【2020年2月】全米1位(79年6月) 「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」を検証する

画像はThe Number Ones記事より

ビルボードのチャートで全米1位となった曲を時代順にレビューしていくという力作コラムThe Number Ones。すでに何度かビー・ジーズの曲が(当然ながら)とりあげられてきましたが、今回は昨年2月にアップされた「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」(YouTube)について。

当時は誰ひとり予想しなかったかもしれませんが、結果的にビー・ジーズ最後の全米ナンバーワンとなった曲です。1位になったのは1979年6月9日。ビー・ジーズのキャリア最大のSpirits Having Flownツアーがはじまる直前のことでした。Tom Breihanの筆致はあいかわらず冴えております。

終わりがないように思われたことだろう。わずか一年半の間にビー・ジーズはシングル6 曲を立て続けにナンバーワンの座に送り込んだ。それ以前にはビートルズだけが成し遂げた偉業である。しかもこのほかにギブ兄弟はほかのアーティストにもヒットを提供していた。『サタデー・ナイト・フィーバー』大ヒットの直後、ビー・ジーズが発表したアルバム『Spirits Having Flown(邦題 失われた愛の世界)』も、大ヒットしている。このLPから発表された三枚のシングルは、アルバム冒頭の三曲にあたるが、いずれもチャート首位にのぼりつめた。そして…それだけ。終わり、であった。

ビー・ジーズ最後のナンバーワン・シングル「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」がチャートのトップに立って数週間後に、かのシカゴ・ディスコ・デモリッション・ナイトが起きた。じわじわと台頭してきていたディスコに対するヘイトが具現化したといえるイベントである。ビー・ジーズはディスコ以前から活躍し、ディスコ以外のヒットも出していたのだが、そんなことは問題じゃなかった。たぶん『サタデー・ナイト・フィーバー』のせいだろう、ディスコといえばビー・ジーズという図式が人々の頭に刻まれてしまった。ディスコの没落はビー・ジーズの没落であった。かくして「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」は歴史的な大ブームの終幕を告げる曲、帝国の終焉を告げるサウンドとして歴史に残っている。

もちろん、「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」を聴いてもそんなことはちーとも感じられない。ただ、車の屋根を開けて、ふさふさの髪を風になびかせて、不自然なほど白い歯を日にきらめかせつつ、ビー・ジーズがクルージングしている…という感じの曲である。自信にあふれた曲だ。「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」はディスコの曲でさえない。穏やかで、ファンキーなアップテンポの、ちゃっちゃっと書かれた曲だ。ビー・ジーズの曲としては間違いなくマイナーだが、没落前にはビー・ジーズのマイナー曲さえまじりけのない黄金扱いだったのだ。

歌詞の面では、「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」はめちゃくちゃアダルトな曲である。バリー・ギブの恋する相手は、浮気ばかりしている。バリーはどうしていいかわからず、彼女に浮気をやめてくれ、と懇願しつつも、別れる気になれない。「一度の人生にそんなに愛人をもつなんてよくないよ」とバリーは責める。そうしておいて、彼はびっくりするほど詩的な表現を使って訴えるのだ、「君は僕を夜の幻のように扱う/君の世界がうまくいかないときに必ず頼れる相手として」と。彼の懇請が受け入れられるのかどうかはわからないが、確かにわかるのはこのギブ・ソングの語り手は何をされても彼女と別れないということだ。「どんなに君に傷つけられても、死ぬまで君を愛するよ」とね。

けれどもバリーと弟たちは、必死に頼んでいる、という感じには歌っていない。それどころか、肩の力を抜いて、冗談っぽく、ファルセットでやさしいリズムをきざむ。サビの部分では、微妙にビートをずらしており、この「間(ま)」があってこそ、この曲は基本的にキャッチーなのだ。「アイム・ザ・マン・フー・ラヴズ [間]・ユー [間]・イイ~ン-サイド・アンド・アウト」である。めっちゃヘラヘラして軽薄な曲なので、実に、私もこの記事を書こうとするまでは、これは単にアホくさいラヴ・ソングなんだと思っていたぐらいだ。ところが歌詞と歌い方が乖離しているのである。ビー・ジーズは軽々と歌っていく。彼女が浮気していようがどうしようが、気にする風もない。

