【2020年6月】新作を発表したヴィンス・メローニーのロング・インタビュー(その1)

JB そのほんの1年後ぐらいに、あなたはビリー・ソープ・アンド・ジ・アズテックスを脱退して、やがてはヴィンス・メローニー・セクトを結成しますね。

ヴィンス そうなんです。グループを抜けました。当時のぼくはイギリスの音楽が大好きで。アメリカのサウンドも好きだったんですが、オーストラリアではイギリスのグループやソロのアーティストがじゃんじゃんかかってたんです。そこでぼくはヴィンス・メローニー・セクトというグループを結成しました。ベースがジョン・シールズ、ドラムスがジミー・トンプソン、リズム・ギターがビリー・テイラー、そしてぼく。本当に良いバンドで、みんな素晴らしいプレイヤーでした。ただ、少したってから、ぼくはやっぱりイギリスに行きたいという気持ちになったんです。

JB 「No Good Without You」という曲はいまだに評価が高くてよくかかっていますね。

ヴィンス そうなんです、ちょっとびっくりしちゃうけどうれしいですね。すごい昔の曲なのに。でもさっきも言ったけど、すごくうまいバンドで、ほんとにしっくり行ってたんですよ。メンバー同士が本当に親しくしていたグループで、全員が当時ラジオでかかっていたイギリスやアメリカの音楽に影響を受けていました。それがみんなにウケたというのはうれしかったです。

この曲は当時はかなりかかったのですが、ヒットはしなかったんです。当時のオーストラリアではポップスが主流だったけれど、あの曲はポップな曲じゃなかったので。

4曲目「No Good Without You」(ヴィンス・メローニー・セクト)

JB さっきちらっと言ってましたが、ヴィンス・メローニー・セクトがレコーディングした「Mystery Train」等の曲のバックボーカルにビー・ジーズが参加しているのですか?

ヴィンス ああそう、その曲です。もう1曲、ビー・ジーズがバックを歌ってた曲があるんですが、タイトルが思い出せない…。あれはぼくがスタジオに出向いた日で、彼らの曲2曲ばかりでぼくがギターを弾いたんですよ。バリーに会うたびに訊こう訊こうと思うんですが、つい忘れちゃう。ぼくも気になっているので、ビー・ジーズがハーモニーをつけてくれたのはどの曲だったかいつか知りたいですね。

JB 彼らはたまたまスタジオにいたんですか? それともあなたが招待した? そのへんの経緯を教えてください。

ヴィンス すごく小さいスタジオだったんですよ。EMIスタジオとかああいうのとは大違いでした。スタジオのオーナーはオジー・バーンという人で…スタジオは肉屋の裏にあったんです。ぼくは仲がよかったので、よく会いに行ったりしてたんです。ちょっと理由ははっきり思い出せないんですが、「レコーディングしているから、来てギターを弾いてくれ」って言われたのかもしれません。で、ぼくのほうは、「うん、こっちもこれこれこういう曲があるんだけど…」とか言ったのかなあ。覚えてないんですけどね。ただ、ぼんやりとだけどその日モーリスに「イギリスに行くんだ」と話したことを覚えてるんですが、なんで自分があの日あのスタジオにいたのかは思い出せません。

JB ビー・ジーズもものすごく若かったはずですよね。1966年だから…全員がティーンエージャー?

ヴィンス うん、そうですね。66年かあ、いやあ、なんとも。すごい昔だなあ。あれからいろんなことがあったけど、実にあれがすべてのはじまりだったんだなあ。ぼくにとってのはじまりはヴィブラトーンズですね。基本、インストゥルメンタルのバンドでした。当時はアメリカから来たサーフィン音楽が流行ってたから。ディック・クラーク、ビーチ・ボーイズ、ヴェンチャーズとか、たくさんいましたよね。ぼくたちも基本的にその流れで、ヴィブラトーンズがロックンロール・バンドのアズテックスになった。大昔の話です。

5曲目 「Mystery Train」(ヴィンス・メローニー・セクト、ビー・ジーズが参加)

ビー・ジーズ参加のきっかけはモーリスの借金?

