【1977年8月】Teen Bag誌「ビー・ジーズの秘密兵器アンディ・ギブ」

【ティーンバッグ誌1977年8月号より】

これが私が思い出せるかぎり、アメリカのティーン雑誌に掲載された初めての本格的なアンディ・ギブの記事です。1977年前半、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』はまだ完成しておらず、ビー・ジーズの方は映画『サージャント・ペッパー』の撮影にとりかかろうとしているところでした。

ビージーズの秘密兵器 アンディ・ギブ

「家は日が沈む側を向いてます」と語るビー・ジーズのバリー・ギブ。「今住んでいるのはマイアミ。ぼくにとって理想的な場所です。ビスケイン湾に面していて、テニスコートが数面とプールがあるすてきな家に住んでいます。ここに引っ越したのは気候が気にいったから。ぼくはオーストラリアのシドニーに9年間住んでいたので、海へ行くのが習慣になっていたんです。マイアミに住むようになって太陽がいっぱいの生活をしています」

兄弟が一致してグループ一のハンサムと認めるバリー、結婚7年になる愛妻のリンダさんと一緒にフロリダに購入した新居について、電話で説明してくれました。バリーの話ではとっても大きな家なので、まだいくつ部屋があるのか数え終わっていないのだとか!

この電話インタビューの目的はビー・ジーズが関係する映画の仕事2本について聞くことでした。1本はジョン・トラボルタ主演の『Tribal Rites of Saturday Night』(訳注 この段階ではまだ”Saturday Night Fever”というタイトルは決定していなかったのですね)。もう1本はピーター・フランプトン主演のロック大作『サージャント・ペッパー(Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band)』で、こちらにはビージーズ本人たちも出演する予定です。インタビュー中にはこの2本の映画のこと以外にも、いろいろな話が出ました。とても楽しいやりとりで、バリーもわたしも笑ってばかり。実はビー・ジーズのメンバーと話すとどうしても笑わされちゃうんですよね。

ところでバリーの話では、バリー、ロビン、モーリスの三兄弟からなるビー・ジーズには実は秘密兵器があるのだそうです。その秘密兵器のお披露目が近いのだとか! いえいえ爆弾なんかじゃありませんよ。彼らの弟なんです! 名前はアンディ・ギブ。19歳のアンディはアルバムを出したばかりで、「恋のときめき(I Just Want to Be Your Everything)」がすでにヒット中です。この曲はもちろんバリーが書いてプロデュースしたもの。でもアルバムの曲の大半はアンディが自分で書いています。

アンディが音楽の道に進むことに決めてから、バリーとはいっそう親密になったそうです。あとのふたりロビンとモーリスはふたごで、バリーより3歳年下。3人はいつも一緒でした。バリーは弟アンディの活躍が自慢ので、アンディはアンディでビージーズのナンバーワン・ファンだそうです。お互いにこれほど認め合っているファミリーですから、まさに要チェック。この2年あまり、ビー・ジーズの曲がチャートをにぎわせない週はなかったといっていいぐらいですからね。

1975年の『メイン・コース』からは「ブロードウェイの夜」「ジャイヴ・トーキン」「ファニー」が大ヒット。昨年出た『チルドレン・オブ・ザ・ワールド』からは「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」「偽りの愛」「ブギー・チャイルド」がヒット。そして今、ビージーズがトップ40から一時的に姿を消したと思ったら、入れ替わりようにして弟のアンディの登場です。

「ビージーズがしていることにはすごく興味がありました。彼らの曲作りからは大いに刺激を受けました」 今春、ニューヨーク・シティで取材したときのアンディの言葉です。

子ども時代のアンディは兄さんたちとは年が離れすぎていたので、ぜんぜん別の暮らしをしていました。アンディが11歳ぐらいになって音楽に興味を持つまではお互いにあまりかかわらなかったそうです。アンディが初めて自分のギターを持ったのは11歳のとき。

