【GQ誌2020年9月】「ポップスの真の王者バリー・ギブにひれ伏して」

「ポップの真の王者バリー・ギブ」(画像はGQ.comの記事より)

バリーの74歳の誕生日を祝ってGQ誌イギリス版(オンライン版2020年9月1日付)に「ポップの真の王者バリー・ギブにひれ伏して(Bow to Barry Gibb, the real king of pop)」と題する記事が掲載されました。以下に内容をざっとご紹介します。

ハッピー・バースデイ、サー・バリー・ギブ!

ここ最近のサー・バリー・ギブは引退したライオンみたいに見える。これはまさにぴったりだ。彼はソングライターの中でまさに王者の地位にいるのだから。バリーとふたごの弟ロビンとモーリスはビー・ジーズとして40年もの間、世界でもっとも愛され、もっとも放送され、もっともカバーされた中に数えられる曲をいくつも書きながら、ダサい存在とされてきた。だが、他のミュージシャンがバリー・ギブを悪くいうのは聞いたことがない。ブライアン・ウィルソン同様、兄弟の一番上でありながら唯一生き残った存在として、バリーは自分の音楽を誇りをもって振り返れるはずだ。しかしウィルソン・ファミリー同様、ギブ・ファミリーもまた家族ビジネスともいうべきものによって守られ、縛られてもきた

真に多作なソングライターの常として、バリーもまたそれなりに駄作も作ってきた。だが、バリーの最高の作品にみるかぎり、彼はほとんど無双といっていい。1960年代のメロドラマチックな作品からブルー・アイド・ソウルへ、ディスコへと、バリーとビー・ジーズは独特な道を歩み、人気の浮き沈みも経験した。しかし彼らは常にポップであり続けた。

実はポップというジャンルはない。『トロールズ ミュージック パワー』を観た人ならわかるだろうが、ポップは「本物の」音楽をその凶暴な形式に引き寄せて堕落させる寄生生物としてバカにされたりもする。

私は個人的にはポップとはもっと良いものだと思いたい方で、ポップとは何の説明も条件もなく存在するものとしてのみ定義され得ると思っている。ポップは好きなように存在する。ポップにだって独自のてらいも誤解もあれば、独自のドラマや一過性の神話がある。良いか悪いかなんてことは問題じゃない。かっこいいこととは絶対に無縁だ。音楽のもっとも素晴らしい点とは、ケーキを食べてしまっても決してなくならない、良いとこ取りが可能だということだ。だから過去50年にわたって、ポップはシュープリームズやエルトン・ジョンからレディ・ガガまで、ヒューマン・リーグやスパイス・ガールズからプリンスまで、何でもありだったのである。

これはポップが完全にくだらないものではありえない、という意味ではない。けれども1曲の優れたポップソングには大地に落ちて実を結ぶだけの重みがあるが、千ものひどいポップソングは何の価値もなく、愛されもせず、認められもせず、風に舞う埃のようにどこかへ飛んでいってしまうのだ。そしてバリー・ギブは過去50年の間にポップソングの比類なき巨大な森を作り上げたのである。

バリーと弟たちは1967年にイギリスに戻り、まだティーンエージャーだったのに次々にヒット曲を書き上げた(訳注 実際には1946年生まれのバリーはイギリスに戻った段階では20歳を過ぎていました)。それ以前に彼らはマン島とマンチェスターで育ち、オーストラリアに移住するという、一風変わった子ども時代を過ごしている。オーストラリアに移り住んだのは、いたずらばかりしている息子たちが法律と厄介を起こすことを家族が恐れたためだ。「ラヴ・サムバディ」「獄中の手紙」「ワーズ」など当時の彼らの世界的ヒットの価値は、どれだけ多く頻繁にカバーされているかが示している。特に、当時のヒットが持つ、子どもらしいとさえいえるイノセントな苦悩に目をつけたボーイ・バンドの面々が、続々とビー・ジーズの曲をカバーしてきた。この苦悩は学校を出たばかりの3人の悩み多い少年たちが感じた辛さと解釈できる。

