【1968年3月27日】ビー・ジーズ、ロンドン公演レビュー(Music Life誌1968年6月号)

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ビー・ジーズにとって初めての本格的な全英ツアーのキックオフにあたるこのコンサートは、キャリア全体の中でも大きな位置を占めています。ツアーの日程は既出の画像の通り(あ、でもこの画像では見にくいですね。今度ちゃんと出します😔)ですが、この日のスペシャル・ゲストは当時快調にヒットを飛ばしていたデイブ・ディー・ドージー・ビーキー・ミック・アンド・ティッチ(メンバー全員のニックネームを連ねたというグループ名が長すぎるので当時の日本ではデイブ・ディー・グループと呼ばれていました)。

デイブ・ディーも人気が高かったため、ロバート・スティグウッドとしては「主役はあくまでビー・ジーズ」ということを強調するために両グループの不仲説を演出しようとしたともいわれていますが、実際には両グループとも仲がよく、ツアーの間はお互いの楽屋にいりびたったりしていたそうです。

星加ルミ子編集長(当時)によるMusic Life誌のコンサート・レビューはデイブ・ディーについても詳しく、当時の雰囲気が伝わってくるので、デイブ・ディーに関する部分も引用しておきます。

一部の終りはデイブ・ディー・グループの登場です。一瞬ステージがまっくらになり、客席の歓声だけが一段と大きくなりました。やがて赤い二筋のライトがステージをてらした時、客席に背中を向けイスに坐っている4人の姿がありました。ミックだけはドラムの前に坐っていましたが、イスの4人は黒い長いマントを着て、黒いツバの広い帽子をかぶっています。ドラムの音ととともにクルリと4人が正面を向き、帽子を客席に投げました。それからパラリとマントをぬぎすてるや、一瞬ライトがステージを明るくてらし、4人のハッスルしたステージがくりひろげられるのです。こうした凝った演出はそこここに見られ、中でもデイブ・ディーが観客に応えてお辞儀をしたあと、投げキッスをてのひらにのせてフッと客席にふくマナーはかわいらしさがいっぱいでした。曲はロックのメドレーあり ”イフ・アイ・ワー・ア・カーペンター” “ベンド・イット” ”エグザダナウの伝説”と約10曲歌いまくりましたが、”ザバダク”の時はステージをまっくらにして、楽器だけが赤や青の夜光塗料がぬってあるので、黒闇の中でもやもやとあやしげなムードをかもし出していました。

”黒く塗れ”を歌った後デイブ・ディーが興奮したティーン・エージャー10人程によってステージの下にひきずり下される始末、一寸のすきもない迫力のあるデイブ・ディー・グループの華やかなステージが終り10分間の休息のあと、いよいよビー・ジーズの登場です。

ずばぬけた演出

まず目をみはったのは、ステージの前にしつらえられたオーケストラ・ボックスにはハープティンパニーをはじめ50人編成のオーケストラがビー・ジーズのバック演奏するために入ってきました。

やがて、すさまじい歓声とファンの叫ぶビー・ジーズという声が一段と高くなった時は、バリー先頭に5人がステージの上に現れました。すぐに演奏は始まり、一曲目は「ニューヨーク炭鉱の悲劇」ソロはバリーです。3曲目の「アイ・キャン・シー・ノーバディ」が終わった時再び驚いたことに、20人の軍楽隊が客席の後ろからステージの前へ吹奏楽を演奏しながら現れたのです。こうしたお客をびっくりさせる趣向はこれだけではありませんでした。「サン・イン・マイ・アイ」の後はやはり客席の一番後に30人の大コーラス隊が現れて、荘厳なミサを歌いはじめたのです。これにはさすがの並入るお客さんも口をあんぐり。

「マサチューセッツ」の時はティーン・エイジャーがどっとステージの前になだれ込み、一時は演奏不可能の状態でした。

ラスト・ナンバーの「ワールド」まで全14曲約一時間にわたって歌われました。ソロはバリーとロビンが主に受けもち、ベースのモーリス、ドラムのコリン、リードのビンスが一生懸命演奏していましたが、惜しむらくはステージ・マナーがあまり良くなくって、特にロビンは声が抜群にいいのに比べて、マナーがどうもいただけません。