一方、お兄さんたちの方はザ・ビートルズと肩を並べる勢いでロックの古典になるような名曲を連発。「ロンリー・デイ」「傷心の日々」「ホリデイ」「ニューヨーク炭鉱の悲劇」など名曲の数々はいまでもバリーの大切なレパートリーとしてコンサートで歌われています。こんなヒットを連発する家族を持っていたのでは、アンディが14歳で学校をやめて音楽の世界に入ったのも何の不思議もありません。

当時、アンディの家族はスペインのイビサ島に住んでいました。陽光にめぐまれた美しいビーチのある島です。

「一日中、水上スキーをしてたなあ。ウォーター・スポーツは大好きなんです」とアンディ。アンディの髪はバリーの髪よりちょっと明るい砂色のブロンドです。体重135ポンド(160ポンドのバリーにはちょっとかないませんね)、身長5フィート6インチ半。これに対してバリーは6フィート1インチの長身。ふたりとも目は茶色、そして好きな色も同じブルー。これはふたりとも海が大好きなせいかも。

ただひとつ違うのは食べ物の趣味。アンディは自分でも認めるジャンクフード好きですが、バリーは食生活に関してとってもまじめです。「ぼくはジャンクフード中毒っぽい」とアンディ。「ピザ・ハットとかケンタッキー・フライドチキンとかビッグマックとかスパゲッティとか、体によくないものばっかり好きなんですよね。でもベーコンと卵とか朝はしっかり食べるのが好きで、ステーキも好き」

ところがバリーはジャンクフードが大嫌いで、肉はぜんぜん食べないそうです。「ぼくも妻のリンダも肉はすっぱりやめてしまった」とバリー。「1ヶ月前にベジタリアンになりました。失礼ながらアメリカの肉は加工されすぎていると思う。イギリスでもそうだけど、アメリカほどではありません。これじゃ体に悪いと思う」

取材に応じてくれたアンディは”Criteria Recording Studios(クライテリア・レコーディング・スタジオ)”という文字が胸元に赤で入った白いTシャツ、ジーンズにスニーカーといういでたちでした。ホテルのスイートで座り心地のいいカウチに落ち着いて、アンディが話してくれたのは4年間を過ごしたイビサ島の思い出です。当時、アンディは長年ビー・ジーズのマネージャー役をしてきた彼のご両親と一緒に暮らしていました。アンディのお父さんはビー・ジーズのライティング・ディレクターで、現在はオーストラリアに住んでいます。ご両親のヒューイとバーバラもショービジネスの仕事をしていたのだそうです。お父さんはビッグバンドのドラマー、お母さんはビッグバンドのシンガーだったのだとか。

アンディとのインタビューに同席してくれたのはハンサムなマネージャーのジム・デイリー。21歳のジムはブルーのスーツにピンクのシャツを着ていました。新婚1年のキムも同席していました。19歳でブロンドのキムはアンディとシドニーで出会ったのだそうです。インタビューの間中、アンディの傍らにそっと寄りそって手紙を書いていました。

アンディがご両親とスペインへ移り住んだのは13歳のとき。イギリスでは学校に通っていたのですが、引越しを機会にやめて、結局、学校には戻らなかったそうです。学校は退屈で興味がわかなかったというアンディですが、話しているうちに別の理由が見えてきました。有名なビー・ジーズの弟であるというのは、楽しいことばかりではないのですね。学校の友だちには妬む人も多くて、アンディは淋しいスクールライフを送ったようです。

プライベートスクールとパブリックスクールの両方に行ったアンディですが「パブリックスクールでもプライベートスクールでも、みんなと仲良くやれなかったんです。学校は最悪。気取ったところで、みんな裕福な家の子どもたちばかり。それか、金なら余ってますって顔をしているかだな。何を言っても何をしても、ぼくがビー・ジーズの弟だっていうことをひけらかしてるってとられちゃう。授業中に発言したりすると、『ビー・ジーズの弟だからってあんなこと言っちゃって』って感じ。

業界の人たちと話してみたら、その人たちの弟や妹も同じような目にあったって。口げんかになれば必ずぼくにとばっちりが来るし、よってたかっていじめられました。スペインに引っ越したときには、また学校へ行くつもりでいたんだけど、結局は戻らなかったんです」

