【2024年4月】英ラジオが選んだビー・ジーズ名ヒット曲ベスト20【前篇】

60~80年代のポップスの名曲を専門とする英国のラジオ局Gold Radioが2024年4月(6月更新)に選んだ”ビー・ジーズの名ヒット曲ベスト20”を前・後編に分けてご紹介します。まずは20~11位までの前編から。

こういうベストなんとかという記事は最近あちこちから出ているのですが、どれも以前に紹介したガーディアン紙の「ベスト40」(前編後編)には遠く及ばず、ベスト盤だけ聞いて選んだんじゃないかと思いたくもなる幅の狭い選曲や、AIを使って書いたんじゃないかと思いたくもなる中身のない解説をつらねたものがほとんどです。その中で、これはさすが名曲専門ラジオ局だけあって、「ヒット曲」から選んだという制約の中では選者の個性があらわれた選曲となっており、解説もかなり的をついていて面白いので、例によって数ヵ月遅れですがご紹介することにいたします。(そうなんです。ガーディアン紙の方は「名曲ベスト40」なのですが、こちらは「名ヒット曲ベスト20」なので、おのずとシングルとして発表された曲から選んだことになっています)

なかなか鋭い筆致の書き手(選者?)はフリーのジャーナリストThomas Curtis-Horsfall氏。

「ビー・ジーズであるというのは3人でひとりの人間であるということです」ふたごの弟ロビンとモーリスと一緒に活動していた彼のグループ、ビー・ジーズについて、バリー・ギブはこう語っている。

同時に彼はこうも語っている。「そんなの無理なんですけどね。だから、ぼくたち三人とも自分は何者かということについて問題を抱えていました」けれどもこの三人組のパワーの秘密はまさにそこにあった。三人が兄弟だった、というその点に。

ヴォーカル面だけでなく、ソングライティングの才能という点でも、ビー・ジーズほど創造面で大きな共通点を持っていたアーティストは稀である。

初期のフォーク・ポップにはじまって、ディスコ時代の圧倒的な活躍、後年のソウルフルなソフト・ロックにいたるまで、ビージーズはさまざまな変遷を経て、常にチャートで存在感をはなち続けた。

彼らは史上最も売れたグループのひとつで、1億2千万枚以上のレコードを売り上げたといわれ、ポピュラー音楽史上最も成功したトリオである。

1997年にロックの殿堂入りを果たした後、「ビー・ジーズの売上を上回ったのは、エルヴィス・プレスリー、ビートルズ、マイケル・ジャクソン、ガース・ブルックス、ポール・マッカートニーだけ」とも言われている。まったく、ギブ兄弟というのはすごいグループだったと言わざるを得ない。

ここでは、彼らのバック・カタログの驚異的な幅広さを示すために、ビー・ジーズの名ヒット曲ベスト20のランキングを作成してみた。

20位 哀愁のトラジディ

ビー・ジーズは、70年代後半を通じてディスコ大流行の波に乗り、この「Tragedy」(79)をはじめ、出すシングル出すシングルをどれもみなナンバーワンの座に送りこんだ。

アルバム『失われた愛の世界(Spirits Have Flown)』からリリースされた2枚目のシングル「Tragedy」は、「失われた愛の世界(Too Much Heaven)」や弟のアンディ・ギブに提供した「Shadow Dancing」と同じ日の午後、不遇をかこった音楽映画『サージャント・ペッパー』撮影の合間を縫って書かれた。

し、し、しかも…すでにディスコ時代の終焉が近づいていたというのに、「Tragedy」はまたしてもナンバーワン・ヒットとなったのである。

残念にも、現在では「Tragedy」は1999年にこの曲をカヴァーした英国のポップ・グループ、ステップスの曲として広く知られていたりする。

19.ワールド(World)

60年代のビー・ジーズは憂いに満ちたサイケデリック・ポップの名手で、ムーディー・ブルースが羨ましがりそうな曲を書いていた。

バリー・ギブが後に回想したところでは、「”ワールド”はスタジオで思いついた曲のひとつ。みんなで楽しみながら、『なんかやってみよう!』って感じでできた」のだそうだ。

奇妙にも、この曲の歌詞は、それまで人生の目標にしてきた成功を初めて手にした直後のギブ三兄弟にとって生きることの意味とはどんなものだったのか、ということを感じさせる。

「明日は世界のどこにいるのだろう? 僕はここで必要とされているのだろうか?」 全英トップ10シングルとなったこの曲で、バリーはこう嘆いている。(訳注 もっともこの箇所はロビンがメインに歌っています

