【2020年6月】新作を発表したヴィンス・メローニーのロング・インタビュー(その2)

五人組時代のビー・ジーズ(Movie Teen Illustrated誌1968年7月号より)

ニューシングル「Women (Make You Feel Alright)」を発表したヴィンス・メローニーのロング・インタビュー(その2)です。(その1)はこちらです。

ヒットしなかった「ジャンボ―」

JB  シングルはロバート・スティグウッドが決めていたという話が出ましたが、「ジャンボー」だけは例外だったんですね。

ヴィンス ロバートがスタジオに来ても、ぼくたちはすごく乗り気で「ジャンボー」をシングルにしたかったんです。ロバートも最後には折れて、「恋するシンガー」をB面にしてくれました。だけどもちろん、「ジャンボー」はぼくたちが思っていたようにはヒットしなかったので、ロバートがB面をA面に変えたんです。当時はそういうことも可能だったんですね。「恋するシンガー」はヒットしたので、以来ぼくたちはロバートが決めると、「あ、その曲をシングルにしたいんですね、わかりました。好きにしてください」って感じになりました。

JB 「ジャンボー」にはあなたのすごいギターが入っていますよね。あれはギターのワントラックですか。それともギターのトラックを重ねた?

ヴィンス それが覚えてないんですよ。バリーがアコースティックギターだったと思います。ぼくもオーバーダビングはしなかったと思うけど、その可能性もありえます。当時は8トラックだったと思うのでオーバーダビングってあんまりしてなかったんです。いつ16トラックになったんだったかな。でも「ジャンボー」が好きだと言ってくださる人が多いのでうれしいことですね。

9曲目「ジャンボー」(ビー・ジーズ)

JB もうひとつ、当時の曲でビー・ジーズのディープなファンの間で人気なのが「アイディア」ですね。ギターがすごい。

ヴィンス ありがとう。いい曲ですよね。ぼく、ビー・ジーズのトリビュートバンドではなくて、『マサチューセッツ』というミュージカルにゲスト出演していたのですが、これがドイツで大きなツアーをしたんです。ゲストとして出てくれないかと声がかかって、ぼくが演奏した曲の一つが「アイディア」でした。大好きな、良い曲です。出だしのピアノも素晴らしい。

JB あれもモーリスですか?

ヴィンス そう、モーリスです。彼自身の思いつきだったんです。それからね、ビー・ジーズってハーモニーの点などですごくビートルズの影響を受けていたんです。もちろん、ビー・ジーズには独特のハーモニーがありましたが、ビートルズに刺激されて影響を受けてもいたんです。だからあのピアノはビートルズ風なんです。

JB レコーディングはほとんどIBCスタジオで?

ヴィンス そうです。覚えているかぎり、どの曲もIBCで録音しました。例外は『オデッサ』を録音しにニューヨークに行った時です。ニューヨークのアトランティック・スタジオで何曲かレコーディングしました。それ以外はみんなIBCです。例の6枚組のボックスセット(Studio Albums)が出たときに、ぼくにも1セット送ってくれたんですが、あんまりたくさん曲が入っていたんで自分でもびっくりでした。CD6枚ですからね。びっちり入って。別バージョンとか、アウトテイクとか。しかもたった2年の間にこれだけのことをして、その合間にはヨーロッパ、主にドイツとかをツアーしてたわけでしょ。驚きですよ。短期間に本当にいろいろなことをしていた

JB スタジオでの通常の態勢についてお訊きしますが、まずあなたたちメンバー5人、それからエンジニアはジョン・パントリーとかですか? ロバート・スティグウッドがプロデューサー?