アンディが女の子とデートしはじめたのもスペインに引っ越してから。ナイトクラブでミュージシャンとして働いていたので出会いの機会ならいっぱいあったそうです。イビサは観光地だったので、イギリスやヨーロッパから家族と休暇に来ている女の子が多かったんですね。だいたい、ひとりの女の子と4週間ぐらいつきあうと、その子が帰る時期になってしまったそうです。

イビサでのアンディの暮らしは昼間は泳いだり水上スキーをしたりビーチで寝そべったりして、夜は週に6日一晩中クラブで働くというもの。こんな暮らしが4年間続きました。

「ぼくぐらいの年齢の人間にとっては健康的な暮らしとはいえなかったけれど、ぼくは満喫してました。夜の8時ごろ、ピアノバーで演奏を始める。バーの客は300人から400人ぐらい。夜中まで働いて、午前1時には別のクラブへ行ってまた遅くまで仕事する。ぼくの年代の人間にとってはあまりいい生活ではなかったです。ぼくはリズムギターとボーカルの担当。ときどき1週間の休暇がとれるとイギリスへ行きました。イギリス人はスペインで働いてはいけないので、ただ働きだったけど、楽しみと経験のためだけにやってました。両親と一緒に住んでたんだけど、本当に住みやすいところでした。海と太陽、それにきれいなビーチがあって…」

アンディのデートコースはナイトクラブとレストラン。英語の映画を上映する映画館はなかったので映画は見に行かなかったそうです。でも若いときに映画を見られなかった埋め合わせはそれ以来十分にしています。アンディもキムも映画やテレビを見るのが大好き。アンディはジョン・ウェインと亡くなったピーター・フィンチのファン。「Happy Days」や「The Odd Couple」のようなシチュエーションコメディやコロンボやバレッタのような刑事物がお気に入りです。

バリーもテレビが大好きです。実は釣り以外ではテレビを見るのが一番なんだとか。「映画には行かない」そうです。「楽しみといえばテレビを見ることかな。”Match Game”みたいなクイズ番組が好き」

この夏は、映画の仕事があるためにビー・ジーズのツアーはありません。去年のニューヨーク公演を逃して本当に残念でした、とバリーに言うと「ありがとう」と本当に嬉しそうな声で言ってくれました。初めてそんなこと言われたよ、っていう感じの心のこもった声でしたけれど、実はそんなこと何百万回も言われてきたんでしょうね。ビー・ジーズは9歳のころからステージに立っていたのですから! でもショービジネスの世界でどんなに長くなっても、ファンに対する気持を忘れないのがビージーズです。決してうぬぼれたり、威張ったりしません。

「コンサートの前にはいまだに緊張する」とバリー。「20年前と比べてもちっとも慣れてきた気はしませんね」

モーリスも最近の取材に応えて、いつもファンとの交流が大切だと思うと話しています。「ただレコードを作っているだけでファンの顔を見ないなんてダメ」なのだそうです。「自分たちの姿を見てもらわなくちゃ。来て見てもらわなくちゃ。さもないとアーティストとして閉じこもってしまうことになる」

また、モーリスの話ではファンがロックバンドに抱くイメージは間違っていることが多いとか。ロックバンドのメンバーは世界中を旅行して、わがままの言い放題、好きなだけ寝坊してエキゾチックな食事をして、というイメージがあるけれど、実情はというと、ロックバンドの暮らしで一番「華やかな部分」は毎晩違う聴衆を相手に演奏するというそのことに尽きるそうです。

ビー・ジーズのリードボーカルであるロビンも「ぼくたち全員ツアーは好きだけど、3ヶ月間スーツケース暮らしで、ホテルからホテルへ移動して歩くのはいやなものだ」と言います。

でもバリーの話では、来年(1978年)にはまたまた2ヶ月にわたるツアーが企画されているそうです。30歳のバリーと話してから、同じ質問をアンディにすると、それぞれの年齢と経験が答えに現れていてなかなか面白いものがありました。

