バリー・ギブ・インタビュー「弟たちについて」(デイリー・エクスプレス4月29日付)

ご紹介の順番が前後してしまいましたが、4月末に発表されたバリーのインタビュー記事(デイリー・エクスプレス紙オンライン版2013年4月29日付、筆者サディー・ニコラス)をご紹介します。マイアミの自宅から電話インタビューの語りで同紙の取材に応えたものです。 

 

9月21日にバーミンガムのLGアリーナでイギリス/アイルランド・ツアーを開始するバリー。60年にも及ぼうという長いキャリアのなかで弟たちの誰ひとりいないステージを務めるのはこれが初めてで、かなりつらい体験になるだろうという。

「気持ちをしっかりと保つのが大変です。ロビンの葬儀では心が空っぽになってしまって、ただそこにいることしかできなかった。後になって激しく動揺しました」

 2月にオーストラリアとニュージーランドで「弟たちと生涯をかけて築いた音楽の世界のために」ミソロジー・ツアーを開始したバリー。ひとりステージに立つつらさはあるけれど、バリー自身はかなり明るく、今こそ弟たちが生きたというそのことのために歌う時だと思うと話してくれた。
バリーは4人兄弟と長姉レスリーの5人きょうだいのひとり。末弟のアンディは1988年に心臓の病で30歳の若さで死去。その後父親のヒューもこれに続いた。

「オーストラリアのツアーは自信がなかったぼくにとって大きなテストでした。これまでもソロ活動をしたことはあるけれど、ロビンとモーがいないのではまったく話が違う。でもシドニーでの初日は素晴らしかった。ぼくたちが育った場所ですから、あの土地にもどり、知っていた人たちに会えたことが、大きな慰めにもなりました。全部で6回の公演をしましたが、93歳になって今ではマイアミに住んでいる母がそのうちの4回に来てくれました。レスリーと家族のみんなも足を運んでくれた。母にとって3人の息子を亡くしたのは大きな大きな悲劇でした。苦しい季節ですが、ぼくたちはなんとかがんばっています」

 バリーは音楽に救いを求めた。

「音楽はぼくにとってセラピーであり、心の区切りをつけるためのものであり、スピリチュアルな体験であり、とにかくできるだけがんばろうと思うためにぼくができることのすべてです。他には趣味もありません。弟たちの思い出は数多い。じっと天井を見ていると、またひとつ別の思い出が浮かんできて、気がつくと笑いながら『あれは楽しかったなあ』と思っている自分がいる。

 一番楽しかったのはビージーズが有名になる前です。4人が世界中の誰よりも仲が良かった時期です。特別な時代でした。成功してやろうという夢を追いかけて胸を躍らせていたあのころ…。母のブラシに空き缶をくっつけてはマイクに見立てたものです」

 仲が良かったけれど、それぞれとても違う個性の持ち主だったという弟たちについて、バリーはこう語る。「モーリスはとても外向的で、とにかく人を楽しくさせるのが好きでした。子どもたち相手でもそうで、手品とかをするので、ぼくたちがつけたあだ名が”帽子から猫”です。ロビンは心配症で、何についても心配してばかりいました。ステージからは実際より物静かな印象を与えてたみたいですね。とにかくウイットに富んでいて、すごくおかしかった。タイミングさえあえば抱腹絶倒ものなんですが、波が激しくてすぐに落ち込むんです。ふざけまくっていたかと思えば、次の瞬間には、どシリアスに悩んでいる。アンディはぼくに似ていました。12歳も離れていたけれど、ある意味でぼくたちはふたごだったかも。アンディはきらきらと輝いていて、いつもポップスターになることを夢に見ていました」

バリーから見た自分自身は? こう聞くと、バリーは笑って答えてくれた。

「大馬鹿者かな! 何と答えていいものだか。とにかくいえるのは、ようやく人生に満足できるようになってきたということです」

 ロビンとモーリスはいないけれど、ステージには家族が参加する。

「スティーブン(バリーの長男)とサマンサ(モーリスのお嬢さん)に出てもらえるのはスペシャルな体験です。サムは父親そっくりで、素晴らしい歌い手です。

 ツアーの計画はまた演奏したいという気持ちがきっかけになって10カ月ほど前に始まりましたが、”トリビュート”という形にしようと思ったのはまたそれから数か月経ってからです。

 モーが亡くなって10年になる。母にとっては決して受け入れられないことです。三人の息子を亡くすなんてひどすぎる。『いったい私が何をしたっていうの』と言って悲しんでいます」

 ジョン・トラボルタ主演の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサントラ(’77)は2億枚を売り上げ、いまだに史上最強のサントラである。けれどもバリー自身が一番気に入っているのは2曲のバラードだという。「自分で一番満足しているのは”傷心の日々(How Can You Mend A Broken Heart)” (’71)と”愛はきらめきの中に(How Deep Is Your Love)”(’77)です。個人的に気に入っている曲であり、弟たちとの音楽的な絆がもっとも深い曲でもあります」

「ぼくたちが曲を書く現場を見た人間はいません。部屋にいたのはぼくたちだけ、あれはぼくたちだけのプライベートな世界でした」
ロビンの一周忌が近づいているが、バリーは弟たちをどんな風に思い出してほしいのだろうか?

「三人ともそれぞれに優れていました。だからぼくはこれからも誰にもまねできないような経験をしたのです――ぼくは一緒に曲作りをするような三人の弟たちと一緒に育ったのですから」
「いたるところに弟たちの存在を感じます。毎日『アンディだったらどう思ったかなあ』とか『ロビンやモーだったらどうしてただろう』とか考えます。ほんとによく知っている相手だと、亡くなった後も、どんなアドバイスをしてくれるかわかるんですよね。

 ビージーズとして、ぼくたちは一心同体でした。三人とも同じ夢を持っていました。ぼくが何よりも思い出すのはそのことです。ぼくが失って何よりもさびしいのもそのことです」

「傷心の日々」についてはモーリスが「三人兄弟が仲直りする歌」なのだと言ったことがあります。きっとスターとしてプロとしてという以上に、兄弟として特別な歌だったのでしょう。この歌をいまステージでバリーと一緒に歌うのがサマンサであるのも嬉しいことですね。「愛はきらめきの中に」はロビンが常に選ぶ「一番好きな歌」でした。三兄弟にとって個人的な思いがある歌だったということです。

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