【1978年3月】Circus誌―映画『サージェント・ペパー』カバーストーリー

映画『サージェント・ペパー』カバーストーリー
(Circus誌1978年3月30日号)
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オリジナル・サントラ盤の再発売を祝って、1978年3月に映画の全米公開に先立って登場した、バリーが表紙のCircus誌『サージェント・ペパー』特集記事をご紹介します

記事のタイトルは“マジカル・ミステリー・ツアーはハートランドから始まるーー映画『サージェント・ペパー』は私たちの世代にとっての『風と共に去りぬ』か。” 表紙に「インサイド・レポート」と銘打たれたカラー写真を含めて4ページの特集記事です。以下に簡単にまとめてご紹介します。

 

 午前3時。ロサンジェルスの街が深い眠りに沈むなか、ハートランドの町は活気にあふれている。カルバー・シティ上空のひんやりした夜気の中では、気球のシーンをまさに撮影中だ。技術班はパナヴィジョン・カメラ5台を準備、何百人ものエキストラは気球用バーナーの下に集まって暖をとりながら出番を待っている。カラフルな町のセットの背後にずらりと30台並んだスター専用トレーラー。表札の名前は、ピーター・フランプトン、アリス・クーパー、ロビン、バリー、モーリスのギブ兄弟、ジョージ・バーンズ、ビリー・プレストン……。
映画の舞台となる想像上の町の名前はハートランド。セリフがすべて歌で語られるという前代未聞の豪華ミュージカルで、予算は1200万ドル。史上もっとも有名なロックアルバムともいわれるビートルズの『サージェント・ペパー』をもとに、エリック・クラプトンとビージーズのマネージャーで、『トミー』『ジーザス・クライスト・スーパースター』『サタデー・ナイト・フィーバー』のプロデューサーであるロバート・スティグウッドが制作にあたっている。
フランプトンとビージーズ以外のスターは、サンディ・ファリーナ、アース・ウィンド・アンド・ファイアー、コメディアンのスティーブ・マーティン、ポール・ニコラス、俳優のドナルド・プレザンス、英国人コメディアンのフランキー・ハワード等々。フランプトンをスターにしたディー・アンソニーが製作総指揮にあたるこの映画は7月公開予定だ。RSOから同時発売される2枚組サントラのプロデューサーは、なんとビートルズのオリジナルのプロデューサーを務めたジョージ・マーティンだ。
   映画作りの基本は延々と出番待ちをすることにつきる。したがって、ハートランドの町が準備に湧く一方で、並みいるロックスターたちはすることもなくただただ待っている。アース・ウィンド・アンド・ファイアーのメンバーは町役場前で撮影されるコンサート場面の衣装合わせ中。ロビンとバリ-のギブ兄弟は、バリーのトレーラーで、一緒にテレビを見たり、軽食をつまんだりしている。ピーター・フランプトンは、強い夜風にまるで嵐の中の船のように揺れる専用トレーラーの中で、まだかまだかと栓抜きの到着を待ちながら、ひっきりなしにやって来る訪問客に仕事人の顔で忍耐強く応対している。
「どのぐらいのあいだ、このトレーラーの中で過ごしたか、ですか?」 フランプトンは金色の髪を額から払いのけながら嘆く。「今夜? 今週? それとも今月ですか?」
   実際には主要キャラが撮影に入ってすでに3ヶ月、まだあと1ヶ月はこの状態が続く予定だ。大作映画にしても珍しいほどの長期撮影である。しかもミュージカルとしてはこれまでになくハードな条件。ふつうにセリフがあるのはジョージ・バーンズだけ、あとの出演者は歌いながらの演技を要求される。セリフは全部で8行のみ。サウンドトラックはラフ・バージョンですでに録音済みで、出演者は音に合わせて口を動かすだけなので、音程も何も気にしなくて良いのだが、巨大スクリーンに映れば当然ながらアラも目立つ。小さなニキビは小山のように拡大され、おそまつな演技をすれば笑いものになる。
「べつに特に心配してない」と、ロビン・ギブはトレーラーの中でチキンの手羽を食べながら説明してくれた。「映画作りはすごく楽しいし、実際にやっている間は特にピリピリもしてない。映画のセットでの作業はとにかく進行が遅いので、いろいろ考えてリラックスするだけの時間があるもんね」
