【ローリング・ストーン誌1975年9月11日号】「『メイン・コース』を発表したビー・ジーズ」

ローリング・ストーン誌1975年9月11日付『メイン・コース』レビューより

1975年当時のファイルを見ていたら、『メイン・コース』発表当時の記事がいろいろと出てきました。ちょうど長文の検証記事をご紹介したところでもあり、今月は当時の反響やレビューなどをまとめてご紹介したいと思います。まずはちょうど45年前の今ごろのローリング・ストーン誌に掲載されたアルバムの紹介記事、題して「ビー・ジーズの宴会:甘ったるい中にもファンクを少々 (Bee Gees Banquet: Some Funk in the Syrup)」、筆者は音楽ジャーナリストのビリー・オルトマン(Billy Altman)です。

ニューヨーク発。業界紙の人間と話し終えたバリー・ギブはさっと笑顔になった。「いま知らされたのですが」と、バリーは発表する。「ぼくたち、いまポップ・シングルのチャートで9位らしいです」弟のモーリスとロビンが歓声をあげるが、バリーは片手でそれを制した。「それだけじゃないんだよ」とますます笑顔。「『ジャイヴ・トーキン』はリズム・アンド・ブルースのチャートにも90位初登場なんだって!」 見たところ、ギブ三兄弟は、こっちの知らせの方にもっと関心があったようだ。

結果的には「ジャイヴ・トーキン」は翌週にはR&Bチャートから脱落してしまったが、ビー・ジーズがあの「ニューヨーク炭鉱の悲劇」や「ホリデイ」のビー・ジーズというよりはケイ・ジーズと言った方がよさそうなサウンドを聞かせるこのシングル「ジャイヴ・トーキン」は8月のはじめにはポップ・チャートでナンバーワンに輝いていた。ビー・ジーズはスローな甘いバラードのサウンドにファンクの要素を加えるという賭けに打って出たのだ。無記名の白ラベルをつけたテストプレス盤をイギリスで出したところ、ビー・ジーズだとわかったDJは2割しかいなかったそうだ。賭けは成功したのである。

「ジャイヴ・トーキン」はビー・ジーズがフロリダで新作アルバム『メイン・コース』をレコーディング中に生まれた曲だ。ビー・ジーズはスタジオ入りしてから作曲することを好むため、ギブ兄弟がスティーヴィー・ワンダーやスピナーズなどの作品を聴いてからこのアップテンポの曲ができたのだという。ロビンによれば、この「ジャイヴ・トーキン」セッションが「雪だるま式に発展して」非常に密度の濃いレコーディング活動が数週間続いたそうだ。

「ぼくたちはいつだっていろんなタイプの音楽を演奏できたけれど、バックのグループがいなかった」とモーリスは、この新しい方向性について語った。これこそ、全員がまだ30歳前なのにすでに20年間もプロとしてやってきた彼ら兄弟が選び取った方向だった。「『傷心の日々』とか『ラン・トゥ・ミー』みたいにもっとソフトな曲をやっていたころは、それがぼくたちに求められているものだと思っていた。当時はぼくたちを聴く層には今みたいな曲は受け入れられなかったと思う」

「ぼくたち、単に、アルバムにかける時間が足りなかったんだと思う」とモーリスは言葉を継いだ。「『Mr. Natural』はツアーの合間にレコーディングしたんだよね。2-3日体があくとニューヨークに飛びかえって2、3曲レコーディングするっていうやりかたで、とうとうできあがったときにも、もっとちゃんとやれるのに、っていう自覚があった」

バリーが引き取って話し続ける。「ツアーに時間をかけるのを止めた。シングルのことばかり考えるんじゃなくて、もっといいアルバムを作る方向に行きたかったから。もっといい、よりタイトなリズムで、三兄弟というよりバンドとして機能したかった」

「何年もずっと」とロビンが付け加えた。「いつもオーケストラを連れて演奏旅行をしていたから、ぼくらに本当にバンドとしての力量があるのかどうかわからない、と言われてきた。バンドとしてのぼくたちの音楽を聴いてもらって、判断してもらう時期が来たんだ」

『メイン・コース』ではモーリスのベースがダンス志向の基本になっており、三兄弟全員がいろいろな曲でファルセットで歌っている。元モット・ザ・フープルにいたキーボード奏者のブルー・ウィーヴァ―とドラマーのデニス・ブライオン、リード・ギターのアラン・ケンドールに、テナーサックスのジョー・ファレルと名コンガ奏者レイ・バレットのサポートもあって、バンドができあがった。しかし最大の貢献者はAWB(アヴェレージ・ホワイト・バンド)との成功も記憶に新しいプロデューサーのアリフ・マーディンだろう。

「アリフは何を聞いても、ボーカルや楽器やテンポのどこが良くて、どこがダメか、すぐにわかるんだよ」とモーリス。「ぼくには夢にも思いつかなかったベースのリフを教えてくれた」

『メイン・コース』はふだんのビー・ジーズよりファンキーだが、収録曲の大半はR&B風ではない。モーリスは「カントリー・レーンズ」を「昔のビー・ジーズ」、「カム・オン・オーヴァー」を「カントリー&ウェスタン・ビー・ジーズ」、「ソングバード」を「エルトン・ジョン風ビー・ジーズ」だという。しかし、最近のツアーに6人編成のホーン・セクションが同行したことにビー・ジーズはかなり気をよくしており、これからも新しい曲にはホーン・セクションを使いたいという意向だ。

「新しい曲だけを演奏するときが来るといいなと思う」とバリー。「ただ、昔のヒットをやらないというわけにはいかないだろうね。『ワーズ』とか『ホリデイ』みたいな曲には思い入れがある人が多いから。だけど」と、バリーは嬉しそうに言葉をつづけた。「『メイン・コース』の曲の出だしを演奏したとたんに、あ、あの曲だ、という反応があるとほんとにうれしい」

ほぼ半世紀近い時を経て、このあたりの記事を読み返すと、本当に歴史が作られる過程を見るような思いがします。「ビー・ジーズの宴会」というタイトルはアルバム・タイトルが“メイン・コース”だからでしょう。それまでの彼らの音楽を「甘ったるい」と称したこの記事タイトルはローリン・ストーン誌らしい諧謔で、必ずしも好意的ではありませんが、この段階ですでに「ジャイヴ・トーキン」は全米1位となり、彼らの方向転換が良い結果を生んだことはわかっていますから、記事全体のトーンは好意的です。

この翌年に『チルドレン・オブ・ザ・ワールド』が出て、短い全米ツアーが行われ、そのツアーから初めてのライヴアルバム『Here At Last』が、そしてツアー直後にフランスで行われたレコーディング・セッションからフィーバー現象が生まれます。当時の彼らが年齢的にも創作力のひとつのピークを迎えようとしていたことが記事中の発言の端々に感じられます。

{Bee Gees Days}

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