ショービジネスの世界に入ったとき、バリーは9歳、下のふたりは6歳でした。親に無理強いされたキャリアじゃないんですか、ってバリーに水を向けてみると、「いや、いや、ぼくたちの方が、やらせてくれって親に無理じいした」という答えでした。一家そろってオーストラリアへ移住したわけですが、バリーの話では「チャンスをつかめるように、親を説得してイギリスへ戻った」のだそうです。

励ましてくれたり、ステージマナーや観客とのやりとりなど業界の秘訣を教えてくれたり、お父さんはいつも彼らの味方でした。オズモンズみたいね、ってわたしが言うと、バリーは「下品なオズモンズと言った方がいいかも」と冗談を。

「ステージではくつろいでる」とバリー。「ずっとやってきたことだから。もう自分の一部になってます。ノッてるときにはリラックスしている。まさに水を得た魚という感じになりますね」

ステージが人生の一部になっているという兄さんたちを見て育ったアンディも、当然、スターになることには抵抗がありません。バリーやモーリスやロビンみたいに有名になって成功したい、と率直に話してくれました。最初のレコードがもうチャート入りしてヒットの兆しがあるけどどう思う?

「ヒットするかもしれない、そう思うと嬉しい。どうかそうなりますようにって祈ってます。スターになりたいって思ってます。なれたらいいなあって。自尊心の問題じゃないといえば嘘ですね。だって自尊心の問題だから。スターになれたら素晴らしいと思ってます」

昨年、アンディは自分のバンドを結成してベイシティローラーズと一緒にオーストラリア公演をしました。

「ぼくの名前を書いた垂れ幕を持ったファンがいたんです。一列目にいた子たちなんかヒステリーみたいになって『触って!』『触って!』って叫んでるの。あんなに注目されるなんてすごい気持だった。でもローラーズの公演でけが人が出るのはちょっとね。集団ヒステリーみたいになるとどうしようもないから。あれはいやだった。こわかったな」

アンディはみんなの注目を集めたいという以外に自分の音楽を認めてもらいたいという気持ちもあるそうです。ファンレターを出したい方はRSOレコード気付け(ニューヨーク州ニューヨーク市セントラルパークウェスト135番地)で。アンディは時間さえあればファンと話すのが大好き。ファンの中には、違う知り合いかたをしていたら友だちになってたんだろうなと思うような人が多いんだそうです。

アンディに言わせると彼の音楽はビートルズとイーグルズを足して2で割り、ビージーズの影響を加えたようなものなのだとか。アルバムの「ほとんどの曲がカントリーロック調」だそうですが、比べてみるとビージーズのサウンドはこのところリズム&ブルース色を強めています。だからアンディはビージーズをお手本にしながらも、きちんと自分の音楽性を持っているんですね。

好きなグループはといえば、「ABBAがいいなあ。きらめくようなハーモニーがあって、ぼくらの音楽と共通している。メローだったり深みがあったりはしないけど、きらめきがありますよね」。

アルバムでのアンディのボーカルは「高音でふるえるような感じ」。ABBA以外で好きなのはカーペンターズ、ドゥービーブラザーズ、スティーリー・ダン、オズモンズなど。アルバムには美しいラブバラードだけでなくアップテンポのロックや「Let It Be Me」というアンディいわく「ブルーグラスファンクの曲」も入っています。

アンディのニューアルバムに加えてビージーズのファンには映画『Tribal Rites of Saturday Night』用にビージーズが書き下ろした5曲もまもなく発売されます。たぶん1枚のサントラにまとめた形で出るだろうということで、話してくれたバリー自身とても楽しみにしているようでした。中でも気にいっているのが「ステイン・アライヴ」という曲だそうです。サビの部分が「Feel the city breaking and everybody shaking and we’re staying alive」と聞いただけで、わくわくしちゃいますね。

