ワシントン・タイムズ紙が選ぶビージーズの曲トップ20
ワシントン・タイムズ紙(オンライン版2013年5月23日付)掲載のジョン・ヘイドンのコラム「トップ20リスト」で「ビージーズの名曲トップ20」が取り上げられました。コメント付きで紹介しています。各曲のチャートでの動きとからめて彼らのキャリアがなかなかうまく紹介されていますので、記事の内容を簡単にまとめてご紹介いたします。
- 20 - 「ワーズ(Words)」 ビージーズがもともとはクリフ・リチャードのために書いたともいわれている1968年の曲。リードボーカルはバリーでロビンの声はまったく聞こえない。ロビンいわく、「ある特定の気分を表現した曲。口げんかのあとで書いた」。全米チャート 15位、全英では8位を記録。
- 19 – 「ロンリー・デイ(Lonely Day)」 ビージーズ初の全米トップ5入りを記録したビートルズ風の曲。1970年に3位(訳注:ビルボードのチャートです。Cash Boxの方では1位!)まで上昇。イギリスではヒットしなかった。
- 18 – 「ラン・トゥー・ミー (Run To Me)」 1972年のアルバム『To Whom It May Concern』からの第一弾シングル。ギブ兄弟のハーモニーを堪能できる曲。アメリカでは16位、イギリスでは9位まで上昇。
- 17 – 「獄中の手紙 (I’ve Gotta Get A Message To You)」 ロ ビン・ギブが歌詞を書いた。死刑を待つ夫に思いを届けたいと願う妻の歌(訳注:これは筆者ヘイドンの勘違いで、実際には逆。これから死刑になる男性が愛す る女性に「思いよ届け」と歌う内容です) みごとなスリー・パート・ハーモニーが聞ける。1968年9月にビージーズにとって2つ目の英チャート・ナンバーワン・ヒッ トとなり、全米では8位まで上昇。
- 16 - 「ユー・ウィン・アゲイン(You Win Again)」 アルバム『E.S.P.』からシングルカットされた曲でアメリカでは鳴かず飛ばずだったが全英でナンバーワンを記録。これでビージーズは60年代、70年代、80年代にわたってナンバーワンを記録した最初のグループになった。
- 15 – 「ジャイヴ・トーキン(Jive Talkin’)」 1975年、マイアミに居を移した ビージーズの”カムバック”ヒット。同年、全米チャートでナンバーワンを記録し、ビージーズは1971年以来ご無沙汰していたトップ10への返り 咲きを果たした。バリー・ギブによれば、ビスケイン湾からマイアミにあるレコーディング・スタジオに通う途中で、いつも通ったジュリア・タトル橋で車が立て た音からイメージがわいた曲だそうだ。
- 14 – 「ホリデイ(Holiday)」 ロビン・ギブがリードをとる哀切な曲。1967年に全米チャートで16位まで上昇。イギリスではシングルカットされなかったが、コンサートではよく歌われていた。韓国の犯罪映画『NOWHERE (原題:Nowhere To Hide)』に使われた。
- 13 – 「愛をすてないで((Our Love) Don’t Throw It All Away)」 バリー・ギブとブルー・ウィーバーの共作。1978年にアンディ・ギブがシングルとして発表、ビルボードのチャートで9位を記録。ビージーズのアルバム『ワン・ナイト・オンリー』 (1997年)にアンディのボーカルも使用した素晴らしいバージョンが収められている。
- 12 ‐ 「失われた愛の世界(Too Much Heaven)」 みごとなボーカルアレンジ、バリーの驚異的なファルセットが際立つ繊細で美しい曲。2,000万枚を売り上げたアルバム『Spirits Having Flown』に所収された。1978年11月に全米チャート1位を記録。この曲の権利はUNICEFに寄付されている。
- 11 - 「哀愁のトラジディ(Tragedy)」 アルバム『Spirits Having Flown』からシングルカット された曲で1979年に全米と全英の両方でナンバーワンを記録、ビージーズのリズム・アンド・ブルース時代を代表する曲である。英国のバンド、ステップス が1998年にカバーして英チャート1位を記録している。
- 10 – 「マサチューセッツ(Massachusetts)」 ロビン・ギブがリードをとった切々たるバラード。1967年にビージーズにとって初の全英ナンバーワンヒットを記録した曲だが、全米チャートでは最高11位にとどまった。当時、ビージーズた ち本人はまだアメリカに行ったこともなく、ロビン・ギブは「行ったことはなかったけれど、マサチューセッツという語感が気に入っていた。アメリカの地名には不思議な魅力がある」と語っている。
