか持たなかったのには驚きません。なんせ、『イエロー・サブマリン』ですもんね。あんなもん、どこから思いついたんでしょう、しかもどうやってあんなに成功させたんだか?

イズベル: 今もウケてますよ。ぼくがあれを聴いてると、5歳の娘がぼくと同じぐらい夢中になって聴いてる。

バリー: さっぱりもわからなかったけど、とにかく素晴らしいと言わざるを得ない。あんなグループは二度とありえない。

イズベル:あなたのギターのプレイスタイルについて訊きたかったんです。一緒にスタジオ入りするまではちょっとしか知らなかったので。ちょっとリッチー・ヘイワードに似てるかなと思ったんです。リッチー・ヘイワードのこと、覚えていますか?

バリー:  うちに来て一晩じゅう演奏してたことがあります。1968年だったかな。

イズベル:  あなたのギタープレイが彼のスタイルを思わせたか、彼の演奏が彼を思わせたか、そんな感じです。

バリー:ゆったりしたサウンドですよね。

イズベル:いろいろありますよね。たとえばジョニ・ミッチェルは自己流のチューニングをいろいろと編み出していた。スティーヴン・スティルスもそうですね。ぼくの友人のデイヴィッド・クロスビーはいつもそういうことをしていて、いまだに新しいチューニングを編み出しています。

バリー:  みんな好きな人ばかりです。ぼくたちが(1976年の)『チルドレン・オブ・ザ・ワールド』のボーカルをやっていた時にみんなスタジオに一緒にいたんですよ。スタジオの壁ぎわに座っていた。当時は「ここは立ち入り禁止です」とかなかったですからね。みんなお互いに行き来していました。スタジオが6つ入っているビルにいると、隣にはレナード・スキナードがいて、ビルのあっち側にはイーグルスがいて、みんな自分たちのレコードを作っていたけれど、制約が何もなかった。他のスタジオに入っていって、座って聴いててよかったんです。今はもうそんなことできなくなりましたね。

おふたりとも『サタデー・ナイト・フィーバー』、それに『アリー/スター誕生』と、それぞれに大ヒット映画のサウンドトラックを成功させていますね。どんな体験だったのでしょう?

イズベル:  あの時もデイヴ・コッブのおかげで、貴重な体験ができたんです。コッブがマーク・ロンソン、レディー・ガガ、それにルーカス・ネルソンと仕事をしていて、その映画の音楽の仕事をしていたんです。それでデイヴがぼくに、「このキャラのために曲を書いてほしい。ヒットが必要なんだ」というんです。で、キャラの説明をしてくれたんですが、ストライサンドとクリストファーソンがやった映画とはキャラが違うんですね。もっとフォーク歌手って感じなんです。

そこでちょっと前からとりかかっていた曲に少し手を入れました。映画の中ではブラッドリー・クーパーが歌ったんですが、ぼくはそれが心配で。それまで誰もブラッドリーが歌うのを聞いた人がいなかったもんだから。ブラッドリーがレコーディングしてぼくに送ってくれたんですが、そのとき、ぼくはちょうど飛行機に乗るところだったんです。「今は聴きたくないな。できがひどかったら、映画の監督と主演をしているブラッドリー・クーパーに電話して、『いやあ、悪いけど、これじゃあ駄目だよ』といわなきゃいけないけど、そんな役回りをしたくない」って思ったんです。

で、飛行機に搭乗して、4時間ぐらい電話を返さなかった。アメリカを横断した後で電話したんですね。ブラッドリーは努力してました。ボーカル・レッスンも受けていた。素晴らしく歌えていた。映画が公開された後で、初めて、ブラッドリーはあのときが一番不安だったのだ、と知りました。記者会見か何かで誰かが「映画の製作中でいちばん大変だったのは?』と質問したら、ブラッドリーが「曲をレコーディングしてジェイソンに送ったら、4時間ぐらいまったく返事がなかった。そのあいだずっと脂汗を流してました」って答えたんですよ。

バリー:素晴らしい映画で素晴らしい曲でしたね。ご自分を誇ってください。

イズベル:いやあ、ありがとうございます。

バリー:  ぼくたちの場合は、パリを外れたエルヴィーユっていうところであの辺の曲を書いたんです。税務の関係で税金がかからないようにするために、会社がその場所を指定してきたわけ。で、ぼくたちはパリを外れたシャトーにいたんです。エルトン・ジョンのアルバム『ホンキー・シャトー』と同じ場所です。信じられない話だけど、昔は娼館だったとか。ひどく、さびれた建物でした。すごいスタジオだったんですが、そのスタジオも、さびれてましたねえ。だからレコード作りの環境としては最悪のところにいたんです。それからバンドのドラマーの親御さんの容体が悪くなって、ドラマーもいなくなった。そこでドラムスみたいな音が欲しいということになったわけです。「恋のナイト・フィーヴァー」「モア・ザン・ア・ウーマン」「ステイン・アライヴ」「アイ・キャント・ハヴ・ユー」…みんなあのシャトーの階段の暗闇の中で書いたんです。「アイ・キャント・ハヴ・ユー」は実はぼくたちというよりアバ風です。アバの曲を書きたかったんです。

