【2019年12月】全米1位「ステイン・アライヴ」を検証する

ビルボードHot 100でナンバーワンになった歴代のヒット曲をチャートが開始された1958年から開始して、順番にレビューしていくというStereogum.comの興味深いシリーズ「The Number Ones」、紹介の順番が前後してしまいましたが、今回は1978年2月4日にチャートのトップにのぼりつめ、4週間1位の座を保持したアイコニックな大ヒット「ステイン・アライヴ」についての記事をご紹介します。

ペンキの缶を運びながらかっこよく見せるのがどのぐらい大変か、ご存知だろうか? ペンキの缶は重い。かっこ悪い。持ち方が悪いとひざにゴンゴン当たる。缶の持ち手が指に食い込む。着ているものにベチャッとこぼれるんじゃないかと、なんか心配である。けれども『サタデー・ナイト・フィーバー』のオープニングのクレジット場面で、ジョン・トラボルタ演じるトニー・マネーロが持っていると、ペンキの缶は、これ以上ないぐらいかっこいいアクセサリーみたいに見えてしまうのだ。

あのオープニング・シーンでは、まずトラボルタの足が見えて、それから全身が見える。磨き込まれた厚底の赤い革靴(ペンキ屋の店員の仕事にはいまいちあってないんじゃないかと思われる)、赤いシャツの襟はジャケットの上に広げ、ヘアスタイルはばっちり決めて、彼はベイ・リッジの舗道をストラットしていく。ひときわ長身で、特に急ぐ様子もなく。ピザを2枚重ねて、片手でつまみ、洋服に油やトマトソースの染みがついたらどうしよう、なんて気にする風もない。一軒の店に立ち寄っては、シャツを予約。文字通り、女の子の尻を追いかけまわす。ああ、こいつが「その男」だと、セリフがひとつもないうちに、こちらにはわかってしまう。

『サタデー・ナイト・フィーバー』のあのオープニング・シーンはトニー・マネーロをホワイト・エスニックの男らしさのある種の理想像として確立している。ブルックリンの伊達男のキングだ。続く2時間の映画はそのイメージを破壊してゆく。それなのに、誰もの記憶に残るトラボルタは、みじめな行くあてもない若者でもなければ、著名人の名前を聞いても誰のことだかわからないおバカなやつでも、デートレイプ未遂をしでかす男でもない。あのオープニングの場面のあのトラボルタなのだ。

あのイメージは、映画全体につきまとっていただけではない。その後数十年に及ぶトラボルタのキャリア全体につきまとい続けている。あの脈打つようなサウンドトラックのおかげでビー・ジーズのキャリア全体につきまとっている。ディスコ音楽の歴史全体につきまとっている。消すことのできない文化的アイコンである。あのオープニング場面で「ステイン・アライヴ」以外の曲が使われていたら、こんなことにはならなかっただろう。

『ステイン・アライヴ』はシングルになるはずではなかった。『サタデー・ナイト・フィーバー』が劇場公開される数か月前に、ビー・ジーズはすでにきらめくようなバラード「愛はきらめきの中に」をリリースしてヒットさせている。ところが『サタデー・ナイト・フィーバー』のトレーラーが出ると、映画本編が封切られる前に、世の人びとは「ステイン・アライヴ」を耳にした。ラジオ局にリクエスト電話が殺到した。その結果、ビー・ジーズのレーベルだったRSOは映画が劇場公開される3日前に「ステイン・アライヴ」をシングルとしてリリースした。

映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の製作者であり、ビー・ジーズのマネージャーにしてレーベルのボスだったロバート・スティグウッドがビー・ジーズに望んだのは、「サタデー・ナイト」という曲を作ってほしいということだった。これが映画のそもそものタイトルだったのだ。だがギブ兄弟は「サタデー・ナイト」なんてアホで、凡庸で、使い古されたタイトルだ、と却下した。彼らは正しかった。「ステイン・アライヴ」という曲、そしてそのタイトル自体が、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』を別物にしている。ストーリーの核を決定づける役割を果たしている。核とは、あのトラボルタのストラットのかげにあるやもしれぬ自暴自棄の念だ。強烈なタイトルである。1983年にシルベスター・スタローンが待望の『サタデー・ナイト・フィーバー』続編を監督したが、続編のタイトルはまさに『ステイング・アライヴ』だった。