こうしてビートルズみたいな大成功を遂げておいて、1970年初頭の彼らは兄弟げんかをくりひろげ、あげくに、グループとしてもソロとしても全員がぽしゃり、おおむね愛されることのないレコードを作った。例外はアル・グリーンがカバーした「傷心の日々」などだ。牧師でもあったグリーンが1曲でも歌ってくださったとあればーーしかもそれが素晴らしいバージョンなのだーーソウル音楽としてはお墨付きである。

「ジャイブ・トーキン」「ファニー」「ブロードウェイの夜」(キャンディ・ステイトンのカバーが秀逸)などが入った1975年のアルバム『メイン・コース』で商業的な意味でカムバックの兆しが見えたと同時に、バリーはファルセットを見出す。これは宝箱の鍵を見つけたようなものだったが、同時にバリーと弟たちが巨万の富を数えながらバカにされる原因ともなった。

次のアルバム『チルドレン・オブ・ザ・ワールド』で登場するのが、ファルセットと並んでよくも悪くも彼らの代名詞となったルックが登場する。前をはだけたジャケットに大ぶりのメダル、風になびく髪、遠くを見るような眼、そしてあの目立つ歯並び。あの歯並びがいつもむき出しになっていて、まるで3人が絶えず何かの痛みにさらされているみたいだった。おそらくこれは事実とそう遠くない。バリー・ギブが書く曲はどれも絶好調の歌ではない。彼らのディスコ曲の多くには、胸の奥深くから出てきたような生まれついての悲しみが宿っている。けれどもビー・ジーズは、プライベートで、高い防壁をめぐらせ、やや偏執的なところのある閉じられたファミリー・ユニットであったために、さまざまな疑問への答えは出ていない。

4500万枚を売り上げた『サタデー・ナイト・フィーバー』については、ほぼ語りつくされたと言って良い。「恋のナイト・フィーヴァー」は気分があがる曲でもあれば、悲しみに満ちた曲でもある。「愛はきらめきの中に」は、フェンダー・ローズ・ピアノのメロディとベースを何層にも華麗に重ねて、豪華なスパで絶望的な恋をするような曲だ。その商業的成功の絶頂において、ビー・ジーズは(やり手マネージャーのロバート・スティグウッド、さらには同じぐらい混乱して後悔の念にまみれた数多のミュージシャンや俳優たちと一緒になって)ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の創作映画バージョンを作った。なぜこの映画が作られたのか、きちんと説明できる者などこの世にもあの世にも皆無である。今となってはかなり難しいが、もしこの映画が手に入ったら見てみるといいけれど、かなり見つけにくいんじゃないかと思う。

まあ、とにかく。ボブ・スタンレーがポピュラー音楽に対する百科事典風のラブレターともいうべき著書『Yeah Yeah Yeah』の中で指摘しているように、ビー・ジーズは1978年にアメリカのチャート1位の曲を8曲書き、プロデュースしている。ビー・ジーズとして4曲、弟のアンディ・ギブに提供した2曲、そして映画『グリース』のテーマ曲と『サタデー・ナイト・フィーバー』からイヴォンヌ・エリマンの「アイ・キャント・ハヴ・ユー」だ。同じ年、バリーはサマンサ・サングのために「エモーション」も書いている。(この曲はデスティニーズ・チャイルドがカバーしている)バリー・ギブは4つの違う曲を連続して米チャート1位に送り込んだ唯一のライターである。

1979年の『失われた愛の世界(Spirits Having Flown)』の時に急激な反動が始まった。(もっともこのアルバムは3千万枚売れている。反動としてはなかなかけっこうじゃないか)このアルバムにもスマッシュ・ヒットが何曲も入っていたが、同時にこれは彼ら本来のナンセンスでシュールな側面が成層圏のはるかかなたまで突き進められたというとんでもないアルバムでもあった。このアルバム以降、彼らは嫌われるか、故意に無視されるか、という道を歩み、八面六臂の大活躍の代価を支払った。アメリカのラジオ局は「ノー・ビー・ジーズ・デー」なるものを打ち出したりした。ケニー・エヴェレットは自分の番組でビー・ジーズの物まねで笑いをとり、アンガス・ディートン率いるヒー・ビー・ジー・ビーズなるパロディ・バンドはリチャード・カーティスと共作した「Meaningless Songs (In Very High Voices)(非常な高音で歌われている)無意味な歌」など一連のシングルを発表した。

