【Variety誌 2021.1.11】「今後はカントリーをやりたい」 バリー・ギブ・ロング・インタビュー
Variety誌(オンライン版2021年1月11日)にとても内容の濃いバリーのロング・インタビューが掲載されましたので、ざっとご紹介します。
「世の中のありさまを見てくださいよ」と、バリー・ギブが発言したのは、ドナルド・トランプが合衆国政府に対して起こした先日の騒ぎに端を発するここ数日の動きについて話題にしていた時だ。しかし、このレジェンドにして最後のビー・ジーズは、深いため息とともに、弟たち、アンディ、モーリス、ロビンの死について、兄弟であることの喜びと苦しみ、長いキャリア(ビー・ジーズは1958年にスタートした)の浮き沈みとサウンド変化、そして彼の人生における最新プロジェクトであるHBOのドキュメンタリー『The Bee Gees:How Can You Mend A Broken Heart』と新しい(一種の)ソロ・アルバム『グリーンフィールズ:ザ・ギブ・ブラザーズ・ソングブック Vol. 1』について話してくれた。
「人びとはリアルな歌、リアルな思いを感じたいと願い、さらにそこに少しばかりのロマンスと、この社会から失われてしまったセンチメンタリティを求めているのです」と、弟たちとの来し方をやさしく振り返るアルバム『グリーンフィールズ』 についてバリーは語る。「いまだに人びとは忘れがたい歌を求めています。それがぼくの目標です――音楽が忘れ去られないようにすること。ぼくたちのことは忘れてしまっても、歌を覚えていてほしい」
この最新作には、若いころに受けたカントリーからの影響がいっぱいで、ナッシュヴィルに新風を吹き込んだプロデューサーのデイヴ・コブとブランディ・カーライル、ジェイソン・イズベル、キース・アーバンといったデュエット相手の力も加わり、バリーは大いに誇らしそうだ。
「とにかくぼくはカントリー歌手なんです」とバリーは淡々と語る。「これからは音楽に携わるかぎり、カントリーをやるつもりです」
Variety誌:まだHBOのドキュメンタリーは観ていないということですが、製作に参加して詳細なインタビューはされましたよね。それはまたなぜ?
バリー: 当然のことです。するべきことは全部しましたし、ぼくたちの、ぼくと弟たちの人生で何があったのか、ぼくが思っている通りに伝えました。ただ、家族が目の前からだんだんと消えていく状況を目の当たりに観るというのは無理です。そういうことです。とにかくコメントだけはしたので、みんなが楽しんでくれれば、と思っています。びっくりするほど反響があって、とても幸せです。
映画では、『サタデー・ナイト・フィーバー』や『サージャント・ペッパー』後にビー・ジーズが嘗めた反動体験についてあまり掘り下げられていませんが、映画の作り手側は、ビー・ジーズのものも含めてダンス音楽のレコードが燃やされた背景には潜在的なゲイ・ヘイトや人種差別があったという立場をとっていますね。あなた自身の考えは?
そこにも真実の一端はあると思います。人種差別だったとか、ゲイ差別だったとかぼくが言うのはどうかと思いますが、何かしようとしていた人がいたことは確かです。音楽は独自の進化を遂げるものです。どうしてそんなことをしようとした人がいたのか、ぼくにはわかりません。ああいうことがあって以来、あまり考えたことはありませんが、対象になったアーティストはぼくたちだけではなかった。ぼくはレコードを燃やすのは焚書のようなものだと思います。そんなことをする権利があると考える時点で、すでに社会的な問題です。とはいえ、今は、あまりそのことについては考えません。40年も前のことですからね。40年前のことで良かったですよ。
『グリーンフィールズ』からは、カントリーとブルーグラスに対する愛情の他に、あなたが自然であることと今日性とをどんなに大切にしているかということが伝わってきます。大変に今日的なアルバムであると思います。
やれるだけのエネルギーがあるかぎり、何にでも挑戦する気があります。30歳以下なら、動物的なエネルギーの問題ですけれどね。喜こんでほしい人たちがいれば、喜ばせるために、行けるかぎり遠くまで行く。人生でいちばん楽しいのは、誰かのために、何かのために、曲を作ることですよ。ぼくたちがロバート・スティグウッドのために曲を書いていたころは、スティグウッドは、これは良いと認めると、それを行動に移してくれたんです。信頼する人がいて、相手も同じぐらいこちらを信頼してくれる。ああいう状況がなつかしいです。今は自分のために書く、という状態です。自分や、妻、家族を喜ばせるために書く。今は企業などに、ぼくがしていることを認めたり、却下したりしてもらおうとは思いません。そこで、こういう状況の中で、ぼくは、自分が心から愛する音楽である、カントリーのアーティストになりました。過去に起こったことは問題じゃない。ぼくの心の中では、これこそぼくがいるべき場所です。びっくり仰天したのは、『グリーンフィールズ』に参加してくれたアーティストたちが「Yes」の返事をしてくれたことです。
その謙虚さは素晴らしいですが、あなたを断る人なんかいないのでは。キース・アーバンは(2017年に行われたCBSの『グラミー・サルート』で)すでに「ラヴ・サムバディ」で大ウケでしたが、今回は「獄中の手紙」であなたとデュエットして…あなたの作品のサポーターですよね。
キースは息の長いアーティストで、すでにレジェンドです。いろんな意味で彼の声はロビンの声に似ていると思います。あの歌を完璧に歌いこなしてくれました。
誰もコラボレートしてくれないのでは、って本当に思っていたんですか?
