【2021年2月】クリフ・リチャード「ビー・ジーズはビートルズの先を行っていた」(英エクスプレス紙)
英国のエクスプレス紙(オンライン版2021年2月10日付)がクリフ・リチャードの発言を報じました。
クリフの自伝『The Dreamer: An Autobiography』が発売された当時の記事ですが、記事自体の焦点は主にクリフとザ・ビートルズとのライバル関係にあるので、ここではビー・ジーズに関する部分を中心にざっとご紹介いたします。
永遠の青年といわれたクリフも80代ですが、昨年は50年代からはじまって8つの時代のそれぞれに英国のアルバム・チャートでトップ5入りを果たした初めてのアーティストとして音楽史に名を刻みました。サー・クリフは英国のシングル・チャートで、エルヴィス・プレスリーとザ・ビートルズに次いで三番目の売上を誇るアーティストでもあります。今ではザ・ビートルズ・ファンであるサ-・クリフですが、実は若いころは彼らと激しいライバル関係にありました。
というわけで、当初のザ・ビートルズを聴いて「恐れるに足りず」と思ったというサー・クリフが、ハンブルグ時代を経て彼らの実力の素晴らしさを認めたこと、なぜかアメリカでは本国イギリスでのような圧倒的な人気を得るにいたらなかったクリフ(「アメリカでは人の目につかないのですむのでかえって気が楽だ」と発言しています)が、ザ・ビートルズのアメリカでの異常なまでの人気にはやや過敏気味だったことなどが語られています。
また、長く活躍しているアーティストとしてサー・クリフは70年代のパンクロックにはあまり好意的ではなく、「エルヴィスをはじめとする先達ミュージシャンへの敬意を欠いている」と述べたとか。パンクの顔とも言われたセックス・ピストルズのジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)については「歌もひどい」と評しているそうです。(ちなみに他でも書きましたが、余談ながら、ジョン・ライドンはビー・ジーズの大ファンで、特にロビンの声が持つむき出しの悲しみは素晴らしい、と繰り返し発言しています)
ところで、サー・クリフは、ビー・ジーズをこんな風に語っています。
僕が大好きなバンドは70年代に大活躍した……僕はビー・ジーズが大好きなんだ!
ザ・ビートルズがポップスに革命を起こしたというけれど、それは確かにその通りだ。
でもビー・ジーズもそのすぐ後ろに続いていた。いや、実をいえば、ビー・ジーズの方が一歩先んじていたことも多かった。
そして、この記事によれば、
サー・クリフの ”夢 ”はその後2004年に、彼の32枚目のスタジオ・アルバム『Something’s Goin’ On』を制作した時に実現した。 「バリー・ギブが僕のために曲を共作してくれて、マイアミの彼のスタジオでプロデュースしてくれたんだよ」
アルバム『Something’s Goin’ On』のトラック中、シングルとして発売された「I Cannot Give You My Love」は、B面となった「How Many Sleeps」と共に、バリーが書いた曲で、バリーはプロデュースに加え、バックボーカルとギターで参加しています。「I Cannot Give You My Love」にはモーリスのキーボードも入っています。
なお、この時のレコーディングについて語るクリフのインタビューは当時、当サイトでもご紹介しました。(「クリフ・リチャード、”ワーズ”とバリー・ギブについて語る」)
このインタビュー、当時、訳しながら笑いました。ビー・ジーズもおかしいですが、クリフもトークがうまいんですね。しかし10年以上前の記事なので、さすがに記事中のリンクはずいぶん切れています。ご容赦ください。
ところでこのエクスプレス紙の記事の元タイトルなのですが、「クリフ・リチャード、ザ・ビートルズにあてこすり――”ビー・ジーズの方が先を行っていた”」というのです。うーん、60年代の両巨頭クリフ・リチャード(そういえば友だちのお姉さんがファンでした)とザ・ビートルズのライバル関係はともかく、こういう形でビー・ジーズを引っ張り出さないでほしいもんだ、とちらっと思いはしました。
ビー・ジーズの方が先を行っていた、とクリフが思っていたなら、別にそれでいいじゃん。なんでそれが”ビートルズへのあてこすり”になるんだ、とまあ当サイト側としては思うわけです。ビー・ジーズに対しても、クリフ・リチャードに対しても失礼なんじゃないでしょうか…と思うのは当方だけっすかね?
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