【1975年8月英紙】「正道(メイン・コース)に立ち返ったビー・ジーズ」

英サウンズ紙1975年8月9日号より

『メイン・コース』特集

の続きです。

『メイン・コース』発売後、全米ツアー中のビー・ジーズに取材して書かれた記事「正道に立ち返ったビー・ジーズ(Back on Course with the Bee Gees)」を以下にざっとご紹介します。イギリスの音楽新聞サウンズ(Sounds)の1975年8月9日号に掲載されたもので、筆者は音楽ジャーナリストのチャーリー・バーマントです。

ジャック・ブルースは、ビー・ジーズを素晴らしい黒人のニューグループだと思った。はたしてそれはなぜか、チャーリー・バーマントがその理由に迫る。

バリー・ギブはうれしそうだ。ビー・ジーズのニューアルバム『メイン・コース』が好評とあっては当然だろう。アルバムからの第一弾シングル「ジャイヴ・トーキン」は1972年の「ラン・トゥ・ミー」以来の大ヒットになりそうだ。

今回のアルバムには「完璧にやられた、って感じ」だとバリーは語る。「自分でもカセットプレーヤーに入れっぱなしなんです」 それもそのはず。『メイン・コース』は大好評で、1975年最高のアルバムのひとつと言われており、商業面だけでなく芸術性においても高く評価されているのである。

「いま、ぼくたちはこれまでで一番いい音楽にとりかかっている。だからメイン・コースっていうんです。それから”正道”に立ち返ったという意味もあります」最近のアメリカ・ツアーの手ごたえに見るかぎり、たしかにビー・ジーズは1969年からの2年間の解散以前に持っていた商業的な勢いを取り戻す方向に向かっているのは間違いない。

実験

『メイン・コース』の大半は今流行りの“ディスコ”の影響を受けているが、単なる物まねでもないし、妥協してビー・ジーズ本来のスタイルを犠牲にしているわけでもない。

「ソングバード」「カム・オン・オーヴァー」は、典型的なかつてのビー・ジーズ・サウンドの曲で、メロディが美しい。「ブロードウェイの夜」「ウィンド・オブ・チェンジ」などR&B調の曲は、新しいスタイルの実験が成功した結果だ。

「アメリカでレコーディングしたのも良かった」とバリーはいう。「アルバムの曲を書いたときに、いまどんな曲が求められているのかを知ろうと思って、ラジオをいっぱい聴きました。今の主流はソウル、R&B、ディスコなので、その方向に転換したんです。そういう音楽がまわりにあふれている環境にいると、ぼくたちもやってみたいな、と思う。そして、どうせやるなら、きちんとやりたい」

革新的

『メイン・コース』の新機軸は新スタイルの導入だけではない。ビー・ジーズは傑出したボーカルでも知られており、三兄弟の滑らかなハーモニーがグループの長所だ。バリーとロビンが(時にヴァースの途中で)リードボーカルを交代しても、あまりすんなりと移行するので、いろいろな歌い方のできるひとりのボーカリストが連続して歌っているように聞こえてしまう。

このアルバムではビー・ジーズは声を使った新しい試みをしている。「金切り声」のようなボーカルが通常のビー・ジーズのハーモニーを補強しているのだが、いくつかの曲で聴かれるこの「金切り声」のボーカルは実はバリーなのだ。これはボーカリストがもうひとり増えたんじゃないかと、一部では誤解されたぐらいである。

アルバムを締めくくる「ベイビー・アズ・ユー・ターン・アウェイ」ではバリーがヴァース全体をファルセットで歌っている。彼自身、こんなことができるとは去年まで思ってもいなかったそうだ。

ボーカルとインストゥルメンタル(ストリングスではなくシンセサイザーが前面に出た)の実験に加えて、この新しいスタイルを導入したことで、『メイン・コース』はビー・ジーズにとって、ロックのジャンルにオーケストラを持ち込んだアルバムのひとつといわれる1967年の『ビー・ジーズ・ファースト』以来のもっとも革新的なアルバムになっている。

前作『Mr. Natural』は、むらのある傑作だった。ヒット性はあるがヒットしなかったタイトル曲や(ステープル・シンガーズがカバーした)「ギヴ・ア・ハンド・テイク・ア・ハンド」、それに極上のコーラスが聴ける「昨夜の愛」が入っている。「あれは実験的な曲だった」とバリー。「できるかぎりいろいろなハーモニーを試したかったんです」

ビー・ジーズにはそういうアルバムが多いが、『Mr. Natural』もすごい曲が何曲か、「良い」曲が何曲か入ってはいるけれど、全体としてはもっと高いレベルに行けそうなのに結局はそこまで行かずに終わっていた。モーリス・ギブは『Mr. Natural』を「単なる『メイン・コース』の前振り」というが、バリーの考えは違う。