JB 渡英は船で?

ヴィンス そうです。これについては面白い話があるんです。オーストラリアのハーツヴィルにあったスタジオでモーリスに「おれ、イギリスに行くから手持ちの品物を売ってるんだよ、モーリス。服もいっぱいあって、かっこいいスーツとかいろいろあるんだけど」って言ったんです。モーリスとぼくはだいたいサイズが同じだったので、モーリスが「買いたい」って。で、「オーケー、持ってくるよ」っていって、持っていってモーリスにいろいろと試着してもらったんです。はっきり覚えてないけど、たぶんモーリスは全部買ったんじゃないかな。で、払ってくれたんだけど、彼、手持ちが25ドル足りなくて。そこでモーリスが「イギリスで払うよ」っていうから、「いいよ、それでかまわない」って答えたんです。

で、ぼくたちはイギリスに出発して、妻のオーストラリアの友だちの友だちだったイギリス人のところに身を寄せてました。そしたら、イージービーツ もイギリスにいることがわかって。どうやって知ったかは忘れましたけど。当時、ぼくと妻はほんとに文無しだったのですが、イージービーツに会いに行ったら、そこにレコード会社の人がいて、「ビー・ジーズもこっちに来てるよ」という話が出て、電話番号を教えてもらったんです。

そこで電話してモーリスと話しました。船旅はどうだったとかいろいろ話した後で、「ところで、貸しになってた25ドル、手元にある?」と訊いてみたら、モーリスは「いや、こっちは文無しだよ。でもおれたち、ロバート・スティグウッドとセッションをやってるから、来てギターを弾いてよ」と言ったんです。で、「それはすごいや」とは言ったものの、問題はオーストラリアでイギリス行きの費用を捻出するために立派なエピフォン・シェリダンを売っちゃったということで。で、イージービーツのギタリストだったハリー・ヴァンダにギターを貸してくれないかと頼んだら、持ってたギブソン335を貸してくれたんです。

そこで電車でモーリスが教えてくれた住所に行きました。IBCスタジオという当時すごく有名だったスタジオです。あとはご存じの通りです。

JB もうそこからバシバシ始まった感じですよね。当時、最初の数か月で、あなたたちビー・ジーズのメンバーはものすごく多作でした。そこでとりかかったアルバムが、いわゆる『ビー・ジーズ・ファースト』ですね。

ヴィンス いいアルバムです。

JB いい曲がたくさん入っていますね。今でも評価が高い曲のひとつに「想い出の赤い椅子」があります。さまざまなイメージや感情をかきたてる曲です。

ヴィンス 『ファースト』に入っていた曲は当時の潮流とはずいぶん違う、本当にユニークな曲ぞろいでした。すごく自然に生まれた曲ばかりです。ギブ兄弟とは以前にも一緒に仕事をしたことがあったし、旧知の仲でした。ぼくとコリンは初対面でしたが、ギブ兄弟はコリン・ピーターセンとも親しかった。音楽面ではみんなの呼吸がぴったり合っていました。「いや、そんなのダメだ」とか、「ああしろ」「こうしろ」みたいな軋轢はいっさいなかったですね。思いついたアイディアは全部試してみて、全員ハイになっていました。ハイっていう言い方でいいのかどうかわからないけど、何しろ、実際にイギリスにいて、イギリスのスタジオでレコーディングしているわけですからね、夢みたいでしたよ。ほんと、もう、願ってもないことだって感じでした。

アルバムで聞ける通り、ほんと、いろんなアイディアが出たんです。「Mrs Gillespie’s Refrigerator」とか多彩な曲ぞろいでした。

6曲目 「想い出の赤い椅子」(ビー・ジーズ)

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