【Rolling Stone誌2020年12月】ミュージシャン対談バリー・ギブ&ジェイソン・イズベル

Rolling Stone誌記事「Barry Gibb and Jason Isbell」より

[この対談がローリング・ストーン誌に登場したのは2020年12月、つまりフランク・マーシャル監督のドキュメンタリー『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』が全米で観られるようになったころです。改めて読むと対談の内容が映画への貴重なコメントになっていることがわかります。どんなバッシングを受けても、どんなにつらいことがあっても、「ぼくたちはただスタジオ入りして、一曲、また一曲と作り続けた」という言葉に改めてグッと来ました。個人的に年頭にいろいろと迷いがあったので、今年を生きていく上での指標にしようかと思います。2023年1月]

ローリング・ストーン誌(オンライン版2020年12月7日付)に、ニューアルバムからの先行シングル「ワーズ・オブ・ア・フール」で素晴らしいデュエットを披露したバリーとジェイソン・イズベルの対談が掲載されています。以下に内容を簡単にまとめてご紹介します。

「バリーと歌うなら、最高中の最高の力を振り絞るしかなかった」

昨年、ジェイソン・イズベルが妻でありバンド仲間でもあるアマンダ・シャイアズの待つ家に帰り、バリー・ギブと一緒にレコーディングしたばかりのデュエットを再生して聴かせると、彼女は言った。「これ、あなたのこれまでの歌唱の中でも最高よ」と。イズベルは答えた。「だっておれ、バリー・ギブと歌ってたんだよ。自分の最高中の最高の力を振り絞るしかなかったさ」

アラバマ出身のルーツィーなソングライターのイズベルは、実は生え抜きのビー・ジーズ・ファンなのだ。バリーと一緒にレコーディングした「ワーズ・オブ・ア・フール」『グリーンフィールズ:ザ・ギブ・ブラザーズ・ソングブック Vol. 1』に入っている。

「ぼくはずっと古いカントリー・ミュージックの大ファンだった」とバリーは語る。「ビー・ジーズという存在がなくなってしまって以来、ぼくは自分が楽しめるものの方に移行していった。それがこの種の音楽なんです」

「おれ、緊張しちゃってました、バリー」と、イズベルはふたりのデュエットについて言う。

「こっちはこっちでびっくり仰天でした」とバリー。「みんなに断られてもしかたないと思っていたんです。君たちが、ぼくたちの曲を好きでいてくれたという事実は、ぼくにとって本当に大きな意味があるんです」

イズベル:ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにあなたたちの星が設定されたのは、おれが生まれて2か月ぐらいのときです。だから、おれ、生まれてからずっとあなたたちの音楽を知っていたわけです。

オーストラリアでアメリカン・カントリー・ミュージックを聴きまくった少年時代のビー・ジーズ

バリー: ひえー。それじゃ、ぼくたちのルーツを少しお話ししますね。ぼくたちは移民の一家で、1958年にオーストラリアに移住した。以来、ロイ・オービソンとかエルヴィスとか、アメリカのレコードを聴きまくっていました。みんなカントリーのスターだけれど、ロック・スターでもある。ジョージ・ジョーンズ、ドリー…こういった人たちから大きな影響を受けました。

イズベル:その点で質問があります。人格形成期をイギリスで過ごさなかったという事実が、違いを生んだということはありますか? 当時のあなたたちの音楽にあまりスキッフルの影響を感じないのですが。むしろカントリー音楽っぽく聞こえます。

バリー: ぼくたち、アメリカのカントリー音楽にどっぷりと浸っていたんです。それから忘れてはいけないのが、ぼくたちはフォーク時代もしっかり経験しているということです。

イズベル:まさに。「マサチューセッツ」なんかカントリーですよね。

バリー:ぼくたちにとってはカントリーでした。でもぼくたちはまだ子どもだった。どんな風になりたいのか、どんな音楽がいちばん好きなのか、まだ手探りしている段階でした。音楽ならなんでも大好きだった。だからいろんなスタイルの曲があるんです。ぼくたちが書いた曲については、いろいろな意見があります。当時自分たちでは気づいてたわけじゃないんですけどね。何より、ぼくがなくなって寂しいなあと思っているのはロマンチシズム。歌には美しさがあってほしい。

イズベル: ビー・ジーズは時代のはるかに先を行っていた。ビー・ジーズの音楽は、黒人のR&Bレコードと同じようなインパクトがあったけど、黒人の物真似じゃあなかった。ビー・ジーズにはビー・ジーズのサウンドがあった。その点をわかってない人が多い。みんなR&Bとか、ソウルとかをやろうとするけど、自分が好きなそういう音楽のカリカチュアみたいになっちゃう。ところがビー・ジーズはそうはならなかった。すごくユニークな独自のサウンドを持っていた。