ファンの声援が多かったのはバリーとビンスでした。

ところでこの「暗闇の中にいて、くるりと向きを変えて歌い始める」という演出について、「あっ!!?」と思われた方はいらっしゃいませんか。そう、ビー・ジーズの初来日ステージの演出がまさにそれで、オーケストラの奏でる「ニューヨーク炭鉱の悲劇」が流れ始めると暗闇の中に3人のシルエットが浮かび、くるりと向きを変えて歌い始める、というものでした。ディブ・ディーは凝ったステージで有名だったということですから、この演出はその辺を参考にしたものだったのかもしれませんね。

”ハッスル”とか死語の世界ですが、このレポートからも当時の日本とイギリスの距離感が感じられます。何しろインターネットもメールも、YouTubeどころかMTVもなく、アーティストの動画を見られる機会もめったになかったころです。おそらくは初めて読んだこのレポートで、妙に印象に残ってしまったのは「ビー・ジーズはステージ・マナーが悪いらしい」ということだったりしました(苦笑)。

これからほんの4年後にはビー・ジーズは初来日して、日本のファンは彼らの生のステージに接する機会を得たばかりか、その様子はテレビ放送もされるわけですが、当時のレビュー(本サイト既報)にいわく「この三兄弟まことに礼儀正しく、1曲終わるごとに最敬礼。近ごろのヤング・スターのコンサートでとんとお目にかからなくなったステージマナーである」。というわけで、彼らはむしろ古風な「ヤング・スター路線」を追究していたらしいことがわかります。

これは他でも書きましたが、彼らがいわゆるチャイルド・スターとして”ショービジネス”の出身であったこと、やはりショー・ビジネス出身(ビッグバンドのマスターだった)父親のヒューイ・ギブから観客受けするマナーを叩き込まれたこと、などが根にあるのだろう、と当方は思っていました。

ところが最近、NHKあたりで放送されたブライアン・エプスタインとビートルズに関する番組で、「エプスタインがビートルズを売り出すにあたり、一曲終わるごとに最敬礼させるといった古風でエスタブリッシュメントに受けそうなマナーをたたきこんだ」というような情報が紹介されたそうです。エプスタインはビー・ジーズの売り出しにもからんでいますから、ビートルズがひげや髪を伸ばし、ローティーンの少女が壁にピンアップを貼って憧れるような対象から逸脱していくにしたがって、若くて”かわいらしい”外見で出自も不明な点が多い(つまりまだ手垢のついたイメージが定まっていなくて、真っ白な状態で”アイドル”として売り出せる)ビー・ジーズに”第二のビートルズ役”が振られたというのは大いにありそうなことです。あのちょっと古風ともいえそうなステージ・マナー(特に初来日の72年)にはそうした背景もあったのかもしれません。

で、バリーやモーリスが「父は非常にステージ・マナーにきびしく、ロビンが良く叱られていた」と取材に応じてあちこちで語ったりしていますから、ロビンの”ステージ・マナー”が悪かったというのはある意味本当だったのかも?

しかしこれはやっぱり彼らをアイドルとして、”ヤング・スター”として見る目線ではあって、これから4年後の72年にはすでにそうしたステージ・マナーは「近ごろはとんとお目にかからなくなった」といわれるものになっていたりしたわけですね。

ちなみにこの日のセットリストはSetlist.fmには次のように書かれていますが、この段階でまだ未発表だった(書かれてもいなかった?)アルバム『アイディア』の曲なども入っていることなどからあまり信ぴょう性がないように思われます。「ワーズ」が二度入っているのも意味不明です。(もっともロビンの2005―6年のアジア・ツアーでは「ステイン・アライヴ」を二度歌っていたりもしたわけですが)

1 New York Mining Disaster 1941
2    To Love Somebody
3.Jumbo
4.The Singer Sang His Song
5.I’ve Decided To Join the Air Force
6.I Started A Joke
7.Let There Be Love
8.Words
9.I Can See Nobody
10.   I n The Morning
11.  Really And Sincerely
12. Massachusetts
13. I’ve Gotta Get A Message To You
14. Spicks And Specks
15.Words
16.  With The Sun In My Eyes

{Bee Gees Days}

 

 

 

 

 

 

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