そうやって曲を書いたんですが、映画の脚本は読んでなかった。誰もあんなことになるとは予想してませんでしたね。特にロバート(スティグウッド)はね。だからあの時は全員がショックだったと思います。1週間に100万枚ですからねえ。

イズベル:  ひえ~。『スリラー』以前に史上最大の売り上げをあげたレコードだったんですよね。

バリー: サウンドトラックとしてはね。でも結局どのぐらい売れたのかは知りません。曲の版権の取り方とか知らなかったんです。だからとにかく、「音楽を作り続けよう」と、それだけでした。あ~あ、今もそんな風だったらいいのに。

イズベル: ぼくもそうだったらなあと思います。今はいろんなあれこれの知識を要求されるものなあ。

バリー: 今は演奏するステージがない時代になりましたね。

イズベル: コロナ禍に見舞われてからは何をしてましたか?

バリー:Netflixを観てました。『ダウン・フロム・ザ・マウンテン』はいつも観てます。繰り返し繰り返し観てます。公共放送サービスの番組はいいですよね。50年代とか、いろんな時代を取り上げてて。

イズベル: ぼくも同じです。一日座ってギターを弾いてたり。いざとなったら、マーシャル(アンプ)を庭に引っ張っていって、近所に向けて演奏しますよ。そうなりかねない状態です。もうすぐ、やっちゃいそう。

バリー:ぼくは演奏するのは自分に向けてだな。自分で気に入ると自分で拍手するの。

イズベル:そもそもなぜ音楽を始めたのか、その理由を思い出させられますね。

バリー:ぼくたちが最初に人前でやったコンサートってレース場でだったって知ってました? レースの合間にサーキットの真ん中で歌わせてくれって頼み込んだんです。トラックの荷台にマイクを積んでね。みんなが小銭を投げてくれるんですよ。あれがぼくたちにとっての最初の観客でした。

イズベル:僕が育ったアラバマでもそういうことがありそうな気がします。

バリー:いったん成功するとライバル関係が生じますからね。グループはそれが大変だと思う。家族なら、続けることもできる。家族でなければ、すぐにバラバラになってしまう。

イズベル:それは確かに目にしてきました。ソングライターが3人いて、歌い手が3人いるバンドに長い間在籍していましたが、大変でした。以来、「ああしろ、こうしろ」と言われているときと自分で決めているときだけが一番うまくやれてる気がします。その中間だと駄目なんです。

バリー:ぼくはいつも誰かを喜ばせるために曲を書いたりレコーディングしたりしてきましたが、君の場合はどうなのかな。ぼくは自分のために曲を書くということはめったにありません。

イズベル:それはみんなそうなんじゃないでしょうか。自分が生きてきた上で大切な何人かの人を合わせたような存在に対して、とかね。ぼくは曲を作ると最初に妻に見せます。詩に関しては修士を持っていて、彼女自身、優れたソングライターなんです。だからちょっとこわい。これはかなりできたな、と思うまでは何も見せません。助かるのは確かです。「ここはもっと考えたら? これって決まり文句じゃない。これは韻があってないわね」とか言ってくれる。つらいことは、つらいです。ぼくの方も反論します。アホみたいな歌詞でも、必死に弁護しますね。でもやっぱり助かる。

バリー: ぼくも同じだ。部屋にひとりでいるとリンダが通りかかって、「ここは、もっと何とかしたら」とかなんとか、ひょこっと言うんです。

イズベル:あなたのそういうところが素晴らしいなあと思います。あなたは人間として善き存在であろうとしていますよね。家族とも仲が良くて、そんなに才能があるのにそれを言い訳にして変なことをしたりしない。それがいいなあと思います。

バリー:徐々に身につくものなんですよ。常に足を大地につけておく。何度か失敗を経験すると、失敗は常に身近にあるのだと身にしみます。成功するってスポンジの上を歩くようなものだ。沈んじゃうんです。永遠に続くものなんかない。どんな仕事でも、誰であっても、それは関係ない。だから、いずれは、ただテレビを観たり、読書したりしていていいような時が来るんだぞ、と自分に言っておく。でも今のぼくはまたステージに立ちたいという気持ちになっていますね。

イズベル:いつか、ライヴであの歌を一緒に歌いたいですね。

バリー:それはいいですねえ。

ほんと、それこそ「いいですねえ」と言いたいですね。ジェイソン・イズベルはおそらく対談に先立って、新作ドキュメンタリー『How Can You Mend A Broken Heart』を観たのでしょう。彼のコメントの内容からそう思わせられます。

今年の更新はこれで最後となります。12月には映画の公開・放映・発売、1月発売のニューアルバムのプロモーションもあって、バリーは英米の多数のメディアに登場してくれましたので、更新が追いつかず、年をまたいで来年に12月のバリーのインタビュー記事などをご紹介していきたいと思います。

2020年もあと数時間。Bee Gees Daysは今年は念願の引っ越しをすませることができましたが、まだまだ細かな作業がすんでおらず、ご迷惑をおかけしています。気長におつきあいくだされば嬉しいです。

今年も読んでくださってありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えください。

{Bee Gees Days}

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