ビー・ジーズが書きたかったのはニューヨークで生き延びることについての歌であり、歌詞には普遍性がある。歌詞の半分ぐらいは、与太話だ。あの歩き方でわかるが、彼は伊達者で、話してるヒマなんてないような男だ。靴には天の羽がついていて、彼はダンシングマンであり、負け知らずなのだ。ところが残る半分で、彼は自分のつらさを嘆いてみせる。生まれてこのかた、こづきまわされてきた。街は倒壊し、人びとは震えている。彼の人生には行き場がない。誰かに助けてほしい。「ニューヨーク・タイムズが人に及ぼす影響を理解しようとできる」というものの、ここで「times」というのはタイムズという新聞ではない。(訳注 これには諸説あり、オフィシャルに出ている歌詞ではTは大文字で、ニューヨーク・タイムズという新聞のことです)

見事な、ぐっとくる組み合わせだ。あの深い渇望、あの不安感があればこそ、バリーはあんな風に曲の最初から最後までストラットし通す。バリーのボーカルは電撃ショックを受けたファルセットによる悲鳴だ、痛みの叫びだ。2番目のコーラスの後で、バリーはホラー映画に出てくる十代の女の子が死体にけつまづいてあげるような、長い長い恐怖の悲鳴をあげる。ところが同時に、バリーとその弟たちがあの圧倒的なビートを乗りこなす様には捕食者の持つ優美さがある。彼らはおびえているだけではない。人をおびえさせる存在でもあるのだ。

ビー・ジーズには、最初期のヒットから、こうしたグサリとくる、ゴシック風のところがあった。「ステイン・アライヴ」には、たとえば、1967年の「ニューヨーク炭鉱の悲劇」と同じぐらい死の影がある。この「ステイン・アライヴ」という曲で、ビー・ジーズは、流れるような、一般受けするダンス・ミュージックに、あの暗いパラノイアを活かす方法を見出したのである。ほどなくマイケル・ジャクソンもこれを理解する……ダンス・ミュージックは別に軽いふわふわした音楽である必要はない。底意地が悪くて、ピリピリしていて、重たくていい。「ステイン・アライヴ」にはそうした要素すべてがそろっている。

今日にいたるまで、ポップミュージックであれほど見事にファルセットを使ったものはいないと筆者は信じている。バリー・ギブと弟たちは、懸命に叫ぶ……完璧なハーモニーで。彼ら以前にはフランキー・ヴァリがやったように、彼らはこの世の物とも思えない両性具有的なボーカルとマッチョにキメた歌詞のはざまの、のたうちまわるような緊迫感を活かしきった。(ついでながら、フランキー・ヴァリもビー・ジーズとのコラボ曲で、近くこの欄に再登場する予定である)(訳注 いわずとしれた「グリース」の主題歌です)女性とも男性ともつかぬ声で「伊達男だ」「女好きだ」と歌うにはものすごい自信が必要なのだ。

「ステイン・アライヴ」の天才は恐怖と渇望と虚勢を混然とさせたことにある。一貫性なんか不要だ。言ってることが矛盾してたって、それでいいのだ。ビー・ジーズに矛盾はない。それどころか彼らはよく理解している、こうした感情はすべて同根であり、共生しているのだ、と。

これができるのも、ひとつに「ステイン・アライヴ」が完璧なポップ・ソングだからである。「ステイン・アライヴ」には小技が満載されている。コーラス部分でのあえぐようなバックボーカル、ブリッジ部分での囁くような、つき刺すようなストリングス、完璧なタイミングで鳴り響くシンバル音。「ステイン・アライヴ」はまさに、これ以上ないぐらい完璧に作りこまれている。「ステイン・アライヴ」は、まるで存在しなかったことなどないように聞こえる曲のひとつだ。これを人間がゼロから作り出したなんて嘘でしょー、と言いたくなる曲だ。