「とてもダンサブルな曲なんだけど詩にも内容がある」とバリー。バリーは映画の題名も曲のタイトルから取って欲しかったそうです。「『サタデーナイト』ってもう使い古されたイメージだと思うんですよね。”Stayin’ Alive”の方がちょっといいと思うんだけどなあ。”ナイト・フィーヴァー”っていうタイトルにしたら?とも言ってみたんですけどね。そのほかの曲は”愛はきらめきの中に(How Deep Is Your Love)、”恋のナイト・フィーヴァー(Night Fever)” ”アイ・キャント・ハヴ・ユー(If I Can’t Have You)””モア・ザン・ア・ウーマン(More Than A Woman)”というタイトルです」

9月には『サージャント・ペッパー』の撮影が始まってビー・ジーズは映画初出演を果たす予定です。バリーはそれも楽しみにしていました。すごく愉快なパロディだそうで、ビージーズはペッパー軍曹のバンドに入っていた老人たちを演じて「ロング・アンド・ワインディング・ロード」などザ・ビートルズの曲を披露します。イーグルスなど”大物ロックスター勢ぞろいのフィナーレ”はロック映画史上最大のものになるとか。

撮影入りする9月はバリーの誕生月でもあるので、「幸先がいい」とバリーは喜んでいました。でもこのところ、世の中はビー・ジーズと弟のアンディにとっては幸先のいいことずくめのようです。(実はギブ家にはもうひとり女の子がいます。ベリといって12歳です)映画スターの仲間入りをするだけでなく、バリーはまたまたパパにもなろうとしているんです。愛妻リンダとの間にはすでに3歳になる息子のスティーヴンがいます。これはバリーにとっては二度目の結婚です。

「出会って10年、結婚して7年」とバリー。「今度の結婚は成功だと思う。ふたりともユーモアのセンスがあるし、生活を楽しむタイプだし。プレッシャーも感じないタイプで、ふたりともすごくリラックスしている」

バリーが話しながら窓ごしに庭を見ると、ちょうどスティーヴンがモーリスの息子のベビーサークルに上っているところでした。モーリスはイギリスに住んでいますが、ちょうどバリーを訪ねてきているところで、近くアメリカに引っ越してくるという話もあるそうです。モーリスの息子アダムは1歳。イギリスのサリー州に住んでいるロビンも2歳のメリッサと4歳のスペンサーというふたりの子どものパパです。「ビージーズ全員が仲のいい家族」とバリー。

インタビューしたとき、アンディはイースターをバリーと過ごして帰ってきたばかりで、いろいろなエピソードを話してくれました。みんなすごくユーモアのセンスがあるんだけど、中でも一番おかしいのは絶対にモーリスだよ、とか。モーリスは「お休み」って言っといてから歩いていって壁に激突したりとか、みんなを笑わせてばかりいるんだ、アンディはそんな風に話してくれました。

一番活発で外交的なのはモーリスバリーはすごーくゆったりしたタイプロビンはものすごく冴えてて、とても静かなタイプ。でもその気になると、すごい。土曜日に釣りで遠出したんだけど、ぼくはシイラをつかまえたのにロビンときたらサメをつかまえたんです! 145ポンドぐらいあるやつ」

アンディに、結婚生活はどう、と聞いたら、ほんとにまじめに「素晴らしい」と答えてくれました。キムと出合ったのはふたりが家族と住んでいたシドニーで。1ヶ月ですっかり親しくなり、一緒に映画に行ったり食事をしたりして離れがたい気持になりました。アンディとキムは、RSOレコードとの契約が持ち上がって、渡米が本決まりになったときに、”ずっと一緒にいたくて”結婚したのでした。ハネムーンはバーミューダ。

「愛し合っているから結婚したかった」とアンディ。キムは言います。アンディを好きになったのは彼がミュージシャンだったからでも、ビージーズの弟だったからでもないって。「彼を幸せにしてくれるものならわたしも好き。彼はこの仕事が気にいっています。わたし自身は彼が何をしている人でも気持に変わりはなかったと思う」

アンディは実は物静かな人間で、物静かな女の子が好きだそうです。「ぼくにとって一番大切なのはその人が誠実であること」というアンディ。これはよくわかります。だってアンディ・ギブってわたしがこれまで見たことがないほど誠実な人だからです。

――by キャロル・ローズ

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