【追悼】ティナ・ターナー
ティナ・ターナーを惜しんで、映画『サージャント・ペッパー』やビー・ジーズが書いた曲「I Will Be There」など、この不滅&不屈の歌姫とビー・ジーズのかかわりを追想いたします。
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ティナ・ターナーを惜しんで、映画『サージャント・ペッパー』やビー・ジーズが書いた曲「I Will Be There」など、この不滅&不屈の歌姫とビー・ジーズのかかわりを追想いたします。
エルヴィス・プレスリーが亡くなった週に全米No.1だったのは、ビー・ジーズの末っ子アンディ・ギブの「恋のときめき」でした。名コラムニストがこのいわくつきの曲を忖度なしに検証します。
ロビン・ギブ(1949.12.22 -2012.5.20 (日本時間5.21朝)
「年に一度の記念日じゃない。毎日が君を思う記念日だ」(ロビン・ギブがモーリス・ギブに寄せた言葉)
1968年、第一期黄金時代にあったバリー・ギブが語った「ビー・ジーズのライフ・ストーリー」。1949年のクリスマス、弟か妹が生まれるのを楽しみにしていた兄バリーに、突如ふたごの弟ができたところから…。
イギリスの雑誌Fabulous 208の表紙に登場した『小さな恋のメロディ』のメロディちゃんことトレーシー・ハイドは5月16日がお誕生日。今もあのころと変わらぬ愛らしさです~。
帰英後、ビー・ジーズが誇ったすさまじい人気を裏付けるように、バリー・ギブが表紙を飾っている英国のティーン雑誌Fabulous 208の68年5月4日号をご紹介します。
1972 年3月、ビー・ジーズ初来日を前に朝日新聞のコラムに登場した映画『小さな恋のメロディ』のサウンドトラック・アルバムの紹介記事です。
5人組ビー・ジーズのギタリストだったヴィンス・メローニーが1977年にバリーと共作した未発表曲「Let It Ride」が初めて日の目を見ることに!オリジナルよりもハードな「オアシスにニール・ヤング・アンド・クレイジー・ホースを足したような」サウンドだとか。米時間12日にBandcampからデジタル発売されます。
”ビージーズがザ・ビートルズを歌っていた”オーストラリア時代の曲を集めて1972年に日本発売された2枚組アルバム『ノスタルジア』の紹介記事(当時)をご紹介します。