バリーも賛成だ。「ジョージ・バーンズが大変な役回りだよね。セリフを言わなくちゃならないから。各シーンで演技するのは確かに難しいけど、すごく楽しくやってる」
   映画化までの流れの方はあまり楽しいとはいえない。積年の苦労がある。発端は1975年、ビートルズのアルバムをもとにしたブロードウェイ・ミュージカルの上演をロバート・スティグウッドが思い立った。すでに『トミー』『ジーザス・クライスト・スーパースター』と舞台でヒットを飛ばしていたので、次はいよいよ『サージェント・ペパー』というわけだ。当初、ビートルズ側は乗り気でなく、訴訟がらみの恐れもあった。実際、ジョージ・ハリソンが単独で書いた曲は法律上の問題で除外されていたぐらいである。しかし当時のRSO社長ピーター・ブラウン(レノンの結婚式で新郎の付き添いをつとめたこともある)への好意として、ビートルズもステージ化を承諾。ジョン・レノンはオープニングを盛り上げるために記者会見にも顔を出した。「ビートルズの音楽がブロードウェイに登場するなんておれもトシだなあ、という気がしますか」という質問に対するレノンの答えは「そうじゃなくてもトシだね」。
   数ヶ月のリハーサルを経てステージ版『サージェント・ペパー』は特別に改装されたブロードウェイのビーコン・シアターに登場したが、興業は短命に終わった。それもそのはず、60年代のロック・ミュージカル風のステージングにドラァグショーのような衣装と、問題だらけだったのだ。これで『サージェント・ペパー』の話は終わりか、と思われていたのだが…。いやいや、どうして、ブロードウェイで惨敗したスティグウッドは映画化への意欲をさらに燃やしていたのだった。
   実はスティグウッドは映画化競争に負けそうだった。オールスター・キャストで独自に『トミー』を制作した故ルー・ライズナーが、『All This And The World War II』(訳注:ザ・ビートルズと第二次世界大戦(2CD+DVD)というタイトルで予約受付中) というドキュメンタリーのサントラを発表。曲もかぶっていたのである。皮肉なことに、こちらのアルバムにはビージーズも参加していた。しかし、こちらも不発に終わり、映画のアメリカ公開も不評だった。その間じゅう、スティグウッドの方はひそかに曲の使用権獲得交渉を続けていた。
  1977年春、すべてが固まり、音楽に合わせた物語作りのための脚本家探しが始まった。選ばれたのはニューヨーク・タイムズ紙でポップスの批評を書いていたヘンリー・エドワーズ。6ヶ月かけて書き上げたのが、エドワーズいわく、「ぶっとんでて、ハッピーで、クレイジーな物語」だった。ステージ版とはちがって、映画の方はビートルズの『イエロー・サブマリン』とマルクス兄弟のコメディを足して割ったような作品なのだ。
   プロローグは第一次世界大戦中のヨーロッパ。ペパー軍曹はロンリー・ハーツ・クラブ・バンドとドイツを行軍、敵を打ち破っていた。彼らは魔法の楽器を使って、あらゆる人の心に友情と同志愛を目覚めさせ、平和をもたらすのだった。それから50年、世の中が悪にむしばまれていく中で、魔法の楽器は静かで平和な田舎町ハートランドにあった。
話は現代に飛ぶ……ペパー軍曹の孫ビリー・シアーズ(ピーター・フランプトン)は立派に成長し、ヘンダーソン兄弟(ビージーズ)と組んでバンドをやっている。ビリーにはストロベリー・フィールズ(サンディ・ファリーナ)という素敵な恋人がいたが、ビリーはヘンダーソン兄弟と一緒にハートランドを後にして、ロサンジェルスでロック・スターになる。そのころ、ハートランドでは町を守っていた魔法の楽器が、邪悪なミスター・マスタード(フランキー・ハワード)や仲間のファーザー・サン(アリス・クーパー)、ドクター・マックスウェル(スティーブ・マーティン)に盗まれてしまった。ビリーたちは武器を奪還して町に平和を取り戻すために、急いでハートランドに帰る。ビリーと敵の親分(エアロスミスのスティーブン・タイラー)が札束の山の上で繰り広げる死闘がクライマックスだ。