「『Mr. Natural』は、作ったけれど自分でもきちんと聴かなかったアルバムです。自分で自分のアルバムを聴かないとしたら、何かがまずい。自分でも聴かないんだったら、他の人だって聴くとはかぎらない。実は『Mr. Natural』にも良い曲が何曲か入っているんだけど、ヒット曲として出色のものはなかった

自己評価

「『Mr. Natural』を完成したあと、家に戻ったときに、ちょうどいいハイファイ・セットがなかったので、自宅ではかけなかったんです。で、そのままひと月が過ぎたら、かけるのを忘れちゃってた。今度の『メイン・コース』はかけっぱなしで、これまでの誰のレコードよりももっと聴いています」

これは自画自賛だろうか。いや、むしろ現実的な自己評価だろう。

『Mr. Natural』同様、『メイン・コース』も御大アリフ・マーディン(現在、ビー・ジーズ以外でもアヴェレイジ・ホワイト・バンドの「カット・ザ・ケイク」をチャート入りさせている)のプロデュースだ。サウンド・スーパーバイザーとして、何が最終的にテープに残るかについてはマーディンも同等の発言権を持っている。

これまでのツアーでのビー・ジーズはフルオーケストラを伴っているという点がユニークなグループだった。ストリングスの使用パフォーマンスに深みと厚みを加え、オーケストラをバックにしたロックンローラーというのもそれまでに見たことがない眺めでもあった。

しかし今回のツアーではバンドをサポートしているのは6人編成のブラス・セクションだけだ。これまでオーケストラが果たしてきた役割は、ストローブス、モット・ザ・フープル、ハンター/ロンソンで演奏してきたキーボーディストのブルー・ウィーヴァーのシンセサイザーによるストリングスが担っている。

確かにオーケストラほどの深みはない。シンセサイザーにはオーケストラほどの説得力もない。だが、代役は立派に果たしている。バンドはこちらまで熱くなるような熱い演奏を聴かせてくれて、コンサート会場で聴くとレコード以上の勢いがある。

「今回はバンドだけで、バンドにできることをやっている」とバリー。「ストリング・シンセサイザーやムーグとか、いろいろと使っているけれど、いまなら実験ができるんです。以前はムーグを試す余裕がなかったけれど、いまはその余裕がある。楽器はあくまで楽器で、できることにかぎりがありますが、ムーグならいろんなことができるんです」

ギタリストのアラン・ケンドールは、ギブ兄弟と一緒にレコーディングするようになってほぼ5年、ビー・ジーズのラインアップの重要な一員だ。素晴らしいソロを聴かせることも多いのに、ふだんは目立たない。ビー・ジーズはギター・バンドではないからだ。彼はあくまでバック。バリー・ギブはケンドールがソロを聴かせる間は観客に背を向けることで知られている(このぐらいのごまかしは許されるだろう)。

ダイナマイト

「ノー・コメント」の達人ケンドールは、「演奏しなくちゃいけないので」とだけ。もうひとりのバンド・メンバーはドラマーのデニス・ブライオン。ブルー・ウィーヴァ―とともにエーメン・コーナーに在籍した経歴を持つ彼は1972年以来ビー・ジーズと一緒に演奏している。

ライヴはおなじみの曲とニューアルバムからの選曲で成り立っている。

コンサートの途中で、バックバンドは退き、ギブ兄弟だけが「ニューヨーク炭鉱の悲劇」「ホリデイ」「傷心の日々」「ラン・トゥ・ミー」など、一番人気の高いナンバーをメドレーで歌う。

幸い『メイン・コース』でビー・ジーズは確実に生き残りそうだ。彼らの近作アルバムの中では一番よく売れている(「ジャイヴ・トーキン」は全米シングル・チャートに22位初登場)が、別の意味でも音楽業界に反響を呼んでいる。

ケン・ラッセルの『リストマニア』にも出演した俳優のデヴィッド・イングリッシュは最近のツアーにスタッフとして参加している。「ビー・ジーズの音楽が好きだし、友だちだから」という理由だ。

イングリッシュは『メイン・コース』への反応について、こんなエピソードを嬉しそうに語ってくれた。「こないだの夜、パーティがあって、ロバート・スティグウッドのアパートにストーンズも来てた。ロバートは誰のアルバムかは言わないで『メイン・コース』をかけたんだよね。そしたらミック・ジャガーが『これ、すげえダイナマイトじゃん。新人グループかい?』だってさ」

こうした興奮はすべて、ビー・ジーズが「トップ40専門」のグループとしてのイメージを払拭して、「プログレッシヴ」なアーティストとして認められてきているということだ。だいたい、こんな風に区分すること自体が変で、趣味に照らして「いい」か「悪い」かの区別しかないはずなのだが。とはいえ、聴いて楽しい音楽、あるいは「素朴な」聴き手にアピールする音楽は、すべて「ミーハー/子ども向けの音楽」であるという不当な判定を下す皮肉な評論家の一派が存在するのである。