バリー:気づいた人もいたかもしれないけれど、実をいえば、ファルセットはデルフォニックススタイリスティックスが元なんです。ファルセットが使われているいろんなレコードがベースになっている。ブライアン・ウィルソンとかフランキー・ヴァリとか。あれでこわくなくなった。ファルセットを発見したから。自分にもできるなんて知らなかったんですよね。

でも変化の時が来ていて、1975年の『メイン・コース』からの曲が3曲ばかり、アーメット・アーティガンにボツにされたんですよ。契約を切られそうで、アーメットに言われたんです。「もっと調子をあげてくれよ。こんな曲は使えないよ。悲しすぎるから」って。そこで変化が起きました。(アトランティック・レコードのプロデューサーだった)アリフ・マーディンがいてくれた。彼こそ、ぼくたちに必要な知恵を持った人だった。素晴らしい影響を受けました。アリフが教えてくれたのは、音楽はラジオでかかるものというだけじゃない、心の中に見えるものなんだ、ということです。

「ビー・ジーズの曲は難しい」

イズベル:今回のカントリー・アルバムの仕事をするまでぼくがわかってなかったのは、あなたたちが書くメロディとジミー・ウェッブみたいな人たちが書くとメロディとの間のつながりです。実に、メロディという点であなたたちに比較できるのはジミー・ウェッブだけだと思うんです。あなたたちの緩急の付け方がぼくなんかにはわからないんです。やろうとしたってできないと思う。

バリー:ぼくたちの曲の中には、一見シンプルだけど実は違うというのがありますね。とても複雑にできてる。

イズベル:シンプルじゃないですよね。実際に演奏しようとすると、シンプルどころじゃない。

バリー:うまくいった曲もあるけど、うまくいかなかった曲もあります。うまくいかなかった場合でもがっくりしないという姿勢を身につける必要がありました。「あ、これはダメだ。じゃ、またスタジオ入りするか」という感じかな。

イズベル:70年代に第二の波が来る前には、いったん小規模なクラブで演奏しなければならないこともあったそうですね。それでもどうして頑張れたんでしょう? どうやって、忙しくして、現状に気持ちが負けないようにできたんですか?

バリー:ある意味で、とにかく仕事をし続けて、前進し続けて、現状についてくよくよしなければ、やっていけるってわかってたからでしょうね。「残念、このレコードはダメだったか」みたいに。すると三人のうちのひとりが、「まあ、あんまりシングル向けじゃないとは思ってたんだ」とか言うの。ほら、何しろ、3人兄弟だから――まあ4人と言ってもいいけど――全員の意見が一致することなんてなかった。だからうまくいかなければ、すごくがっかりする人間もいたけど、うまくいけば大喜びでした。でもそれから全員が親になって、子育てをするようになり、それがいちばん大切なことになりました。音楽作りは一生続けられても、一生、ひとりっきりでいることはできませんからね。

イズベル:結婚50周年だそうですね。

バリー:先週でね。いやもう、ほんと!

イズベル: ロックスターで、プロのミュージシャンで、どうしてそんなことが可能なんでしょう? 秘訣は何ですか?

バリー:なんでしょうね。とにかく、ユーモアをもって、何でも笑いの対象にできれば、うまくいくんだと思います。ぼくたち、もう大人になった子どもが5人と、孫も8人いるんです。すると、何をして失敗しても成功しても、基本、人生はオーケーさってなるんですよね。

イズベル:家に帰れば家族が待ってますものね。

バリー:『サタデー・ナイト・フィーバー』後のいわゆる反動期には、しょっちゅうそんな風にしてました。たしかに、がっかりはしたし、つらい思いもした。でも起き上がって、ぱっぱっと埃をはらって…ぼくたちはそうする術を身につけました。

イズベル: 大成功したグループが、まったく何の理由もなしに、成功ゆえに非難されるっていうパターンは、あなたたちが最初ですよね。

バリー: ぼくにはわからなかった。もともと、ぼくは、ナンバーワンになったレコードにケチをつけるのがよくわからないし。それからみんな、ぼくたちにケチをつけるようになったけれど、6曲を連続してナンバーワンにしたアーティストにそんなこと言わないのにね。だから、ぼくたちはいつだって、ただスタジオ入りして、また一曲、また一曲と作り続けた。それからプログラミングの仕事もありましたが、そっちはけこう退屈かな。その後、ぼくは人がリアルにリアルな音楽をやるという方向に惹かれていきました。

その2に続く)

ちょっと長くなったので、この辺で続きは(その2)にいきたいと思います。「マサチューセッツ」はカントリーロックとか言われたりもしていましたっけ。それにしても、結局のところ、ジャンルは問題ではなかった、彼らが愛していたのは特定のジャンルではなく、「音楽」だったということでしょうね。

{Bee Gees Days}

 

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