【2023年1月】英ガーディアン紙が選んだビー・ジーズのベスト曲40選(その1 40位~21位)

英国ガーディアン紙に今年の1月に発表されたThe Bee Gees’  40 Greatest Songs – Ranked! (ビー・ジーズ名曲40選ランキング)。ガーディアンというのは、このサイトでもときどき紹介しているデイリー・メールなどがいわゆるタブロイド紙(夕刊フジとか、そんな感じ)であるのに対し、一般紙、つまりはれっきとした新聞です。しかもガーディアンの音楽関連の主筆(というのかな?)は、あのアレクシス・ペトリ―ディスなのです。おそらくはドキュメンタリー映画『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』にもかなり影響したのではないかと思われる『The Joy of the Bee Gees』(2014)にも登場し、貴重な意見を述べています。ですからこのランキング、とにかくコメントが面白い!

1月にこの記事が出た当時、ランキングはあちこちで紹介されていました。「えー、あの曲が入ってるんだ~」というのもあれば、意外な曲がランク入りしても意外と低順位だったり、ランキングの面白さもあるのですが、やっぱりざっとでもペトリーディス氏のコメントをご紹介したいと思います。

少し前にも書いたように、私はビー・ジーズについて書いている人たちの中では、このA・ペトリーディス氏とこのサイトでもよく紹介するトム・ブレイハン氏が好きです。必ずしも同意見であるというわけではありませんが、対象におもねることなく、独自の角度からビー・ジーズをしっかりと語ろうとする姿勢がいいなあと思っています。

で、ビルボードのチャートに沿ってNo.1 曲の分析を連載しているブレイハンは、おそらく特にビー・ジーズが好きというわけではないと感じるのですが、このペトリーディスは彼らに取材したときの書きぶりなどからも、そして今回のランキングからもファンであることが感じられます。(ヒット曲とベスト盤ぐらいしかちゃんと聴いたことがない人ではとても選べないような曲が多々登場していますよね)

それでは長くなってしまうので20曲ずつ2度にわけて、選ばれた40曲とペトリーディスのコメントをざっとご紹介します。まずはその1、40位から21位まで。

40. 誰がために鐘は鳴る(1993)

ビー・ジーズ90年代最大のヒットには90年代における彼らの作品の長所と短所が凝縮されている。まず、なんといってもこの曲は抜群のクオリティの高さを誇る。優れた職人芸の粋である。しかし同時に、 あまりにソツなくできていて、ややヒーリング調のきらいがあるのだ。

39. ワイルドフラワー (1981)

1979年に勃発したディスコへの逆風にショックを受けたバンド(「ディスコはクソ」Tシャツの中には「ビー・ジーズを殺せ(Kill the Bee Gees)」と書かれたものまであった)が生み出したアルバム『Living Eyes』のサウンドは雑然としていた。けれども「ワイルドフラワー」は抑え気味のフォーキーなソフト・ロックという形をとった本当に素晴らしい曲である。

38. トラファルガー (1971)

1971年のアルバムのタイトルトラック。書いたのはモーリス・ギブで、珍しく彼がリードも歌っている。サウンド面ではジョン・レノンの影響が感じられ、またそれがプラスに作用している。下降調のメロディの持つ陰鬱な美、そして高揚するサビ。オアシスがカヴァーするべきだった曲だ。

37. アンティル (1979)

シングル「哀愁のトラジディ」のB面、あるいはアルバム『失われた愛の世界(Spirits Having Flown)』のラスト・トラックとしてひっそり存在している「アンティル」は、ビー・ジーズの最も過小評価されている曲のひとつだ。繊細でビートもない、シンセサイザーをバックにした悲しみの歌で、いったい何が起きてここに歌われている若き日の恋が壊れてしまったのか、聴くものには最後まで明かされない。

36. シー・キープス・オン・カミング (2001)

あまりにもプロ志向の90年代のアルバムが続いた後で、『ディス・イズ・ホエア・アイ・ケイム・イン』はビー・ジーズの60年代のアルバムへの回帰を思わせ、同時に実験性も備えていた。彼らにとってこの何年かで最高のアルバムであり、限界に挑戦しようという気概がよくあらわれているのがこの「シー・キープス・オン・カミング」だ。これを聴くと、どうもビー・ジーズはトーキング・ヘッズを聴いてたみたいだな、と感じる。