いや。そう思ってたんじゃなくて、その逆です。夢見ていました。息子がクリス・ステイプルトンとかのレコードを聴かせてくれて、ぼくはアメリカーナ・ミュージックのファンになりました。何年か、ナッシュヴィル周辺でリッキー・スキャッグズとも仕事をしてきました。(グランド・オール)オプリーにも何回か出演し、ライマンにも二度ほど出演しました。本当に刺激になりました。曲を演奏できるって本当にすごいことです。70年代、80年代の話が出ましたよね。素晴らしい曲を発表することにあまり意味がない時代になって久しい。今ではヒットのサイクルがものすごく早くなって、どの曲もほとんど思い出せなくなっている。『グリーンフィールズ』の仕事を始めたときに、実際にぼくたちの曲が好きで、1曲選んでくれるアーティストを探しました。ぼくが曲を選んだんじゃないんです。長男のスティーヴンがナッシュヴィルに行って、バーブラ・ストライサンドのアルバムをやった時にぼくと組んだジェイ・ランダースと一緒になってかじ取り役をしてくれました。ぼくが好きなカントリー・アーティストに声をかけてくれたんです。ドリーについては、ずっと以前から友だちでした。だけどアリソン・クラウスとか、ミランダ・ランバートとか…いやもう、ぼくはラッキーでしたよ。誰も彼もをあてにしたりなんて、できるわけがない。「Yes」と言ってくれた顔ぶれに大満足です。クリス・ステイプルトンも参加したがったんですが、彼はちょうどツアーを終えたばかりのタイミングだったんです。
次回に期待、ですね。これまでソロ・アルバムといえば、『ナウ・ヴォイジャー』がありますね。『The Kid’s No Good』はお蔵入りし、『Moonlight Madness』は『ホークス』のサントラに変わりました。2016年には『イン・ザ・ナウ』を発表しましたね。ビー・ジーズを離れたプロジェクトというのは、弟さんたちには喜ばれなかったのですか。
ロビンは何枚かアルバムを発表し、ぼくたちの間に当然あったライバル関係の中で熱心にソロ・キャリアを追求していましたが、そうね、状況は複雑でしたね。ぼくがソロで何かやろうとすると、すぐに何かしら邪魔が入る。みんな、メンバーが単独でグループ外の活動をするのではなく、ビー・ジーズ全員をスタジオにそろえたがったんですよ。さらにビジネスがらみの思惑もありました。ロビンとぼくは、もっとソロ活動をすることもできたと思うけれど、ビー・ジーズとしての仕事、ビー・ジーズというブランドが優先されたんです。個人的にはストライサンド、ダイアナ・ロス、ディオンヌ・ワーウィックと仕事ができたのは嬉しかったです。ああいった経験から生まれたのが今回のニューアルバムです。ぼくは他の人にぼくたちの曲を歌ってもらうのが好きなんです。一生涯働いて、あれだけすごいアーティストに歌ってもらえる曲を『グリーンフィールズ』1枚分そろえられたんですね~。あのアルバム、1ヵ月でまとめたんですよ。Vol. 2と3が作れることを神に願っています。でもとにかくカントリー、とにかくナッシュヴィルです。「誰がために鐘は鳴る」と「ジョーク」をあの路線でやってみたい。両方ともすごくカントリーな曲なんですよ。
今はそこに気持ちがあるんですね。
そう。もう何年もこの業界でやってきましたからね。自分はこれ、みたいに思っちゃう。ところが、実はこっちじゃないか、というのが出てくる。今のぼくがその状態です。これでいい。ほら、今のぼくは単独のアーティストじゃないですか。少なくとも自分がやりたいことを選べる。
今は独り、それなのに『グリーンフィールズ』ではデュエットを選択しましたよね。私自身は心理学者でもなんでもありませんが、あなたはいまだに共同体のようなものを希求しているのかな、とも思うのですが?