この軽やかさこそがこの曲の最大の長所である。いつものビー・ジーズ的要素はすべてそろっている。ファンキーなギターのスクラッチ、金がかかってそうなシンセの響き、タイトなリズムセクション。だがここではすべてがゆったりと力が抜けている。ビー・ジーズなら緊迫感あふれ朗々たるドラマチックも可能だった。「ステイン・アライヴ」「哀愁のトラジディ」では見事にやってのけている。けれども「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」は、むしろ❝ちょっとひと息❞風の曲で、オペラチックに歌いあげる曲のあいまに、みなさーん、ここではちょっと息抜きしてね、と言っているみたいだ。

彼らにとって真のピーク年だった1978年には基本的にライヴ活動をしなかったビー・ジーズだが、1979年には長期のアメリカ・ツアーを敢行した。コンサート中盤、ややたるくなったタイミングで「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」はバッチリ効果的だったに違いない。ひょっとしてビー・ジーズはコンサートの構成にアクセントをつけるためにこの曲を書いたんじゃないのか、とちらっと思ったりもする。「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」は何ものかの終焉を告げる曲のようには思われない。が、事実はまさにそうであった。

『Spirits Having Flown』の2年後、ビー・ジーズはアルバム『リヴィング・アイズ』を発表したが、トップ40にも入らなかった。『リヴィング・アイズ』から出した二枚のシングル「愛はトライアングル(He’s A Liar)」と「リヴィング・アイズ」は最高位がそれぞれ30位と45位。ちょっと前までのビー・ジーズの圧倒的な成功を思うと、この順位は突然で不可解な商業的失墜である。しかも、彼らはその後二度と真の返り咲きを果たせなかった。「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」の後、ビー・ジーズがビルボードのトップ10に送りこめたシングルは一曲しかない。しかも、それには10年の歳月を要した。(1989年の「ワン」は最高位7位。10点満点の7点の曲だ)

それでもビー・ジーズはあの大ブーム期がついに終わりを告げたのちもツアーやレコーディングをし続けた。彼らはモーリス・ギブが2003年に突然の心不全で53歳で世を去るまで活動し続けた。続いて2012年にはロビンも62歳で肝臓ガンで逝去した。今日、ビー・ジーズのメンバーで残っているのはバリー・ギブひとりである。しかし、これは彼らの物語の終わりではない。ビー・ジーズはレコードが大勢に売れなくなっても、ポップ・ミュージックの世界から急に姿を消したりはしなかった。チャート制覇の時代に彼らは他のアーティストのために曲を書いてプロデュースするというサイドビジネスでも大成功していたのである。ディスコに逆風が吹き始めた後でも彼らはこの分野で大物であり続けた。ライター/プロデューサーとしてのビー・ジーズは今後もこのコラムに登場する。

(採点 10点満点中7点)
– Tom Breihan

この曲をサンプリングしたTotalのWhen Boy Meets Girlなどのリンクがボーナスとして紹介されていますので、元記事もチェックしてみてください。

あいかわらず忖度なしの書きぶりが爽快なBreihan氏です。「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」は奇しくもひとつの時代の終わりを告げる曲となってしまったわけですが、その魅力は「微妙な(明らかに意図的な)ずれ」と「軽み」にあるという指摘など、まさに同感です。ついでながら「ビー・ジーズの曲としてはマイナー」という指摘にも同感。

ちなみにこの記事は2020年2月付けでアップされていますが、冒頭で言及されているディスコ・デモリッション・ナイトについては、その後、昨年末に出た最新ドキュメンタリー『How Can You Mend A Broken Heart』の切り口にも似ています。たしかに、あの段階であれだけキャリアのあったバンドをつかまえて、「ディスコ=ビー・ジーズ」ってどうよ?ってどうしても思いますよね。

ところでこの「大ブーム」後のビー・ジーズが発表した『リヴィング・アイズ』についての論考が最近Ultimate Classic Rockに登場しましたので、近くこのサイトでもその記事を取り上げようかと思います。

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