35. ニューヨーク炭鉱の悲劇 (1967)

このビー・ジーズ初の英国でのヒットについては、内緒だけど実は歌っているのはザ・ビートルズなんだよね、というひどい噂があった。そう思われた理由は確かにわかる。北イングランドの訛り、芳醇なメロディ。だが、ザ・ビートルズはついぞこれほど暗い曲をレコーディングしたことはない。この曲の着想のもととなったのは、ひとつはアバファンの炭鉱事故であり、もうひとつは停電であった。この停電のおかげでギブ兄弟は暗闇の中でハーモニーをつけて歌い出したのであった。

34. マサチューセッツ(Massachusetts) (1967)

1967年に1位を記録した曲のほとんどが、次のどちらかの範疇に属する。ハイなサイケデリック。あるいはその反動としてのMOR路線。ところが「マサチューセッツ」は両者の中間あたりに位置していた。ビー・ジーズのバラードらしくソフトかつストレートながら、歌詞はサン・フランシスコへとヒッチハイクを試みつつ、ニュー・イングランドより先には行けずに終わるヒッピーの物語だ。

33. スウィート・ソング・オブ・サマー (1972)

アルバム『To Whom It May Concern(邦題 ラン・トゥ・ミー ザ・ビー・ジーズの新しい世界)』はそのタイトル(直訳すると「関係各位」)からも中身の焦点がぼけていることが感じられる。けれども、ときとして、目的を失ったビー・ジーズ自身のいや増す混迷がまったくとんでもない作品を生み出したりするのだ。「スウィート・ソング・オブ・サマー」はアナログのシンセサイザーのバッキングと不穏なムードのおかげで彼らの作品中でも異様な忘れられないものになっている。

32. 誰も見えない (1967)

後にニーナ・シモンにもカヴァーされたこの曲、もともとは「ニューヨーク炭鉱の悲劇」のB面で、オーストラリア以外の聴き手はこの曲で初めてロビン・ギブの卓越した声を知ることとなった。彼の母親でさえ「ぞくぞくっとする」と語ったような声である。リードを歌う彼はまるで今にも泣き出しそうに聞こえる。

31. オデッサ (1969)

ビー・ジーズのヒット曲しか知らないような人たちに、60年代末のビー・ジーズがどのぐらい変わっていたのかをわからせるのは、ときとして難しい。そんなときには、アルバム『オデッサ』のこのタイトル曲を聞かせれば一発だ。7分半にも及び、ハープあり、ストリングスありの変化に富んだこの曲、1899年の海難事故の悲劇を物語り、「めえめえ羊」ときたもんだ。何がなんだかわからないが、すごい曲である。

30. ドッグズ (1974)

アリフ・マーディンのプロデュースによるアルバム『Mr. Natural(邦題 幸せの1ペンス)』は、ビー・ジーズのキャリアにおける2つの時代をつなぐ過渡期の作品といえる。マーディンがギブ兄弟の愛したR&Bへの傾倒を奨励したところから、優しくファンキーな魅力の「ドッグズ」が生れた。これまでのビー・ジーズ作品とは異質なこの曲、未来への礎といえる。

29. ジョーク (1968)

60年代のビー・ジーズのヒットは、だいたいがくら~い曲ばかりだが、ロビンの曲は悲しいどころではなく、心の平和を脅かす域にまで達している。で、「ジョーク」なのだが、これは何もかも悪い方にころんで、最後には主人公が死んで世界中がそれを喜ぶという歌なのである。

28. 若葉のころ (1969)

アルバム『オデッサ』のレコーディング中に兄弟間の関係性が悪化、バリー・ギブの「若葉のころ」の他愛ない歌詞は、幸せな子ども時代の思い出と疎遠になった現在を対比させて、そのことを暗示しているようにも思われる。もしそうなら、この曲がシングルとして発表されたことに抗議してロビンがグループを脱退し、文字通り、ビー・ジーズの分裂につながったのは皮肉な話だ。

27. ワン (1989)

