【1988年3月】タイムズ紙アンディ・ギブ死亡記事
【アンディ・ギブ特集】1988年3月、早過ぎた死の数日後、タイムズ紙に掲載された死亡記事。
以下に簡単にまとめてご紹介します。
ギブ兄弟の末っ子、極貧状態での死
木曜日に英国で亡くなったアンディ・ギブ(享年30歳)は、1970年代に、ポップ・シンガーとして流れ星のように短く華やかなキャリアを誇り、一時は兄であるビー・ジーズと並ぶほどの人気を確立するのではないかとまで言われていた。
しかし金と成功の行き着いた先は、ドラッグ中毒と破産、そしてオックスフォードの病院での死だった。今週、腹痛を訴えて入院したアンディは、長年のコカイン濫用に起因する心不全によって死亡したものと見られる。母親のバーバラさんが、死亡時に付き添っていた。昨日、検死が行われた。
アンディ・ギブは1958年3月5日、マンチェスター生れ。6歳の時に家族そろってオーストラリアに移住、同地で育ったが、1967年に家族とともにイギリスに戻った。最終学歴はイギリス。もっとも13歳ぐらいで次第に登校しなくなっていた。1976年にオーストラリアにもどり、ベイ・シティ・ローラーズの前座などをつとめた。
ビー・ジーズの影に隠れて、個性の確立に苦しんだが、1978年にアルバム『シャドウ・ダンシング』のタイトル・トラックがシングルヒットして大ブレイク。シングル「シャドウ・ダンシング」は全米チャート1位に輝き、ジョン・トラボルタがフィーバー旋風を巻き起こした映画『グリース』『サタデー・ナイト・フィーバー』(後者にはアンディ・ギブの兄たちが参加)によるディスコ音楽人気の流れにのって、長期にわたってチャートインし続ける大ヒットとなった。
ビー・ジーズと声も良く似ていたが、その人気はボーカリストとしてのものだけではなかった。端正な顔立ち、流れるようなブロンドの髪、しなやかな体つきなどで、男性版ファラ・フォーセット=メジャースともいえる、日に焼けた健康なセックス・アピールを発揮、若いファンを熱狂させた。
特に1970年代後半、ビー・ジーズとアンディがマイアミに拠点を定めたアメリカでは大人気を誇り、「シャドー・ダンシング」に続いて、「恋のときめき」「愛の面影」もヒット。(訳注: 実際には「恋のときめき」「愛の面影」「シャドー・ダンシング」の順) ほとんど一晩にして百万長者になったアンディ・ギブは、ボートをいくつも買い、近くに行くにもリムジンをレンタル、遠距離移動にはプライベート・ジェットをレンタルするなど、散財に走った。
しかしわずか2年半で、突然、ヒットも出なくなり、連続ドラマ『ダラス』のスター女優ヴィクトリア・プリンシパルとの破局後にはドラッグへの依存が始まり、1日1000ドルをコカインに費やすまでになった。デトックス・クリニックに2回入院したが、凋落に歯止めはかからなかった。財産を蕩尽したアンディは光熱費、食費を賄うために兄たちから決まった額を与えられて暮らすようになる。
死亡時には破産しており、極貧状態だったが、自ら現状を認めて、新たなスタートを切ろうとしていると思われていた。
アンディ自身は、昨年アメリカのテレビショーをクビになった後、ドラッグ常習に加えてノイローゼにかかっていた、とインタビューで語っている。1978年に離婚した前妻キムとの間に娘ピータがいる。
ビー・ジーズの古くからのファンには、年の離れた弟として60年代から存在を知られていたアンディですが、突然のスターダム、破滅への急な下り階段は、こうして読むと、いやどう読んでも、いっそう悲しいものがあります。
忘れ形見のピータさんは、今回の第二世代によるトリビュート・アルバムに参加して、美しく成長した姿を見せてくれています。
{Bee Gees Days}
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