【The Sun紙2021年1月】バリー・ギブ『ようやくもう一度、自分たちの歌を楽しめるようになった』

70年代後半のビー・ジーズ 画像はThe Sun紙の記事より

バリー・ギブが『グリーンフィールズ』や子ども時代の思い出について語った独占ロング・インタビューがイギリスの大衆紙ザ・サン(The Sun)(オンライン版2021年1月14日付)に掲載されましたので、以下にざっとまとめてご紹介します。

ようやくもう一度ビー・ジーズの曲を楽しめるようになりました」 

 

ビー・ジーズのはじまり

バリー・ギブは弟のモーリスとロビンと一緒に初めてテレビに出たときのことを覚えている。彼は13歳、ふたごの弟たちはほんの10歳だった。当時、彼らは両親(ヒューとバーバラ)とオーストラリアのブリスベーン郊外に住んでおり、兄弟バンドの見事なハーモニーが地元のテレビ局の目に留まったのだ。

モーリスとロビンは小さすぎてぼくと同じ画面に入りきれなかったので、茶箱を探して、その上にふたりを立たせてくれたんです」

まだ幼かった彼ら兄弟は、こうして名声へと一歩を踏み出したわけだが、そのときからすでにビー・ジーズとして音楽に生きることを運命づけられていたのだった。
「ハーモニーをつけて歌うようになってからは、ただ前進あるのみでした。自分たちでもうまく歌えている自覚があったんです」

もちろん、その後ビー・ジーズはポップの究極のサクセスストーリーとなり、チャートの独占に関してエルヴィス・プレスリーやザ・ビートルズと並び称されるようにもなった。

80年代にはディスコに対する反動の犠牲者となった彼らだが、時代を代表する存在であったことは2017年のグラストンベリーでバリーが【レジェンド】枠に登場し、詰めかけた13万人のファンが、どの曲もひとつ残らず歌詞を知っていて唱和していたことでもわかる。

 

「非現実的だった‘叙勲’体験」

「ステージに出ていった瞬間から、愛情がいっぱい、みたいな体験でした」とバリー。「観客が、ぼくに、そして弟たちに対して愛情を示してくれました」

「愛はきらめきの中に」のようなラヴバラードからダンスフロアを人で埋めた「ステイン・アライヴ」まで、ビー・ジーズのヒットは誰もの心に刻まれている。2018年には、国宝のような存在として、チャールズ皇太子からナイトの位を授与され、ポール・マッカートニー、エルトン・ジョン、ミック・ジャガー、ロッド・スチュワート等に仲間入りした。

「とても非現実的で、緊張する体験でした」とバリーは言う。「敬愛するチャールズ皇太子と話していても、何ひとつ言うことを思いつけませんでした。口を開いたけど、言葉が出てこなくて…。跪いて、その後立ち上がることになっていたのを失念してしまったので、皇太子が『もう立っていいですよ』とおっしゃったときにも、膝が痛くてたまらなかったんです。『殿下、立てないかもしれません』と申し上げたら、皇太子殿下は『だんだん大変になりますよね』とおっしゃいました」

 

『グリーンフィールズ』が癒してくれた

ビー・ジーズの全盛期には、長い髪をなびかせ、いつも日焼けしていて、真っ白な歯ときれいに整えられた口ひげ、無類のファルセットで、スーパースターのイメージそのものだったバリーだが、この9年ほどはグループ最後のひとりとして生きている。

(ビー・ジーズの曲のタイトルを引用すれば)「ロンリー・デイ」を生きる長兄の姿は悲しい。弟たちはすでに亡く、ビー・ジーズのアイコニックな音楽を担い続ける責任は彼ひとりの肩にかかっている。

モーリスは腸ねん転に誘発された心停止でわずか53歳で亡くなり、ロビンは2012年に長いガン闘病の末に他界した。ギブ家の人たちは、ソロとして活躍したアンディを1988年にあまりにも若く亡くしてもいる。アンディは30歳の誕生日の数日後に世を去った。