- 9 ‐ 「愛はきらめきの中に(How Deep Is Your Love)」 1977年に映画 『サタデー・ナイト・フィーバー』 のために書かれた曲。サントラアルバムは3,000万枚を売り上げた。全米チャート連続6曲ナンバーワンの口火を切った曲でもある。当時のビージーズは世界最強のバンドだった。イギリスのボーイバンド、テイクザットによるカバーが1996年に英チャート・ナンバーワンになった。
- 8 ‐ 「ステイン・アライヴ(Stayin’ Alive)」 ディスコの古典ともいうべきハイトーンの大ヒット。ジョン・トラボルタ主演の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』 のサントラに使われた。ビージーズは1970年代のディスコを代表するグループとなり、時代に大きな影響を与えたのである。
- 7 ‐ 「ア ローン(Alone)」 1996年の曲、ビートルズ風の雰囲気を持つ秀逸なバラード。アルバム『Still Waters』を代表する曲。全英5位、全米28位。アメリカではビージーズ最後のトップ40ヒットとなった。バグパイプが印象的に使われている。
- 6 - 「スピックス・アンド・スペックス(Spicks and Specks)」 ビージーズ最初の ビッグヒット、1966年にオーストラリアでナンバーワンになった。アメリカではぽしゃったがイギリスでは9位、オランダでは2位、ニュージーランドでは1位になっている。 この曲が成功したことでビージーズはイギリスへ戻ることになる。ビージーズの才能を予見させる括目すべき曲。リードはバリー。
- 5 ‐ 「ユー・シュッド・ビー・ダンシング(You Should Be Dancing)」 ビージーズのディスコ時代の幕開けを告げる曲、バリーのトレードマークとなったファルセットに注目。1976年発売のアルバム『チルドレン・オブ・ザ・ ワールド』で初登場し、1年後に映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサントラに所収された。ビージーズにとって3枚目の全米ナンバーワン・シン グルである。
- 4 - 「傷心の日々(How Can You Mend A Broken Heart)」 1971年の曲。当初はアンディ・ウィリアムズに提供された。ビージーズ初の全米ナンバーワン。全米のラジオ&テレビで500万回流れたということで2012年にBMIアワードを獲得した曲でもある。
- 3 ‐ 「インモータリティ(Immortality)」 ビージーズがセリーヌ・ディオンのために書いた感動的でスピリチュアルな曲。ディオンのアルバム『Let’s Talk About Love』(1998年)所収。ビージーズがバックボーカルを務めている。アメリカ以外の国では大ヒットし、イギリスでは5位まで上昇している。ベスト バージョンは1997年にラスベガスのMGMグランドで録音されたライブアルバム『ワン・ナイト・オンリー』に入っているライブ版で、ディオンも特別ゲス トとして登場している。
- 2 ‐ 「アイランズ・イン・ザ・ストリーム(Islands in the Stream)」 ビージーズが書いたこの曲は1983年にドリー・パートンとケニー・ロジャースが歌ってナンバーワンの大ヒットとなった。ロジャースのアルバム『Eyes That See in the Dark』からの第一弾シングル。もともとはビージーズがマーヴィン・ゲイのために書いた曲である。ビージーズのアルバム『ワン・ナイト・オンリー』 (1997年)に素晴らしいライブバージョンが収められている。
- 1 ‐ 「ジョーク(I Started a Joke)」 ロビン・ギブが書いて歌ったメランコリッ クな曲。おそらくは初期ビージーズ最高のバラードのひとつ。1969年に全米チャート5位。ロビン・ギブ自身は2009年に「とてもスピリチュアルな曲。 解釈は聴く側にゆだねられている。説明しようとするとかえって魅力が損なわれる曲」と説明している。
- ボーナストラック‐「ブロードウェイの夜(Nights on Broadway)」 バリー・ギブ の驚くべきファルセットを世界に知らしめた曲である。プロデューサー、アリフ・マーディンの要請にこたえて「キャーッ」と歌ってみたバリーは「節をつけて キャーッと歌える」自分に目覚めたのであった。そして歌声は高く、さらに高く、ついに生まれたのがあのファルセット。全米チャート7位。
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