【映画レビュー】ビー・ジーズの新作ドキュメンタリー『How Can You Mend A Broken Heart』

バーチャル開催された第51回ナッシュビル映画祭のオープニングナイトにビー・ジーズの新作ドキュメンタリー『How Can You Mend A Broken Heart』(フランク・マーシャル監督)が登場。Hollywoodglee.com(2020年10月11日付)にレビューが掲載されました。

以下にこのレビュー記事の内容を簡単にまとめてご紹介します。映画の内容がこれまで以上に詳しく語られています。

1970年代後半のディスコ時代最大のアーティストだったビー・ジーズはバリー、ロビン、モーリスのギブ三兄弟による兄弟バンド。ラジオ、映画館(サウンドトラックとして歴代二位の売り上げを誇るジョン・トラボルタ主演の1977年の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のOSTは、10曲中6曲が彼らの曲である)、テレビのトークショーへのゲスト出演などなど、ビー・ジーズはいたるところで活躍していた。そして彼らの曲は世界中のディスコで夜ごと人びとを踊らせていた。

『THE BEE GEES: HOW CAN YOU MEND A BROKEN HEART』―― 監督・プロデューサー を務めた フランク・マーシャルは、これまでに『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981)、『カラーパープル』(1985)、『シックス・センス』(1985)、『シービスケット』(2003)、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008)、『戦火の馬』(2011)の6作品でアカデミー賞作品賞候補となっている。今回のドキュメンタリーは、そのキャリアを通じてナンバーワン・ヒット20曲をはじめ1,000曲を超える曲を書いた伝説のバンド、ビー・ジーズにマーシャル監督がスポットライトをあてた作品だ。

映画は、キャリアの絶頂期にいたビー・ジーズの1979年オークランド・コロシアム公演の記録映像で幕を開ける。ここからマーシャルは、ビー・ジーズとは何者か、パフォーマーとしての彼らはどんな存在だったのかを探ってゆく。深い省察に満ち、徐々に対象に迫る語り口である。マーシャルは、ナレーション、記録映像、白黒写真をふんだんに使って、ビートルズの名声と人気に魅せられた若きギブ兄弟の肖像を描き出し、オーストラリアでレコーディングされたビー・ジーズ初のアルバム『スピックス・アンド・スペックス』登場の瞬間をとらえている。

なかなかいいのが、世界的スーパーグループのオアシス、最近ではノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズなどで活躍しているノエル・ギャラガーの洞察に富むコメントだ。初期ビー・ジーズのサウンドが60年代のクラシックなギター・ポップであり、ビートルズとよく似ていることなどを指摘しつつ、兄弟のボーカリストとしての才能について語るギャラガーのコメントには詩的な響きがある。血を分けた兄弟がそろって歌うとき「金を出しても買えない特別な楽器のような」ハーモニーが生まれる、という。「金で買えるものじゃない。ストラトキャスターでも買うみたいに、店にいって買って、バディ・ホリーをやる、というわけにはいかない」。ジョナス・ブラザーズのニック・ジョナスも、兄弟が演奏と生活を共にすることについては、「気持ちの高揚が作用する」と含蓄のある発言をしている。

また、1999年に行われた一連のインタビューで、その段階で40年に及んでいた兄弟ミュージシャンとしてのキャリアについて率直に語るギブ兄弟も観ることができる。長兄のバリーと人生を楽しむタイプである弟のロビンのマスコミをにぎわしたライバル関係は、1969年3月にロビンがグループを脱退するという結果を生んだ。モーリスは自分は「仲立ち役を担うことが多く、ピースメーカー」だったと語っている。マーシャル監督は新聞の見出しのモンタージュにギブ兄弟のナレーションを組み合わせる手法で、何が起きていたのか、その状況を彼らはどう思っていたのかを描き出す。