ヴィンス そうです。エンジニアは確かにジョン・パントリーという人だったんじゃないかと思います。何しろ昔のことなので。良い人でしたね。ぼくたちともうまくいっていました。名前を忘れてしまっていて申しわけないんですが。

スタジオは階下にあって、コントロールルームが2階でした。最初はオジー・バーンがちょっとエンジニアの仕事をしていたんですが、ロバート・スティグウッドが彼をメインから外したんです。ちょっとオジーの手には負えなかったので。何しろ本格的なスタジオでしたから。オジーのスタジオも良いスタジオだったし、どうこういうつもりはないんですけど、もうまるでレベルの違う話だったんです。レコーディングは全部そこでやって、ロバート・スティグウッドはレコーディング全部に立ち合いはしませんでした。2-3曲、彼がいたこともあったけれど、だいたいはセッションの最後にやって来て、感想をコメントしてくれて、シングルにする場合には、「これが次のシングルだ」っていうんです。いろいろと意見を言ってくれました。

とにかく、ぼくたちはスタジオ入りしてレコーディングしただけ。一日に3-4曲レコーディングした日もあったと思います。勢いがあって、すごくノッていて、楽しかったので、「もう1曲やろう」っていう感じで。

ヴィンス作の「サッチ・ア・シェイム」を歌いたがったバリー・ギブ

10曲目「アイディア」(ビー・ジーズ)

JB YouTube に「アイディア」等の曲を演奏している映像が出ていますね。あれはドイツのテレビスペシャルですか?

ヴィンス そうです。ビートボックスとか、ビートなんとか、というタイトルだったかな。『アイディア』というアルバム全体をやったんです。全部の曲のクリップを作りました。すごかったですよ。ぼくたち、ドイツですごく人気があったので。

JB アルバム全体をやったから、あなたの曲「サッチ・ア・シェイム」をやっている映像もあるんですね。

ヴィンス ああ、覚えてます。良かったですよ。「サッチ・ア・シェイム」はわかってない人が多いんですが、グループの関係がこじれ始めて、手に負えなくなってきたときの歌なんです。それがあの歌詞の内容です。「これがもう終わりになるのは残念だなあ」っていう歌なんです。面白いことに、スタジオでこの曲をやった時に、バリーがほんとに気に入ってくれたんですよ。全員が気に入ってはくれたんですが、バリーはほんっとに気に入って、自分で歌いたがったんです。「歌ってもいいかな?」と言われて、今となっては「いいよ」って言えば良かったと思います。ぼく自身の歌もまずいってわけじゃないけど、自分の曲をバリー・ギブに歌ってもらえてたらすごかったですよね。惜しい機会を逃しました。

JB  ギブ兄弟と一緒に仕事をして、リードボーカルを歌って、彼ら自身や作品自体に影響を及ぼした人ってあなたぐらいでしょう。それってすごいことですよね。

ヴィンス そう、たしかにすごいかも。ビー・ジーズのアルバムで彼らが書いたんじゃないし、歌ってもいない曲ってあれだけですよね。それってかなりのことです。あとになって、ディスコ時代には、ブルー・ウィーバーが書いた曲もありましたが、あれもバリーやロビンやモーリスとの共同作品でしたしね。

そう、たしかに良いですよね。自分でもうれしいです。経歴の中でも光っちゃいます。

JB 新曲だったわけですよね。どうやって切り出したんですか? ギブ兄弟といえば自作曲でやってきたわけでしょ? 「ねえ、ちょっと曲を書いたんだけどさ…」って言った?

ヴィンス うん、と思います。あそこで抜けずに、もしもう少しグループに残っていたら、もっとたくさんぼくの曲をアルバムに入れられたかなと思います。少なくとももっとぼくの曲をレコーディングはできて、アルバムに入れるかどうか、みんなで決めたりできたんじゃないかな、と思います。たぶんそうなったと思います。ビートルズのジョージ・ハリソンみたいな感じです。ジョージはビートルズが活動しはじめてちょっと経ってから自分でも曲を書くようになったのですが、いったん書き始めるとどんどん書くようになって、曲の数が増えるとレコーディングされる曲の数も増えていきました。ぼくの場合もそうなったと思うんです。実際には、すごく簡単で、「ねえ、ぼく、曲を書いてみたのでレコーディングしたいんだ」と言っただけなんです。何について書いたかとかは説明しなかったと思うし、たぶん、彼らもわかってなかったと思います。それについて何か言われた記憶がありません。とにかく、そう、ぼくがプレイして、みんなも一緒にプレイしてくれて、「いいねえ、これ、レコーディングしようよ」ってなったんです。

11曲目「サッチ・ア・シェイム」(ビー・ジーズ)

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