こうした辛い思いに長年苦しんだ末に、いまバリーはようやくミュージック・シティ(音楽の街)としても知られるナッシュヴィルでレコーディングしたデュエット・アルバムによって、ビー・ジーズの偉大なレガシーを祝うことができるようになった。喜びに満ちた頂点の体験、それに打ちのめされたどん底の体験、その両方をバリーはこんな風に表現する。「過去は予想を超えている。でも現在は楽しくできるかもしれない」

ドリー・パートン、キース・アーバン、親しい友人のオリヴィア・ニュートン・ジョンなど、きら星のようなキャストを得て、美しく仕上げられた『グリーンフィールズ:ザ・ギブ・ブラザーズ・ソングブック Vol. 1』を、バリーは創り上げた。Vol.1を皮切りにして三部作として構想されている。

「獄中の手紙」「ワーズ」「ラヴ・サムバディ」等の曲をカントリー・ポップ風に作り直しただけでなく、今回のアルバムには、これまであまり知られていなかった「ワーズ・オブ・ア・フール」のような曲や美しい初期の作品「バタフライ」も取り上げられている。

このアルバムは、ビー・ジーズのカタログが時間のテストに耐える魅力を持つことの証である。同時に、バリーが長年カントリー・ミュージックを愛してきたこともわかる。バリーがこれを「やりたくてやった仕事」というわけだ。

アルバムが全英チャートを制覇しそうなタイミング(訳注 発売第一週)で、結婚50周年を過ぎたリンダ夫人とともにロックダウン状態になっているマイアミの自宅から、喜びに満ちたバリーが取材に応えてくれた。

「天にも昇る心地です」とバリーは昔ながらの魅力の片りんを見せて言う。「そうなりますように、って祈ってます」

「もしナンバーワンになったら、(全英1位のアルバムは)40年以上ぶりだなあ」 これは「失われた愛の世界」や「哀愁のトラジディ」などのヒットが入った1979年のビー・ジーズのアルバム『Spirits Having Flown』のことだ。

12曲を収めた(訳注 日本盤はボーナストラック2曲が入っているので14曲入りです)『グリーンフィールズ』は「大いなる癒し」になったそうだ。

「パンデミックの前に1ヵ月で全部やってしまった。これまでの人生でももっとも信じられないような体験のひとつ…というか、一番信じられないような体験かな」

「ぼくにとって癒しになったのは、またああいう曲を楽しんで、他の人たちにも歌ってもらえるようになったことです。

ロビンの死後、1年、2年ほど、自分を持て余し、独りでやっていけるかどうかわからない時期がありました。すると妻がやって来て、『しゃんと立って、あなたにできることをしなくちゃ』って言ったんです」

こうしてタイミングよく愛妻が背中を押してくれたことで、バリーはステージ活動に復帰し、ロック色の強い2016年のアルバム『イン・ザ・ナウ』を心をこめて創り上げた。

「それでも、あいかわらず、弟たちを失って途方にくれていました。オーストラリアには姉(レズリー)がいて8人の子持ちですから、ぼくたちは生きることを諦めてはいませんが」

バリー自身も、5人の子どもと8人の孫を持ち、フロリダに住む自らの大家族に大いに慰められている。そんなバリーは、ミス・エジンバラだった愛妻の名前を特別な感慨を込めて口にする。

「リンダがぼくを支えてくれた。素晴らしい女性です。リンダがみんなを見ていてくれる。だから、とても特別な存在なのです」

 

「弟たちのためにやっています」

それでも一緒にビー・ジーズとして活動していた弟たちの存在が彼の心を離れることはない。若いころは仲良くやっていたが、スーパースターであることのストレスから生じた問題もあるという。

「突然、誰もがメインの存在になりたがるようになった。どのグループでもそうでしょうね。ポップ・グループも不自然なものですが、それ以上に不自然なものといえば、ただひとつ、家族でポップ・グループをやっていることです。もちろん、いつもいつも仲が良かったわけじゃない。兄弟ですからね」

