【Rolling Stone誌1977年6月】『ビー・ジーズ グレイテスト・ライヴ』アルバムレビュー

”ビー・ジーズのイマジネーションの真髄はヴォーカルで、この価値ある要素は彼らがザ・ビートルズから引き出したものだ”

辛口で知られる音楽評論家のデイヴ・マーシュ(Creem誌やこのRolling Stone誌などに書いていました)がRolling Stone誌1977年6月30日号に書いた『ビー・ジーズ グレイテスト・ライヴ』のアルバム・レビューをご紹介します。

ビー・ジーズに触れる歓び

ザ・ビートルズ抜きでビー・ジーズについて考えるのは、ジャクソン・ファイヴ抜きでオズモンズを想像するのと同じぐらい無理な話だ。現在の目くるめくディスコ人気の最中では忘れてしまいがちだが、実はビー・ジーズはブライアン・エプスタインその人の肝いりでデビューした元祖真似っ子ビートルズだったのである。だからビー・ジーズのライヴアルバムがザ・ビートルズのライヴ(訳注 後出の『The Beatles at the Hollywood Bowl』)とほぼ同時に発売されたのもごく当然といえる。この二つのライヴアルバムの対照ぶりから見えてくるのは、ザ・ビートルズとは何者であったのか(94ページのジョン・スウェンソンの記事を参照してほしい)、そしてショービジネスの世界がザ・ビートルズを何者であると見なしていたのか、という点だ。

ザ・ビートルズがいなかったら、バリーとモーリスは片やギタリスト、片やベーシストとしてステージに立つことはなかっただろう。彼らのイマジネーションの真髄はヴォーカルとクリーンでしっかりしたプロダクションだ。こうした重要な要素自体がザ・ビートルズから派生したものではあるのだが、何しろまず『The Beatles at the Hollywood Bowl』の真髄である騒音を取り除いた上でのことである。『ビー・ジーズ グレイテスト・ライヴ』ほどタイトでクリアな音のライヴ・ポップ・アルバムなどめったにお目にかかったことがないが、同時にこれほどロックンロール度の低いアルバムにもめったにお目にかかったことがない。「ニューヨーク炭鉱の悲劇」のような曲はかつてはずいぶんビートルズ風に聞えたものだが、『ハリウッドボウル』には「ニューヨーク炭鉱」風のところは皆無であり、ザ・ビートルズが『ハリウッド・ボウル』でやったことをビー・ジーズははなから無視している。これは批判ではない。これはビートやパワーとは無縁の世界なのだ。ビー・ジーズやショービジネス界の彼らの同胞たちにとって、ザ・ビートルズのサウンドは、好きな部分をほんの一部だけ拝借する対象である。そっくり全部とはいかないのだから。

また、ああいうむきだしのパワーがなくても、そんなに残念でもないのだ。オープニングの「獄中の手紙」から4面後に来るクロージングのディスコ調の曲「ジャイヴ・トーキン」にいたるまで、ビー・ジーズは技量の限りを尽くしている。「ブロードウェイの夜」は「ジョーク」とペアになっているが、どちらも信じられないほどきっちりと演奏され歌われている。実際、「ホリデイ」ではすごいハーモニーに力が傾注されるあまり、感情面が二の次になっているぐらいだ。こうした曲のタイミングはどれも絶妙であり、ライヴでストリングスを見事に使いこなすだけのイマジネーションと抑制力を持つポップ・グループがここに初めて登場したのである。だいたいのポップグループはストリングスを使うとデロンデロンになってしまうのに、彼らの場合はスコアリングが実にしっかりしている。基本的にオリジナルをシンプルにしたアレンジなので、「誰も見えない」などはジェームス・テーラーが書いた曲のようだ。マッカートニーにはなれなかった歌い手たち(エリック・カルメンやヘンリー・グロスなど)も、むきだしのパワー信者たちも、誰ひとりとしてこれほど見事に演奏することはできまい。

ザ・ビートルズは必ずしもロックンロールを救済はしなかったが、ショービジネスを助けはしたかもしれない。ザ・ビートルズがいなかったら、ビー・ジーズもステージのプレゼンテーションにあれほど気を遣う必要もなく、私たちの方は、このすごく見事に作られたコンサート・レコーディングではなく、悪趣味なシロモノをつかまされていたかもしれない。けれどもショービジネスはザ・ビートルズとの出会いを経てもごくわずかしか変化しなかったようだ。それはアンディ・ギブのアルバム『Flowing Rivers』でわかる。スポンサーである兄貴たちの存在なしにこのアルバムを想像するのは、小さなジミー・オズモンドを兄さんたち抜きで想像しようとするのと同じぐらい無理な話である。