それは当然の意見ですが、実はこれ、そもそもデュエットになる予定じゃなかったんです。このプロジェクトは、もともと、ぼくが一番好きなアーティストにぼくらの曲を歌ってもらうという企画だったんです。ぼくじゃなくて。ぼくが意図したのはそれでした。その点で、デイヴ・コブとぼくは意見が違っていました。デイヴの希望がデュエットだったんです。ぼくの方は、みんなに歌わせて、ぼくはちょこちょこっとカメオっぽく出ようかな、と。ぼくには、そっちの方が楽しかった。でも最終的には全員がデュエットにしたがったんです。で、ぼくはそれに同意しただけなんですが、でも喜んでやりました。
デイヴ・コブとはどういうきっかけで?
彼の仕事が大好きです。息子がクリス・ステイプルトンの曲を聴かせてくれたので、思わず「すごい」と声に出て、プロデューサーは誰なのか訊きました。自分もプロデュースに参加したいとは思いませんでした。デイヴにぼくをプロデュースしてほしかった。こうして、プログラミングしたサウンドではなく、本物のミュージシャンと実際にレコーディングするという状況に戻りました。プログラミングとはもう手を切ったんです。純粋なものに戻りたかった。演奏できなくてはいけないんです。つまり、やるしかない。ぼくたちが子どもだったころと同じです。弟たちとぼくがテレビに出ていたころにはテープなんてありませんでしたから生だったんですよ。やるしかなかった。今はそこに戻っています。それにデイヴは70年代のぼくみたいなんです。座って見てるんじゃなくて、スタジオに介入して自分でも演奏したりする。優れたチアリーダーであり、アンパイアです。ぼくがデイヴと意見があわないと、時間を置いて落ち着かせてくれるので、ぼくの方が「わかったよ」となります。
あなたのボーカルはいまだに優雅で美しい。でも同時に、何かもっと重く、ラフで、霊的というか…肉体を超えたようなところがあります。ご自分の声とその効果をあなた自身はどう聞いていらっしゃいますか?
もう若くありませんからね。今でも歌えるとは思います。ファルセットは楽しいのですがあまり使いません。今は使う理由がないので。今はもっとナチュラルな声で歌う方を楽しんでいます。あとはまあご存じの通りです。フランキー・ヴァリ、ブライアン・ウィルソン、スタイリスティックス、マンハッタンズが好きです。でも今の声の感じでは若いころの音楽に戻っています。ブルーグラスとかスキッフルとか。ぼくたちビー・ジーズの曲には常にカントリーが入っていました。
一番やりにくかった、あるいはやりがいがあった曲は?
実をいえば、オリヴィア(ニュートン・ジョン)と歌った「レスト・ユア・ラヴ・オン・ミー」です。彼女、ずっと昔にこの曲をアンディと一緒にレコーディングしていました。コンウェイ・トウィッティはこの曲でヒットを飛ばしています。もともと、ぼくはずっとオリヴィアとこの曲をやりたかったんです。スタジオ入りすると、オリヴィアは即オーケーでした。ブランディ(カーライル)とアリソン(クラウス)もそうです。即、なんですよ。シェリル・クロウも即。2-3回のテイクで完璧に仕上がってしまう。コブはレコーディングするときに最終段階にできあがったボーカルを要求します。自然な仕上がりにするために、歌うときにはきっちり歌ってほしい、っていうんです。ぼくはそういうやり方には慣れてないし、きついですよね。これまではボーカルひとつに2週間かけてましたからね。ところがコブは違う。あれは刺激になりました。
このアルバムではジェイソン・イズベルと歌った80年代の感動的なソロ作品「ワーズ・オブ・ア・フール」は『グリーンフィールズ:ザ・ギブ・ブラザーズ・ソングブック Vol. 1』の中でも最高ですが、おそらくキリスト教信仰の力を歌って、あなたの曲の中でももっとも知名度の低い曲ではないかと思います。
あの曲はロバート・スティグウッドとの問題があった時に書きました。詳しいことは覚えていないのですが、以前はコンサートのサウンドチェックで歌ったりしていました。あの曲を好んで歌っていたのです。いつか、ちゃんと歌ってみせる、とずっと思っていました。ジェイソンやデイブと組むのか。じゃあ、今だ、と。彼らのバックグラウンドからいって、すぐにあの曲を理解してくれました。あの曲には教会の存在があるんです。
たとえば「ジャイヴ・トーキン」や「愛はきらめきの中に」のような曲を選んで、どうやってカントリーに仕立てるかという適応性みたいなものを探っていくプロセスというのは、どんなものでしたか?