ロビンとモーリスは今回のプロジェクトをどう思ったでしょう? 思いきってそう聞いてみると、「気に入ってくれたと思います」というのがバリーの答えだった。

このプロジェクトは弟たちのためにやっています。でもおかげでスピリチュアルな喜びも得ることができています」

弟たちの中でも、とりわけ、ひとりが『グリーンフィールズ』の成功を喜んだだろうという。

「ロビンは、どんなチャートであれ、とにかくヒットを出すのが好きでした。引き出しにチャートをいっぱい集めていましたよ。

でも居間に集まったりして、みんなとわいわい歌うのは嫌いでした。ステージでしか歌わない。モーリスはぼくと同じでした。みんなで集まって歌うことがあるとふたりでエヴァリー・ブラザーズになりました。

ロブがああいうのをあまり楽しまなかったのは残念ですが、それはそれです」

 

“光栄”だったレコーディング・セッション

エヴァリーズの話が出たのには意味がある。ロックンロールとカントリーを見事にミックスしたドンとフィル(訳注 エヴァリー・ブラザーズはドンとフィルのエヴァリー兄弟のユニット)の曲(「Bye Bye Love」「Wake Up Little Susie」「Cathy’s Clown」)は50年代後半から60年代初頭にかけて若きギブ兄弟に大きな影響を及ぼしたからだ。

だからこそ現存する最後のメンバーとなったバリーが、自らの不滅の歌の数々をナッシュヴィル・スタイルで再録することにしたわけである。

だが、このプロジェクトが実際に具体化し始めたのは、バリーのバックバンドでリード・ギタリストを務める長男のスティーヴが、カントリー界でいま大人気のクリス・ステイプルトンの曲をバリーに聞かせたのがきっかけだった。

「もう、びっくりしてしまって、『ぼくもこういうレコードを作りたい』って言ったんです」とバリー。

バリーは、ステイプルトンの生でリアルなサウンドと恋と酒をテーマにした曲に驚嘆し、テネシーの州都に出向いて、髭面の歌い手ステイプルトンのプロデューサーであるデイヴ・コブと連絡を取った。

実はコブはミュージック・ロウにあるかつてのRCAのスタジオAを運営していた。スタジオAは、エルヴィス、エヴァリーズ、ロイ・オービソンたちがレコーディングをした伝説のスタジオBの隣にある。

「聖なる場所ですよ」とバリーは言う。その場所で『グリーンフィールズ』のセッションができたのは「とても光栄」だ、と。

「デイヴがアーティストたちの予定を組んでくれたのですが、全員が ‘Yes’ と言ってくれたのには驚嘆しました。誰一人、スター風を吹かせる人間はいなかった」

今やカラオケの人気曲となっているケニー・ロジャースとのデュエット「アイランズ・イン・ザ・ストリーム」をビー・ジーズが書き、プロデュースして約36年、再びドリー・パートンと仕事ができたのは特に嬉しかったそうだ。

「ドリーはぼくと一緒に‘ワーズ’をやりたいと言ってくれたんですが、彼女、おっかしくって。‘アイランズ・イン・ザ・ストリーム’ 以来会っていませんでしたが、まるで昨日のことみたいでした。

ふたりとも、少し年を重ねて、賢くもなり、以前ほど世間知らずではありませんでしたが、彼女はいつもいつも、すごく楽しい人なんです。

じっと聴いていると、ドリーはすごく音をひねるんです。で、『これ、アパラチア方式なのよね~』って言うんですよ。で、ぼくは、『よーし、一緒にハーモニーを歌うけど、真似はしないぞ!』って思いました」

ギブ兄弟同様にブリスベーン郊外で育ったオーストラリア人のキース・アーバンは、「獄中の手紙」のレコーディングにニコール・キッドマン夫人を伴って現れたので、バリーはスター女優に会えて感激したそうだ。

「何か言おうとしても、『ビッグ・リトル・アイズ』しか出てこないんですよね」というバリーは、リース・ウィザースプーンとキッドマンが共演しているHBOの人気ドラマのファンだそうだ。

