【1968年4月】エーメン・コーナー(デニス・ブライオン&ブルー・ウィーヴァ―)から日本のファンへ
今から56年前、1968年4月2日付のエーメン・コーナーのサイン入りメッセージ。Music Life誌のロンドン取材より。後にビー・ジーズ・バンドのメンバーとしても活躍したデニス・ブライオンとブルー・ウィーヴァ―のサインも入っています!
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今から56年前、1968年4月2日付のエーメン・コーナーのサイン入りメッセージ。Music Life誌のロンドン取材より。後にビー・ジーズ・バンドのメンバーとしても活躍したデニス・ブライオンとブルー・ウィーヴァ―のサインも入っています!
MelouneyMusic のツイートより。1999年3月27日、ヴィンスは盟友ビー・ジーズと再会を果たし、シドニーのOne Night Onlyコンサートのステージに立ちました。あれから25年…。
1972年3月、ビー・ジーズは初来日公演を実施。24日には彼らのキャリア唯一の武道館公演が行われました。写真は武道館入り口の当日のショット。ロゴがなつかしいですね。
アンディ・ギブ(1958年3月5日~1988年3月10日)は兄ビー・ジーズたちの陰に隠れた存在と見なされがちですが、彼自身も偉大な記録を打ちたてています。いちばんやさしく傷つきやすい末っ子だといわれたアンディの業績を辿る新着記事をご紹介します。
ビー・ジーズの代表曲の中で、モーリスの声がくっきり聞えてくるとはっと心をつかまれます。個性の強い兄たちに挟まれて、一番器用なようでいて、心やさしく、そのことで苦しみ続けたともいわれるモーリス。2003年1月12日に53歳の若さで亡くなりました。それはこの稀代の兄弟グループの終焉でもありました。
1949年12月22日生れだったロビン&モーリス・ギブは今ごろ一緒に74歳の誕生日を祝っているのでしょうか。ふたりの誕生日を祝うようにバリーの最新インタビューも登場しました。
ティナ・ターナーを惜しんで、映画『サージャント・ペッパー』やビー・ジーズが書いた曲「I Will Be There」など、この不滅&不屈の歌姫とビー・ジーズのかかわりを追想いたします。
ロビン・ギブ(1949.12.22 -2012.5.20 (日本時間5.21朝)
「年に一度の記念日じゃない。毎日が君を思う記念日だ」(ロビン・ギブがモーリス・ギブに寄せた言葉)
帰英後、ビー・ジーズが誇ったすさまじい人気を裏付けるように、バリー・ギブが表紙を飾っている英国のティーン雑誌Fabulous 208の68年5月4日号をご紹介します。