【Guts誌1978年3月号】「想像を上回るビー・ジーズのアメリカでの強さ…」
日本の音楽雑誌ガッツの1978年3月号。日本にフィーバーが上陸しようとしていたころ、ビー・ジーズのアメリカでの活躍ぶりを伝える短信をご紹介します。
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日本の音楽雑誌ガッツの1978年3月号。日本にフィーバーが上陸しようとしていたころ、ビー・ジーズのアメリカでの活躍ぶりを伝える短信をご紹介します。
1977年秋、「恋のときめき(I Just Want To Be Your Everything)」でアンディ・ギブがビー・ジーズ兄弟の末っ子として日本のメディアに注目されるようになったころのFM雑誌の記事より。
1977年、全米のメディアにアンディが登場し始めたころのインタビュー。『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラックを仕上げて手応えを感じているバリーも取材に応えているまさに”歴史的”なインタビューです。
1976 年の『チルドレン・オブ・ザ・ワールド』ツアーNY公演を巡る狂奔を英国から取材に行った記者が書いた取材記です。ビー・ジーズ本人は登場させずに、彼らを取り巻く状況をうまくとらえているところはさすが! ”フィーバー”はすぐそこに迫っていました。
76年12月NY公演時のビー・ジーズに取材した記事。チャリティ等で話題性を投入したツアーの雰囲気と、”フィーバー”直前、創作面でノリにノッていたビー・ジーズの姿が描き出されています。
変化し、進歩し続けるビー・ジーズにとって”ディスコ”は通過点のはずだったのに…。フィーバー前夜、1976年12月のL.A.公演レビューが総括する「ビー・ジーズの昨日・今日・明日」は今読むと心に刺さります。
米『ヒット・パレーダー』誌1967年⒓月号より、”新興勢力”ビー・ジーズの独特の魅力を語る記事で、ヴィンスやコリンの発言も興味深く、長らく幻の曲扱いだった初期の曲「ギルバート・グリーン」についても言及されています。
89年末に15年ぶりの来日公演を行ったビー・ジーズに取材した記事。フィーバー現象の後遺症に苦しみながら彼らが80年代をどう生き抜いたか、映画『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』と合わせて読むと感動もひとしおです!