アンディは兄貴たちに助けられている。アルバム中で一番出来が良い2曲はバリーが書いた(あるいは共作した)もので、バリーはプロデュースし、ヴォーカルも提供している。少なからずビー・ジーズに似たサウンドだが、2人の声は3人の声には及ばない。あとの曲は『ビー・ジーズ グレイテスト・ライヴ』のまたいとこみたいな感じだが、美しさでははるかに劣る。(これもむろんザ・ビートルズから派生した)あのハーモニーなしでは、ギブの音楽はさほどのものではない。もっとも、これは最近のレコードの大半についても言えることなのだが。

(デイヴ・マーシュ)

昨日の記事(ビー・ジーズ大攻勢)を訳していて、ちょっとハッと意表を突かれる思いがしたのは、「15年前のザ・ビートルズのアメリカ進出以来」という表現でした。そうだ、70年代にはまだザ・ビートルズは”歴史上のグループ”というより、”この間まで存在していたグループ”だったんだという感慨のようなものです。

だから60年代、70年代のビー・ジーズが語られるときに、歴史上のタイミングからいってザ・ビートルズが引き合いに出されるのは当然だったわけですね。このD・マーシュの論考もビー・ジーズよりもザ・ビートルズについて語っているようにさえ思われるところが面白い(というか、ひょっとして面白くなくもある?(笑))。

それにしても力の入ったレビューではあります。日本の一部の音楽誌やアメリカならティーン雑誌にあるようなべた褒め一辺倒でもないし、筆者の価値観に立脚してダメだしもしつつ、真剣にビー・ジーズの立ち位置を論じています。マーシュ氏にとって、そのビー・ジーズの立ち位置とは、

1.ロックンロールでもロックでもなく、ショービジネスである。
2.技術力が素晴らしい。
3.なんといってもヴォーカル・ハーモニーに秀でているが、それはザ・ビートルズの影響から生まれたものだ。

という3点に集約されるでしょうか。

1と2については100パーセントではありませんがおおむね賛成です。3については異論があります。彼らは兄弟であり、ザ・ビートルズがデビューするはるか以前からスリーパート・ハーモニーで歌っており、そこにはミルス・ブラザーズやアンドリュー・シスターズ、エヴァリー・ブラザーズ等々の影響も大きいからです。同時に下にも書きますが、私は(少数派かもしれませんが)彼らの真髄が「ハーモニー」だとは思っていません。「ハーモニー」は彼らの類いまれなる技術力のあらわれのひとつだと思っています。

もっとも彼らがザ・ビートルズ風のグループとして売り出されたというのはその通りで、ドラム(コリン・ピーターセン)とリードギター(ヴィンス・メローニー)を加えてバンドとして売り出されたのはザ・ビートルズ以来業界にあふれていたグループ構成を狙ってのものだったからです。ですから、彼らが「元祖真似っこ」として売り出されたという表現にはそれなりの真実があり、誹謗としての意図はないでしょう。でも、ビー・ジーズにはそうしたマネージメントの思惑を超えた可能性と個性と実力があったからこそ、彼らの長い物語が今日まで続いているわけですよね。

1の「ショービジネス」については他でも書きましたが、これが根幹にあると同時に、個性的で実験性の高いグループだったところがビー・ジーズというグループの複雑さであると思っています。これについてはまた別の機会にもっと書きたいと思います。

ひとつ大きく反論したいのは、「ホリデイ」のハーモニーが素晴らしいあまり、「感情面が二の次になっていた」という指摘です。この同じツアーのNY公演を見た英NME紙の記者も「あまりにも手慣れていた」というような感想を述べています(ビー・ジーズ、ニューヨークでチャリティ・コンサートを実施)が、個人的にはビー・ジーズの大きな魅力はハーモニー以上にその「感情の表出力」であると思っています。

デイヴ・マーシュは”パンクロック”という呼び名の発明者のひとりとして知られている(Wikipedia情報)そうですが、そのパンクロックの雄であったセックス・ピストルズのジョン・ライドンがビー・ジーズの大ファンであり、「ロビン・ギブは心を切り開いて聴く人の前に差し出すように歌っている」と評しています。個人的にはマーシュ氏よりジョン・ライドンの方が彼らの本質をとらえていると思いますね~(笑)。

それにしてもこの記事が書かれたのはフィーバー以前なのです。この先にまだまだ大きな山があるということをたぶん誰ひとり知らなかったことでしょう。デイヴ・マーシュも、そしてまたビー・ジーズたち本人も。

{Bee Gees Days}

 

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