18. 失われた愛の世界(Too Much Heaven)

ビー・ジーズの『サタデー・ナイト・フィーバー』後第一作にあたるアルバム『失われた愛の世界(Spirits Having Flown)』(79 )からの第一弾シングル「失われた愛の世界(Too Much Heaven)」には彼らのソングライティングの真髄が凝縮されている。

ガラスも割れんばかりのバリーのリード・ファルセットと印象的なナイン・パート・ハーモニーで知られるこの甘ったるいバラードは、またもビルボード誌の全米チャートで1位を獲得し、1979年に入ってなおビー・ジーズの首位攻勢が衰えてはいないことを示した。

サビの部分が耳に残るのも当然だーーサビの部分は全部で6回も繰り返されている。

ビージーズはこの曲の印税をユニセフに寄付して、チャリティのために700万ドル以上を集めてもいる。

17. 傷心の日々(How Can You Mend A Broken Heart)

ギブ兄弟は、心の痛みをテーマにして曲を書くすべを心得ていた。現に、この「How Can You Mend A Broken Heart」など、ものの1時間足らずで書き上げている。

この曲は(1971年に人気を博した歌手の)アンディ・ウィリアムスのスタイルで書かれており、「ムーン・リバー」で知られるウィリアムス自身、近似性に気づいて発表されてほんの数ヵ月後にはこの曲をカヴァーしている。

ギブ兄弟は持ってこいの成功のレシピを探りあてたのである。「How Can You Mend A Broken Heart」はビー・ジーズ初の全米チャート・ナンバー・ワンとなった。(訳注 これはビルボード・チャートのことで、前作「ロンリー・デイ」がキャッシュ・ボックスのチャートでナンバーワンになっています)

何年もドアをノックし続けてきたビージーズが、ついにアメリカでの本格的成功を果たしたのだ。バリー・ギブのロンドンのアパートで書かれた曲にしては悪くないではないか。

16.誰がために鐘は鳴る(For Whom The Bell Tolls)

メタリカの同名のド派手な曲と混同しないこと。「For Whom The Bell Tolls」で、ビー・ジーズは60年代、70年代、80年代、90年代と4つの年代にわたってチャートインするという記録を達成した。

1993年にリリースされたこのパワー・バラードは、全英4位を記録し、ビー・ジーズのかわらぬヒットメーカーぶりを証明した。

(このドンピシャリの名曲を新たな高みに引き上げてみせる)ニューヨークの海辺で撮影されたミュージック・ビデオとあいまって、この曲が『サタデー・ナイト・フィーバー』後のビー・ジーズの最高傑作であることは間違いない。

バース部分ではバリーのファルセットが震えを帯びて響きわたり、ロビンが主導するサビははるかな高みにまで達してみせる。

15. ラヴ・ユー・インサイド・アウト(Love You Inside Out)

ビー・ジーズがこのジャンルの最高の曲にもひけをとらないレベルにいたのは確かだ。「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」がその好例だ。

『サタデー・ナイト・フィーバー』はダンスにとらわれ、世界中のクラブシーンのサウンドトラックたることにとらわれていたわけだが、アルバム『Spirits Having Flown』でのビー・ジーズは心のこもったソウルフルな曲を書くことによって、その才能を示してみせた

浮気な彼女に「そんなことはやめてくれ」と懇願する男性の歌「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」は、ザ・ビートルズの記録と並ぶ6曲連続全米1位を達成。6曲連続の6曲目である。

しかしほどなくディスコは死に絶え、ギブ兄弟のキャリアはその後10年間にわたって苦闘を強いられることになる。

14. ニューヨーク炭鉱の悲劇(New York Mining Disaster 1941)

ビージーズが、育ったオーストラリア以外で初めてナンバーワンに輝いたヒットは、ヒットを狙うフォーク・ポップ・バンドにしては鬱傾向の暗い題材の曲だった。

地下に閉じ込められた炭鉱夫たちの物語で、ある炭鉱夫の視点で書かれている。他の炭鉱夫たちに妻の写真を見せながらも、彼は、もう自分の命は長くない、妻にも二度と会えないだろう、と悟っている。

それらしい雰囲気を醸し出すために、ギブ兄弟はロンドンのIBCスタジオの階段に座り、暗闇の中で曲を書いた。

「真っ暗で炭鉱の坑道の中みたいでした」とバリー・ギブは2009年に語っている。「だからとても寂しいサウンドになった」

13. 獄中の手紙(I’ve Gotta Get A Message To You)

