【2019年11月】全米1位(77年8月)アンディ・ギブ「恋のときめき」を検証する
エルヴィス・プレスリーが亡くなった週に全米No.1だったのは、ビー・ジーズの末っ子アンディ・ギブの「恋のときめき」でした。名コラムニストがこのいわくつきの曲を忖度なしに検証します。
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エルヴィス・プレスリーが亡くなった週に全米No.1だったのは、ビー・ジーズの末っ子アンディ・ギブの「恋のときめき」でした。名コラムニストがこのいわくつきの曲を忖度なしに検証します。
”ビージーズがザ・ビートルズを歌っていた”オーストラリア時代の曲を集めて1972年に日本発売された2枚組アルバム『ノスタルジア』の紹介記事(当時)をご紹介します。
フィーバーの前夜、ローリング・ストーン誌に掲載された『ビー・ジーズ グレイテスト・ライヴ』のアルバム・レビューをご紹介します。
”あの素晴らしいステージが再現された感動の一枚“——1977年7月発売のビー・ジーズ初のライヴ・アルバム『グレイテスト・ライヴ』のミュージック・ライフ誌(77年9月号)レビュー。
「迫力に満ちたライブ盤の傑作」。ザ・ミュージック誌1977年9月号に掲載された『ビー・ジーズ グレイテスト・ライヴ』のアルバム・レビュー。
1976 年の『チルドレン・オブ・ザ・ワールド』ツアーNY公演を巡る狂奔を英国から取材に行った記者が書いた取材記です。ビー・ジーズ本人は登場させずに、彼らを取り巻く状況をうまくとらえているところはさすが! ”フィーバー”はすぐそこに迫っていました。
変化し、進歩し続けるビー・ジーズにとって”ディスコ”は通過点のはずだったのに…。フィーバー前夜、1976年12月のL.A.公演レビューが総括する「ビー・ジーズの昨日・今日・明日」は今読むと心に刺さります。
映画『サタデー・ナイト・フィーバー』を代表する踊りの場面で使われた「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」は映画製作より1年も前にすでに全米1位の座に輝いていました。多幸感、果敢なビート等この”直球のディスコ曲”の魅力を鋭く分析します。
全米1位の曲を代々紹介する(忖度なしに切りまくる)という力作コラムThe Number Onesにビー・ジーズの「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」(79年6月全米1位)が取り上げられました。結果的に彼ら最後の全米1位となった❝軽い❞曲の裏に働いている意外な計算とは…。
ディスコ時代を象徴するだけでなく、文化遺産として輝き続ける名曲「ステイン・アライヴ」を検証。
・ビー・ジーズ本来の持つ暗さ。
・ワザの限りを尽くしたポップス・ヒットとしての完成度の高さ。