【2024年3月】「アンディ・ギブ-ビー・ジーズの陰に隠れて生きたわけではない末っ子の物語」

アンディ・ギブ(1958年3月5日ー1988年3月10日)の誕生日に寄せて、そのキャリアをふり返る記事「アンディ・ギブはその短い生涯をビー・ジーズのキャリアの陰に隠れて過ごしたわけではない(Andy Gibb Certainly Did Not Live in the Bee Gees’ Shadow During His Short Life)」が、70年代、80年代のサブカルチャーがテーマのサイトremindmagazine.com(2024年3月6日付)に掲載されました。ライターはJeff Pfeiffer氏。

アンディについて知らない人も増えたようなので(涙)、彼の経歴が簡潔にまとめられていますから、記事の内容をざっとご紹介します。

アンディ・ギブはビー・ジーズのメンバーであるバリー、ロビン、モーリス・ギブの弟だったけれど、彼はあの名高い人気グループの正式な一員だったことはない。もっとももう少しでビー・ジーズに加わりそうではあった。1988年初頭、ビー・ジーズは末っ子のアンディを加えて4人編成のバンドとなる予定であることを発表している。しかし、悲しいことに、アンディはその年の3月に、30歳の誕生日を迎えてすぐに亡くなってしまい、彼のビー・ジーズ入りは実現しなかった。

けれどもアンディはその短い生涯で独自の足跡を音楽に残している。1958年、イングランド生れのアンディは、子ども時代の一部を家族とともにオーストラリアで過ごし、家族とともにイングランドにもどったときにもまだ子どもだった。その後、1970年代になって単独でオーストラリアに戻っている。そこで1975年に最初のシングル「ワーズ・アンド・ミュージック」が発表された。

1970年代の半ばから後期にかけて、ギブ兄弟は大成功を遂げた。ビー・ジーズが1977年にモンスター級の大ヒットアルバム『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラックで歴史に名を刻んだばかりでなく、アンディも1977年に最初のアルバム『恋のときめき』を発表し、これがアメリカでプラティナ・アルバムとなっている。このアルバムには「ワーズ・アンド・ミュージック」をレコーディングしなおしたものに加えて、「恋のときめき」と「愛の面影」も入っている。「ときめき」も「面影」も全米ナンバーワン・ヒットである。「愛の面影」がアンディの20歳の誕生日前日にビー・ジーズの「ステイン・アライヴ」をホット100の1位の座から追い落したりと、1977~78年にかけては、兄弟の中でフレンドリーなライバル関係があったりした。ちなみに「愛の面影」はその2週間後に兄たちのヒット「恋のナイト・フィーヴァー」に1位の座を奪われている。

アンディは1978年に2枚目のアルバム『シャドー・ダンシング』を発表し、これもプラチナ・セールスをあげた。ギブ4兄弟が書いたアルバムのタイトル曲「シャドー・ダンシング」もNo.1となっている。1980年に発表された3枚目のアルバム『アフター・ダーク』もゴールド・レコードとなった。しかし1980年代に入り、ドラッグ依存もあってアンディのヒットメイカーとしての日々は次第に遠のいている。家族も友人たちも心配していた。また、女優のヴィクトリア・プリンシパルとはエヴァリー・ブラザーズ作品のカヴァー「夢を見るだけ」をデュエットとして発表したが、彼女との関係も、彼女がアンディに「自分かドラッグかどちらかをとれ」と迫ったことで破局を迎えている。このデュエットはオフィシャル・シングルとしてはアンディ最後のものになった。アンディが全米チャートに名を連ねるのもこれが最後であった。

アンディはドラッグ濫用によって、人間関係と仕事の両面で不安定になっていった。家族の説得で治療を受けることになり、80年代半ばにはベティ・フォード・センターに入ってクリーンになった。1987年初頭にも、再度ドラッグ関連の治療を受けて、アンディはカムバックの準備ができたように思われた。1987年6月にはスタジオに戻ったが、この時のセッションでのレコーディングが一部なりとも陽の目を見たのはそれからかなり経ってのことである。

1988年、ドラッグ依存から立ち直ったかに見えたアンディは鬱に苦しんでいた。3月5日、ニューアルバムの仕事中だったアンディは、30歳の誕生日を祝ったが、それから数日後に胸の痛みを訴えて入院。1988年3月10日に心臓が原因で帰らぬ人となった。だが、アンディ・ギブはその生存中も、死後も、ビー・ジーズの陰に埋もれた存在などではなかった。彼の音楽はいまだにファンに愛されている。

しかしいまこうして読み返してみてもものすごい狂奔の時代でした。ビー・ジーズは出す曲出す曲がすべてナンバーワン・ヒットとなり、サウンド的にかなり似たアンディの曲が間に入ることで、ずっとチャートのトップに座り続けているような印象がありました。

1987年のレコーディングから、後に発表された曲というのは、「マン・オン・ファイア―」(1991年のアルバム『The Very Best of Andy Gibb』所収)と「Arrow Through the Heart」(アルバム『Mythology』所収)でしょう。

{Bee Gees Days}

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