「獄中の手紙」はビー・ジーズの最も輝かしい、背筋がゾクゾクするようなサビがある曲なのに、ここにもギブ兄弟の陰鬱といってもいいぐらいのメロドラマ志向が現れている。

「これは余命数時間の死刑囚についての曲です」とロビンは2009年に語っている。「刑務所付きの牧師に彼が願うのは、最後のメッセージを妻に伝えてほしい、ということです。ある種せっぱつまった思いがあふれています」

彼らの映画的なストーリーテリングの好例でもあるこの曲について、ロビンは「ちょっと脚本を書くみたいな感じ」だったとさえ言っている。

思いは大衆に通じ、「I’ve Gotta Get A Message To You」でビー・ジーズは1968年に英チャート2曲連続首位を達成している。(訳注 確かにこの曲は「マサチューセッツ」に次ぐビー・ジーズ2曲目の全英ナンバーワンですが、この曲の前のシングル「ジャンボ―」はトップ20入りを果たしていませんから、「連続して」というのは筆者の勘違いだろうと思われます)

12. ブロードウェイの夜(Nights on Broadway)

チャートを席巻したディスコ時代を代表するファルセットが初お目見えした「Nights on Broadway」は、ビー・ジーズのキャリアの礎となった曲である。

スタジオでこの曲に取り組んでいた時に、プロデューサーのアリフ・マーディンがギブ兄弟に「マイクに向かって叫んでみろ」と促したところ、バリーの肺から予想以上に力強いファルセットが飛び出したのだ。

「アリフが”叫べるかどうか”と聞くので、”そういう状況下なら”と答えると、今度は”メロディをつけて叫べるか”というんです。そこで”やってみます”と答えました」と、バリーは2001年に回想している。

1975年にリリースされたこのファンキーな曲は大ヒットにはならなかったが、混沌とした夜の街で伴侶を探す男についてのノワール調の歌詞は、今だに不穏な興味をかきたてる。

11. ユー・ウィン・アゲイン(You Win Again)

ディスコへの反動のせいで10年近く低迷したビージーズは、1987年のシングル「You Win Again」で断固たる復活を遂げた。

ギブ兄弟は、1970年代末にビー・ジーズの音楽がラジオを独占して飽和状態を生んだ、という見方を変えさせようと苦闘したが、キャリアが低迷するなか、バーブラ・ストライサンドやダイアナ・ロスなどに曲を提供して、表舞台からは見えないところで活躍していた。

再びスポットライトを浴びる準備が整った彼らは、恋が戦いであることを嘆くストンピング入りのソフト・ロック・ナンバー「ユー・ウィン・アゲイン」を得て、これで全英3位に返り咲けるな、と知ったのだ。(訳注 原文は「3位」と読めるのですが実際にはこれも筆者の勘違いなのか、この曲は全英チャート・ナンバーワンに輝いています)何しろ、この曲、夢の中でバリーに訪れたのである。

「そう、サビの部分が夢に出てきたんですけどね。レコーダーが手元になかったので、家中を走り回って探しましたよ。さもないと夢みたいに消えてしまうから。つかまえておかないと」

冒頭にも書いたように、シングルとして発売された曲から選んだベスト20なので、「えっ、こんな曲が?!」と驚くような曲はランクインしていませんが、こうしたベストものによくあるような忖度しまくりの褒め殺しのような文章ではなく、たとえば「Too Much Heaven(失われた愛の世界)」(この邦題なんとかなりませんでしょうかね)を「甘い」ではなく、「甘ったるい」と形容したり、筆者自身の実感のようなものが感じられるところが面白かったです。

個人的には、「Too Much Heaven」のサビが延々と繰り返される点についての指摘などは全く同感です。確かに彼らの歌詞はちょっと”繰り返し”が多すぎると思うからです。あの繰り返しをストーリーの展開に費やしていたらなあ…と残念に思うこともしばしばです。

途中いくつか訳注を入れたようにデータ面では「あれ?」と思うところが散見されましたが、ビー・ジーズの歌詞の奇妙さ、独特の暗さ、映画的な手法などについて言及している点も興味深かったです。

もうひとつ、各曲について紹介されているビデオのリンクを貼りましたが、(これは意図的かどうかは不明ですが)オフィシャル・ビデオではなく、ライヴ・バージョンが紹介されていたりして、意外に面白いチョイスである点も注目されます。

10~1位の後編も近くご紹介いたします。

{Bee Gees Days}

© 2009 - 2024 Bee Gees Days. 当サイト記事の引用・転載にあたっては出典(リンク)を記載してください。

おすすめ

error: 記事内容は保護されています。