【追悼】ティナ・ターナー

映画『サージャント・ペッパー』のフィナーレでビー・ジーズと共演した時のティナ(写真左端ーSgt. Pepperソングブックより)

すでにご存じの通り、歌姫ティナ・ターナーが5月24日に亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。

ビー・ジーズつながりで真っ先に思い浮かぶのは、やはり映画『サージャント・ペッパー』のラストでの共演でしょうか。トップに掲載した写真は映画の楽譜集に2ページ見開きで掲載されていてティナがページの端に映っていたものですから、真ん中に立っていたビー・ジーズ3人と一緒の画像を出そうと思うと横長になってティナがとても小さくなってしまうので、ここではギブ兄弟の中では一番ティナ寄りに立っていたモーリスだけをフレームに入れてみました。今見るとこの時のティナの若いこと!輝くような笑顔が印象的です。

さらに、パッと思い浮かんだのがもうひとつ、下の画像です。キャプションには「即興でデュエットするロビンとティナ。今夏のツアーが終わったら、ティナをプロデュースしたいというのがロビンの希望だ」とあります。

この写真が掲載されていたのはアメリカの音楽雑誌Circus誌の1979年3月13日号のカバーストーリーでした。「今夏のツアー」というのは1979年夏のスピリッツ・ツアーです。

しかし、この写真もたまたま記事の見開き部分に掲載されていたので、真ん中で割れてしまいました(涙)。3兄弟の中でロビンに取材し、プロデューサー・チームのカール・リチャードソンやアルビー・ガルートン(いわゆるカールビー)、パーソナル・マネージャーのディック・アシュビーなどがロビンの人となりについて語った記事です。(この記事については、近くもう少し丁寧にご紹介しようかと思います)

「恋するシンガー」のプロモーション・ビデオに出演したり、ソロアルバムをバリーがプロデュースしたりした歌手のP・P・アーノルド(バリーの紹介でRSOに所属)が、ティナ(アイク・アンド・ティナ・ターナー・レビュー)のバックコーラスのアイケッツのメンバーとしてキャリアをスタートさせていたり、60年代にスターとして活躍していた同士、ビー・ジーズとティナの活動圏は意外と近いところにあったようです。

最後のものとなったアルバム『Twenty Four Seven』(1999年発表)で、ティナはビー・ジーズが書いた「I Will Be There」を歌っており、変わらぬソウルフルで深い歌唱を聴くことができます。(ビー・ジーズ版は、2001年3月にリリースされた英国版シングル「This Is Where I Came In」(英ポリドール)に入っているデモ・バージョンで聴くことができます。「これからも大切に思っているからね」と歌うこの別れの歌は、ビー・ジーズにとっても最後のアルバムとなった『This Is Where I Came In』に入れるにふさわしい曲だったと言われています)

もしかしたら来年の今ごろは ぼくたち また一緒にやっているんじゃないかな
君はぼくの涙をぬぐって 嘘を本当にしてしまうんじゃないか
言葉に出さない夢があって ぼくたち 約束したよね
いつまでもお互いに支えあおうって (I Will Be There (ビー・ジーズ・バージョン))

R.I.P.ティナ・ターナー。

誰かが亡くなると空には新しく明るい星が輝きはじめる
(from “アイ・スティル・ラヴー・ユー” by the Bee Gees)

{Bee Gees Days}

© 2009 - 2024 Bee Gees Days. 当サイト記事の引用・転載にあたっては出典(リンク)を記載してください。

おすすめ

error: 記事内容は保護されています。