リトル・ビッグ・タウンとミランダ・ランバートに関してはまったく問題なかったです。曲が合うかどうかなんて問題にもなりませんでした。ほら、ルーファスとチャカ・カーンがやった「ジャイヴ・トーキン」があるじゃないですか。あれ、ビー・ジーズのバージョンよりずっとスローなんですけど、ぼくはあれが前から大好きだった。あのゆったりしたグルーヴ、いいですよねえ。ずっと面白いと思う。だから今回もテンポを落としました。リラックスした感じにしたんです。あんなに神経質な感じでなくてもいい。とはいっても、ビー・ジーズのバージョンは当時のぼくたちの在り方に対するリアルな反応でした。ほら、自分でもいつも自分のしていることがはっきりわかっているわけではないじゃないですか。問題は直感です。素朴さは大切です、ぼくたちが思う以上にずっと。音楽を作ることの一番素晴らしいのは、どんなに立派に見えても、最終的にどうなるかわからないという点です。
それはきっと何かについての詩的な暗喩ですね。若き日に聴いていたカントリー/フォークの中でのお気に入りは?
ぼくたちがオーストラリアに着いた1958年には、ぼくはバニー・オキーフの音楽が大好きでした。ステージ上の彼についていけないんです。すごい迫力で。ジョニー・キャッシュの「Teenage Queen」も好きでした。それからエヴァリーズ。彼ら、ヴォーカル・デュオになる前にはブルーグラス・ファミリーだったんです。ぼくたちはフォーク・グループでした。その前にはコメディ・トリオでした。オーストラリアでは、労働者のクラブや、帰国した兵隊のクラブ、ホテルなどで演奏していたので、ユーモアが不可欠だったんです。
飲む場所だったからですね。
その通り。オーストラリアのクラブではよく客が顔面パンチしあったりしていて、そいういう人を楽しませることができればオーケーなんです。クラブ全体がしっちゃかめっちゃかになるのを見ましたよ。プールにピアノが投げ込まれたりとかね。もう、めちゃくちゃ。何もかも。こういうこともみんな本に書きます。
すると自伝、それにGibb Songsのアルバムがあと少なくとも2枚出るということですね。『ボヘミアン・ラプソディ』のプロデューサーのグレアム・キングがあなたと弟さんたちの音楽を使った伝記映画を企画しているのも有名な話ですね。それはいつごろ?
その話はもう確定していて、素晴らしいチームがすでに動いています。アンブリン、パラマウント、ステーシー・シュナイダー、それにグレアム・キングですね。
誰があなたを演じるんでしょう? ブラッドリー・クーパーの名前があちこちであがっていますね。
これこれ。ネットでいろいろな意見を見ると笑っちゃいますよ。でもぼくが言ってるんじゃないですからね。ブラッドリー・クーパー? いやいや、ぼくはそれほどうぬぼれてません。今のところ、誰も思いつけませんね。とにかく、ぼくは弟たちの本当の人柄が伝わるようにしたいです。脚本家と力をあわせて、これこそみんなが覚えている通りのロビンだ、モーリスだ、アンディだってなるようにします。ぼく自身については、なんとかわかってもらえるでしょう。 (by A.D. Amorosi)
これは今回どどっと出たインタビュー記事の中でも確かにもっとも内容の濃いものだといえます。今後の予定が話に出たのも嬉しいですね。初めの方で、「まだ今回のドキュメンタリーを観ていない」という話が出ているのは、バリーがドキュメンタリーについての取材の中で「つらすぎて観ることができない」と発言したのを受けています。
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