「アリス・クーパーと戦う場面が撮影中で一番楽しかったよ」と、バリー。「アリスとスティーブ・マーティンは人の心を失った邪悪な新人類を作り出している。世界を思いのままに操れる機械を持っていて、盗んだ魔法の楽器の力でその機械を動かしているんだ。ビリーとバンドはファーザー・サンのオフィスにある魔法のチューバを盗みに行く。そのときに通る学校のシーンでは、何百人もの子どもたちが机に縛りつけられて洗脳されている。ぼくたちがチューバを手にとったところで、アリスが気がついてロビンの首を絞める。ぼくがアリスを引きはがしてぶんなぐると、アリスはテーブルから落ちて、パイに顔をつっこんじゃうんだよね。この映画の中ではいろんなことが起きているから、一度見ただけじゃ見逃しちゃうかも」
   サウンドトラックはビートルズのオリジナルに忠実だ。プロデューサーのジョージ・マーティンは一部の音を新しくはしたが、基本的にオリジナル・バージョン通りを貫いた。オリジナリティを許されたのは「ゲット・バック」を演奏したアース・ウィンド・アンド・ファイアー(訳注: これは筆者ゲインズの思い違いで、実際には彼らが演奏したのはGot To Get You Into My Life*)ぐらいだが、それもあくまである程度まで。「たとえばジョージ・マーティンは絶対に『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』のアレンジを変えないんだ」と、バリーが説明してくれた。
   ビージーズ自身は「オー・ダーリン」「イッツ・ゲッティング・ベター」などの曲を歌ったほか、アルバム全体でバック・ボーカルを担当している。「ジョージには合唱団を使うという手もあったけど、別のスリー・パート・ハーモニーのグループを使って同じ曲をやってみるというアイディアが気に入ったみたいだね」とロビン。
   見る人もきっと映画が気に入るはずだ。映画のフィナーレはセレブリティを投入してオリジナルのビートルズのアルバムジャケットを模したシーン。この”絵”を撮るために、スティグウッドはハートランドのセットで開かれるパーティに世界中から400人ものセレブを特別招待した。招待客のひとりひとりにファ-ストクラスの飛行機チケットを送付、好きなホテルに泊まってもらった。これにディスコ・ダンス・ハートランドでのパーティ代を加えて、この1日の出費だけで50万ドルかかったというが、それだけのことはあった。ラストシーンではこうして集まったセレブたちや、他の面々が「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の新バージョンを歌っている姿が見られる。その顔ぶれたるや、ウィルソン・ピケット、ヘレン・レディ、ホセ・フェリシアーノ、キャロル・チャニング、ダンディ・マングラム、ティナ・ターナー、ミニー・リパートン、ドクター・ジョン、スティーブン・ビショップ、イヴォンヌ・エリマン、グウェン・バードン、キース・キャラダイン、リック・デリンジャー、ジャック・ブルース、ロン・デルスナー。まさにマジックだ。 

                              ―スティーブン・ゲインズ

というわけで、鳴り物入りで公開されたこの映画、大不評を買い、ビージーズにとっての黒歴史となり、ピーター・フランプトンのキャリアを(少なくとも当時は)葬りさったという意見まで……。その後、ある種のカルト・ムービーとして評価されるにいたったわけですが、映画自体よりサントラの方が評価が高いのはビージーズのすぐれたバック・ボーカルに負うところも大きいといわれています。それにしてもビージーズが出演するマルクス兄弟風映画というと垂涎ものの企画なのに、脚本をもう少しどうにかできなかったものか、つくづく惜しい…。
 

{*この点についてはカフェBGD経由でダニエルさんにご指摘いただきました。ありがとうございました}


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