「実は、ニコールが出ているものなら、みんな好きです。ニコールはぼくのお気に入りの女優なんです」

アルバム全体に、オーストラリア勢が貢献しているが、この流れをさらに際立たせたのが、「レスト・ユア・ラヴ・オン・ミー」をきっちりと歌っているオリヴィア・ニュートン・ジョンの存在だ。彼女はこの曲をアンディ・ギブと歌った経験を持っている。

「オリヴィアとはお互いに16歳ぐらいのころから知っています。ロンドンで再会した場所が、なんとカーナビ―・ストリートでした」

最近は健康問題が心配されるオリヴィアだが、歌の方は「即オーケー」の出来だったとバリーは嬉しそうに話してくれた。

「前に、アンディとも歌っていますからね。素晴らしいことです。ふたりでノスタルジックになってしまいました」

「オリヴィアはとても前向きで、きっと病気を克服すると思います。彼女のタフさは素晴らしい」と、映画『グリース』のタイトルソングを書いたバリーは言う。

「ワーズ・オブ・ア・フール」に挑戦したジェイソン・イズベルも素晴らしかったそうだ。「大感激でした」とバリー。そしてブルーグラスの女王アリソン・クラウス(「失われた愛の世界」)は、「とってもシャイなやさしい人で、素晴らしい歌手で、驚くべきフィドル奏者」だったという。

ビー・ジーズのディスコ時代の曲「ジャイヴ・トーキン」は、ミランダ・ランバートとライヴァル・サンズのボーカリストであるジェイ・ブキャナンをフィーチャーして、南部のソウル風のグルーヴがある。

これは、「かなりニューロティックだったぼくたちのバージョンよりも、ずっとクールでレイドバックなサウンド」のルーファスとチャカ・カーンのバージョンから想を得たものだそうだ。

ブキャナンは「ラヴ・サムバディ」も熱唱している。もともとはバリーとロビンがオーティス・レディングのために書いた曲だが、「彼は亡くなってしまったのでレコーディングが実現しなかった」そうだ。

ラストの曲「バタフライ」は、ビー・ジーズのオーストラリア時代に書かれた。カントリー・フォークのカップル、ギリアン・ウェルチとデイヴ・ローリングズをフィーチャーしている。バリーは『オー・ブラザー!』のサントラで、このふたりに注目したのだそうだ。

「みんながナッシュヴィル入りしたと聞いたときには、ぼくはレストランに走っていって、「アイ・ラヴ・ユー!」と叫ぶしかなかった」とバリー。

 

子ども時代の思い出

「いつも歩き回った緑の野」という「バタフライ」の冒頭の一行は、アルバムのタイトルともなっている。これはバリー、モーリス、ロビンが生れ育ったマン島での子ども時代の遊び場と、その後に引っ越したマンチェスターの緑豊かな郊外から生まれたイメージだ。

「マン島の美しい野原や川の流れ、山並みを覚えています。5歳だったぼくは、歩いて学校へ通っていました。

スプリング・バレーという場所があって、よく遊びに行っていました。誰にも奪うことのできない大切な思い出です」

「それからぼくたちはチョールトン・カム・ハーディ、ウェストディズベリー、ストレットフォードのような土地に住みました…素晴らしかった。トミー・スティールやロニー・ドネガンが活躍していた時代です。

映画館の近くにアイスクリーム・パーラーがあって、ぼくたちはそこで歌って歌って1シリングを稼いだんです。

ぼくは9歳ぐらい、モーリスとロビンは6歳だったはずです」

歌われている”緑の野”というのは、オーストラリア時代の思い出の場所だろうとも言われていましたが、さらにさかのぼって、マン島とマンチェスター郊外での子ども時代の思い出の場所を歌った曲であるとのこと。つまり、この『グリーンフィールズ』は、本当に兄弟の軌跡の、その始まりを歌ったアルバムであるということになります。

もうひとつ、このインタビューでわかったこと。なんと!このアルバムが「Vol. 1」と銘打たれているのはそもそも三部作として構想されたものだったから、というではありませんか。(四部作でも、五部作でもいいんですけどね…) さて、続く二作の歌い手は、曲は、すでに構想されているのでしょうか?

{Bee Gees Days}

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