ミーハー向けの音楽

「といわれる理由はわからなくもありません」とバリー。「でも個人的には、ぼくたちはそれよりずっと複雑なことをやっていると思う。ぼくたち自身は自分たちの音楽は良いと信じているし、それ以外の区分なんてないと思っている」

『メイン・コース』をどの区分に入れるかは難しい。冒険心に富む挑戦的なアルバムだし、ビー・ジーズを単に「甘ったるいだけ」の音楽と片付けてきた人間たちも、これで道理をわきまえるようになるかもしれない。同時に、『メイン・コース』には、最近の音楽界の潮流である“複雑さのための複雑さ”とでもいうべきところがまったくない。『メイン・コース』は単細胞的ではない、だけど楽しめる、ほとんど何の苦もなく楽しめる音楽だ。

秋には、ビー・ジーズは『The Bull On The Barroom Floor(酒場の牡牛)』という長編映画の撮影を予定している。「一種のウェスタン」だとバリーは説明してくれた。「3人のイギリス青年の話で、3人は西部劇時代のアメリカに移住するけど、仕事仲間として牛を連れて行くんです。すごいハイペースの映画です。ここ何年かなかったような“チェース(追跡)映画”です。『おかしなおかしなおかしな世界』みたいな感じ」

「ぼくたちは歌は歌わないけれど、テーマソングはたぶん自分たちで書くと思う」とモーリス。「西部劇のかっこうをしたりするんですよね。町でやっかい事が持ち上がって、幌馬車隊から盗もうとする人間がいたりして…」

ホテルから2ブロックぐらいのところで上映されている『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』は見ましたか?(同じようなナンセンス・コメディみたいだし…)「時間がなくて…ツアーの途中だし…」

筆者のチャーリー・バーマントはローリング・ストーン誌などにも書いているアメリカの音楽ジャーナリストなので、どうもこの記事はアメリカ公演の途中、ニューヨークあたりでホテルに滞在中のビー・ジーズに取材して書かれたようです。バリーがメインに取材に応じ、あとはモーリス(途中参加?)、バンドのメンバーやデヴィッド・イングリッシュ。ロビンがまったく参加していないようなのは、(よくあることですが)たぶん寝てたんじゃないかと。アメリカ取材の場合、イギリスに家があったロビンはイギリスに帰っていて留守だったということも考えられますが、ツアーの最中だという発言がありますから、それはないでしょう。

これはとてもしっかり書かれた、しかも好意的な記事で、この段階ですでにビー・ジーズは「シングル・ヒット(トップ40)向けのグループ」という評価を受け、「小難しさの欠如=中身のない音楽」というレッテルにも悩んでいたことが示唆されています。日本でここまでしっかり分析されることは珍しく、売上やチャート情報を出して「世界でもっとも売れたバンドのひとつ」と(いわゆる商業面の強さを)持ち上げるばかりだったり、この記事中にも書かれているように「ミーハーや子ども向けの無内容な音楽」という枠から抜け出す視点がない妙に上から目線の論調が目立つものあり、きちんと検証する記事ってめったに(婉曲表現)書かれていないのは、いかにも残念です。

ところでビー・ジーズが映画に出る話はこの記事中でも話題に出ている西部劇のほか、68年ごろ企画されていた音楽コメディ『Lord Kitchener’s Little Drummer Boys』、それに72年ごろリドリー・スコットが監督する予定だった劇映画『Castle X』などがありましたが、どれも実現せず、実現したのは本人たちでさえ語りたがらなかった超キッチュな(婉曲表現)『Sgt.Pepper』だけだったというのは何度も書きましたが本当に残念過ぎます。

サウンズ紙は最近見かけないと思っていた(だいたい、もう紙媒体の音楽紙を見ないというのが本当のところですが)ら、90年代初めに廃刊されていました。70年代は音楽ジャーナリズムの最盛期ともいわれていましたが、そういう意味では良い時代を経験できたといえそうです。

最後に、筆者もビー・ジーズをよく理解し、きちんと論評しているこの記事ですが、ひとつ大きな間違いがあります。この記事だとアラン・ケンドールがギターソロを演奏しているあいだ、バリーが観客に背を向けるのは自分が弾いていると見せかけるためみたいに読めますが、実際はソロをとるケンドールにはスポットライトがあたっており、誰が弾いているかは一目瞭然です。バリーはアラン・ケンドールに花を持たせるため(間違ってもバリーにファンの声援が集まったりしないようにするため)にあえて観客に背を向けているのだと思いますよね。

{Bee Gees Days}

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