ここでもノエル・ギャラガーのコメントがうまく使われている。兄弟であることからくるパワーが、バンドとしての最大の強みであると同時に最大の弱点でもある、というのだ。この分裂騒ぎはビー・ジーズにとってダメージが大きく、以降、彼らは苦闘を強いられる状態が続いた。だが、アメリカに渡り、1975年のアルバム『メイン・コース』で新境地を拓いたことで事態は変わる。『メイン・コース』はカナダのチャートで首位に輝き、全米で最高14位まで上昇した。続く1976年のプラチナ・アルバム『チルドレン・オブ・ザ・ワールド』でさらに高まったグループの人気は、1977年に『サタデー・ナイト・フィーバー』が登場するに及んで天井知らずとなる。頂点にあたる1979年のアルバム『Spirits Having Flown』はベストセラーとなり、アメリカ、カナダ、イギリスのチャートを制覇している。

ギャラガーとジョナスの他にも、ビー・ジーズとその音楽についてインタビューに答えている錚々たる顔ぶれは、ミュージシャン/俳優/プロデューサーのジャスティン・ティンバーレイクコールドプレイのフロントマンであるクリス・マーティ、全盛期のフリートウッドマックで活躍したリンジー・バッキンガムアリス・クーパー、さらにはビー・ジーズのマネージャーだったロバート・スティグウッド等である。ティンバーレイクはビー・ジーズのボーカルは金管楽器のようだとコメント。マーティンは、ビー・ジーズは最初の「世界的なスーパースター」となったグループであり、そのキャリアを失速させたのは(大人気に対する)反動だったと語る。クーパーとバッキンガムは、ビー・ジーズが「ディスコの王者」として君臨した時代の音楽文化について時宜を得たコメントを寄せている。スティグウッドはビー・ジーズのマネージメントをビジネス面から語り、ラジオ局が少数の曲を繰り返し流していた状況に言及。これがビー・ジーズの曲の飽和状態を招き、結果的には急激な反動を生んで、シカゴのディスクジョッキーだったクリス・ダールがイリノイ州シカゴのコミスキー・パークで大勢の観客を前にディスコのテープやレコードを燃やすという事態にまで発展したのである。

この急激な反動はビー・ジーズには高いものについた。彼らは二度と再び人気を回復するにいたらなかったのである。2019年の映像で、バリーは歩きながら物思いにふけり、ボイスオーバーの形で名声の代価が語られる。バンド仲間でもあった弟たちは、末弟のアンディを含めてすべてこの世を去り、バリーは孤独だ。名声と引き換えに失ったものの大きさは、まさに現実なのである。アンディは兄たちに憧れ、バリーはアンディのソロキャリアの発進に手を貸した。アンディは兄たちのディスコ・スタイルを模倣してソロ・アーティストとして爆発的な人気を博し、ビルボードでナンバーワンとなったアンディのヒット曲「シャドー・ダンシング」はビー・ジーズの曲といっても通るような作品だ。そのアンディ・ギブは1988年に30歳で没している。

『The Bee Gees: How Do You Mend A Broken Heart』(訳注 原文のままです。彼らの代表曲のタイトルでもあり映画のタイトルでもあるので、ここを書き間違えているのは残念ではありますね)は情報量に優れた楽しめる作品だが、同時に悲しく痛ましい作品でもある。フランク・マーシャル監督は、ビー・ジーズというグループとその音楽の心と魂(ハート・アンド・ソウル)を描き出しただけではなく、その巨大な音楽的レガシーを生み出したパワーの正体にも迫っている。超おすすめ!(Larry Gleeson)

かなり内容にも触れたレビューなので、なんとなく切り口が見えてきました。

ところでビー・ジーズがいわゆる「ディスコ人気への反動」に苦しみ続けたことは、なぜか日本のマスコミではそれほど話題にされてきませんでした。最近では、「その反動は少数派差別に根ざしていた」とジェイスン・イズベルなどが声をあげています。ディスコはそもそもゲイやブラックなどマイノリティの音楽だったからです。

新作ドキュメンタリー『The Bee Gees: How Can You Mend A Broken Heart』はこのほかにも各地の映画祭に登場していますので、このほかのレビューも紹介していきたいと思います。

{Bee Gees Days}

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