アルバム『ワン』は総じてメランコリックであり、弟アンディ・ギブの死のイメージがつきまとう。けれどもビー・ジーズが12年の時を経て彼らのディスコ時代のアルバムに入っていてもよかったようなダンスフロア向きの曲で(80年代のエレクトロニクス・プロダクションを得て)全米トップ10にカムバックを果たしたという事実には、うれしくも皮肉なものがある。

26. ウォーム・ライド (1977)

『Saturday Night Fever』に入らなかった曲。サントラ用にと考えられたが、ボツとなり、最終的にはアンディに提供された。アンディはこの曲を最後のアルバムで発表した。しかし1980年、ディスコの逆風が吹き荒れるなか、アンディのアルバムはヒットしなかった。ビー・ジーズのバージョンは2007年のコンピレーションでついに陽の目を見た。サウンドとしては未完成なのだが、この曲の持つチャッチャカチャーという感覚の素晴らしさはそんなことでは損なわれない。

25. キルバーン・タワーズ (1968)

この「キルバーン・タワーズ」、意外にも2013年のバリーのミソロジー・ツアーのセットリストに登場したが、アルバム『アイディア』に入っていた曲である。夏の夕方、シドニーの街に沈む夕陽を美しく描いて、温かいそよ風のようなアコースティックギターとメロトロンの響きが流れてゆく。小品だが、抗し難い美しさのある曲だ。

24. メロディ・フェア (1969)

アルバム『オデッサ』のために書かれたが、後に映画『小さな恋のメロディ』(1971)のテーマソングとして使われたこの曲には、60年代のビー・ジーズの中にあった2つの競合する衝動が凝縮されている。出だしは親も喜びそうなMORのポップなのだが、それが突然、スリリングにもけだるい、トリップしているような、レノン風のコーラスに突入する。

23. 愛の侵入者 (1976)

ディスコ・ファンは、より緊迫感があって華やかでドラマチックなメルバ・ムーアのカヴァー(78年に大ヒットしている)の方がこっちのオリジナルより好きかも。だが、この曲、アレンジの如何にかかわらず素晴らしい曲である。印象的なフック、螺旋を描くような目くるめくメロディを聴けば、ビー・ジーズがディスコのなんたるかを理屈抜きに理解していたことがわかる。

22. ワールド (1967)

「マサチューセッツ」に続くシングルだったこの曲は、さらに暗く、さらに複雑だ。ラヴソングというより、突然の成功が生んだビー・ジーズたちの存在の不安ともいうべきものを感じさせる。「明日、僕はこの世のどこにいるのだろう? ここで必要とされているのだろうか?」ギターは、キシキシと歪んだカタルシスのあるソロに今にも突入しそうでありながら、決してそうはならない。

21. 愛のシャレード (1974)

1973年のアルバム『ライフ・イン・ア・ティン・キャン』の失敗、さらにこれに続くはずだったアルバムが拒否されたことで、ビー・ジーズはショックのあまり奮起したようだ。アルバム『Mr. Natural』のオープニングは素晴らしい曲で、彼らのトレードマークともいうべきバラード・スタイルにあたたかくソフトなジャズ風のアレンジをまとわせている。

いかがですか。一番好きなのは、「オデッサ」のところ、”ビー・ジーズのヒット曲しか知らないような人たちに、60年代末のビー・ジーズがどのぐらい変わっていたのかをわからせるのは、ときとして難しい。そんなときには、アルバム『オデッサ』のこのタイトル曲を聞かせれば一発だ”とか! 31位と意外に順位が下なのには同意しかねますが、ビー・ジーズのヒット曲しか知らないで彼らを語ろうという人は、象の鼻を触って「蛇に似ている」という感想を言うようなもの…って思うんですよね。

22位の「ワールド」については、発表当時のロビンのインタビューではこのコメントにあるのとは別の視点が提示されていますので、よかったらそちらも読んでみてください。「若葉のころ」へのコメントには、えっ!と思いました。でも確かにこれは”失われた子ども時代の絆を哀惜する歌”です。そう考えると、この歌が演じた役割は何とも皮肉な悲しいものといわざるをえません。

その2(20位から1位)も近くご紹介します。

{Bee Gees Days}

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