【1968年4月】エーメン・コーナー(デニス・ブライオン&ブルー・ウィーヴァ―)から日本のファンへ

先の記事で話題にしたエーメン・コーナーのサインです。どうもこのメッセージはデニス・ブライオン(後のビー・ジーズ・バンドのドラマー!)が書いたものみたいですね。

ちょっとびっくりした偶然は日付が56年前の今日4月2日だったことです。そのころには生まれてなかったという人も多いことでしょう。

エーメン・コーナー(デニス・ブライオン)からのメッセージの次の通り。

Music Life誌の読者の皆さんへ

Music Life誌の読者の皆さん、こんにちは。ぼくたちのレコード「ベンド・ミー・シェイプ・ミー」が気に入ってくれたら嬉しいです。ぜひ近いうちに日本に行って、皆さんにお会いしたいし、いっぱい友だちを作りたいです。

愛をこめて、デニス・ブライオンより

デニスのサインの下にブルー・ウィーヴァ―のサインもありますね。

洋楽を聴き始めたこの当時に流行っていた曲には特別な愛着のようなものがあります。ヒューマン・ベインズの「ノー・ノー・ノー」、ユニオン・ギャップの「ウーマン・ウーマン」、ジョン・フレッドとプレイボーイ・バンドの「ジュディのごまかし」…。ローリング・ストーンズでは「シーズ・ア・レインボウ」がおそらく一番初めて聴いた曲でした。チャート・トップにはビー・ジーズの「マサチューセッツ」が君臨していたあのころです。

こうした特別な曲のひとつが「ベンド・ミー・シェイプ・ミー」だったのですが、最近聴き直してみたら、当方が知っていた(記憶していた)のはエーメン・コーナーのバージョンではなくて(すみません…)共作だったアメリカン・ブリードのバージョンでした。エーメン・コーナーは全英チャートで3位まであがったそうですが、アメリカン・ブリードの方は全米5位を記録したそうです。

結局、その後、エーメン・コーナーは解散し、デニスはビー・ジーズのツアー・バンドのドラマーとして73年と74年に来日しています。その辺のことは彼の自叙伝『You Should Be Dancing: My Life with the Bee Gees』に詳しく書かれています。

ところでこの本、以前に当サイトでレビューを書いたような記憶があったのですが、いま検索してみたら、ひょっとして…書いてない?でしょうか??? ドキュメンタリー『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』でも話題になっていたマン島のバリー邸でのオーディション場面なども詳しく書かれていますので、もしレビューがまだだったら、今度一部抜粋をご紹介しながらレビューを書こうかと思います。

{Bee Gees Days}

 

 

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