しかしバリーは前進し続けた。世界中がビー・ジーズに背を向けたというなら、他のアーティストに曲を提供すればいい。こうして生まれた曲はたぶん聞いたことがない人はいないはずだ。ディオンヌ・ワーウィックは、バート・バカラックに曲を書いてもらえなくなったので、バリーや弟たちに「ハートブレイカー」と「All The Love In the World」を書いてもらった。バーブラ・ストライサンドは1980年のアルバム『ギルティ』のライター/プロデューサー役をバリーにしてもらった。タイトル曲の「ギルティ」と「ウーマン・イン・ラヴ」は真に傑作である。また、ドリー・パートンとケニー・ロジャースに提供した魅力あふれる「アイランズ・イン・ザ・ストリーム」は世代とジャンルの違いを超えて愛される、ポップの書き手なら誰もが追い求めるような曲だ。

ビー・ジーズは80年代にも、自分たちで歌った曲、他のアーティストに提供した曲で、さらにナンバーワン・ヒットを飛ばしている。それでも彼らはバカにされ続けた。クライヴ・アンダーソンのチャット・ショーに出演した時にはアンダーソンがあまりに失礼な態度をとったので、ビー・ジーズは途中で席を立っている。アンダーソンはしょんぼりとし、ビー・ジーズはいっそう怒りっぽく疑り深くなった。どうして、おれたちはしかるべき尊敬を受けられないのだろう、と彼らは思ったに違いない。彼らは終始まじめで遠慮がちだった。気難しく謎めいていたり、とぼけて愛嬌をふりまいたりはしなかった。彼らは内輪以外ではどんなキャラなのか、ほとんど知られておらず、わからなかった。けれどもバリーの2017年のグラストンベリーのセットはしかるべき成功をおさめ、2018年には当然の爵位も授けられた。認められ、尊敬されることが時として困難だったバリーだが、本当はもっとずっと認められ、尊敬されてしかるべきなのだ。ポール・マッカートニーとともに、バリー・ギブはその音楽で現存の誰よりも多くの人たちにたくさんの喜びを与えてきたのである。バリーは王者、引退したライオン・キングだ。

by George Chesterton

これはなかなか深い愛情あふれる分析です。「バリー」と書かれた個所を「ビー・ジーズ」あるいは「バリー、ロビン&モーリス・ギブ」と置き換えても良いでしょう。しかし何度も書きましたが、この期に及んでまだ「しかるべき尊敬を受けていない」、「もっと評価されていい」という話題が続くというところが、ビー・ジーズの難しいところです。

これはGQ誌のイギリス版に掲載されたので、内容的にはアメリカでは話題になりにくいクライヴ・アンダーソンのショーのことなどが出てきます。クライヴ・アンダーソンはイギリスで人気のトークショーでした。ビー・ジーズが出演して、途中で席を立ったエピソードは見るとつらい気持ちになります。クライヴ・アンダーソンにも悪気はなかったように見えるので、それも見ていてつらいところです。

上の記事で特にいいなと思ったのは、彼らの場合、ディスコ曲(おバカで楽しい音楽、と切り捨てる向きもいる)にさえも深い悲しみがあふれている、という指摘と、60年代後半の音楽には若くして世に出た3人の若者が感じた辛さが反映されている、という意見です。バリーはロビンのことを「めちゃくちゃ面白いと同時に誰よりも悲しい両極端の二面性を持った人間」だったと表現したことがありましたが、ビー・ジーズというグループにもこの二面性がつきまとっています。つい最近「気分があがる曲」にランクインした「ステイン・アライヴ」でさえ、この世に行き場のない人間の痛みを歌った曲だったりします。それでいて、その悲しい歌詞を持った曲が同時に生きることの糧ともなる強靭さも備えていることには、誰しも異論はないでしょう。

ところでバリーはまだ「引退」はしてないですよね! ニューアルバムについての続報が待たれますね(にこにこ)。

{Bee Gees Days}

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