いや、もちろん、ゼロから作られたのだが。完璧なポップソングの例に漏れず、「ステイン・アライヴ」には、まったくの偶然に負う部分がある。例えば、レコーディングの最中に、セッション・ドラマーだったデニス・ブライオンが不在だった。母親が亡くなったからだ(訳注 デニス・ブライオンのご母堂は単に病気だっただけです)。別のドラマーを雇うよりはと、コ・プロデューサーのアルビー・ガルーテンは、ブライオンが「恋のナイト・フィーヴァー」用にすでに録音してあったドラムスの何小節分かをつなぎあわせて使用した。ちなみに「恋のナイト・フィーヴァー」も近くこのNumber Onesコラムに登場予定のビー・ジーズの曲である。こうしてループするように作られたドラムスは、完璧な、うねるようなベースラインとともに、「ステイン・アライヴ」のゆるぎない律動を生んでいる。個人の悲劇に端を発して生まれたあのドラム音が、「ステイン・アライヴ」をディスコ・ソングの基本中の基本ともいうべき存在にしているのだ。

「ステイン・アライヴ」は、1978年を席巻したビー・ジーズの活躍ぶりの、ほんの小さな一部に過ぎなかったのに、この曲は彼らのカタログ中に他を睥睨して聳え立ち、彼らのレガシーを代表する存在となった。ビー・ジーズのキャリアはディスコ・ブームの終焉とともに大下落を遂げたわけで、「ステイン・アライヴ」がどこでもここでもかかりまくったこともその大きな要因のひとつだったのではないかと思われる。ビー・ジーズは「ステイン・アライヴ」を恨んだ。ディスコ以前から存在していたこのグループは、ディス以降にもグループとして存在し続けた。けれども、ビー・ジーズについてあらゆる人が知っていることといえば、ただ「ステイン・アライヴ」という曲のみに尽きるのだ。80年代後半、ビー・ジーズはローリング・ストーン誌に対し、「ステイン・アライヴ」についてこう語っている。「あの曲に白いスーツを着せ、金のチェーンで飾って、燃やしてしまいたいよ」

けれども「ステイン・アライヴ」は『サタデー・ナイト・フィーバー』よりも、ディスコよりも、3人いたビー・ジーズのうちの2人よりも、生きながらえた。いまや、この曲は僕たちにとって共通の文化遺産の一部になっている。決して古くならない、決して衰えない、決して力を失わない、ポップスの奇跡のひとつだ。「ステイン・アライヴ」は生き続けている。

採点:10点満点中の10点

ボーナス曲として次のようなカバーが紹介されていますー映画『フライングハイ』(1980)のナイトクラブ場面での「ステイン・アライヴ」、ハッピー・マンデーズのそれとわからぬほど変容した「ステイン・アライヴ」(B面カバー)、イギリスのダンスデュオ、N-Tranceとラップのリカルド・ダ・フォースが発表した「ステイン・アライヴ」(1995年、アメリカでは最高位62位、イギリスで2位、全ヨーロッパでヒット)、ワイクリフ・ジーンがサンプリングした「We Trying To Stay Alive」(最高45位、ビデオは良作)、映画『ハッピー・デス・デイ2U』のサントラから「ステイン・アライヴ」

by Tom Breihan

この「Number Ones」というコラムでは、ビー・ジーズの全米1位曲が順次とりあげられており、すでにこれまでもその何曲かについての記事を紹介してきましたが、ただただ褒めるだけでも、偏見をもってけなすだけでもなく、毎回とても面白い。中でも白眉は筆者のTom Breihan氏が10点満点中の10点をつけたこの「ステイン・アライヴ」論でしょう。

「ステイン・アライヴ」が、軽くもなければ、ふわふわしてもいないのに、“ディスコ”の代表曲となり、新しい地平を開いたこと。完璧に作り込まれたポップスの名曲であるために、ビー・ジーズの本質の一部である暗い面を併せ持ちながら、それが光と影の対照のような緊迫感を生んでいること、などなど、納得の論評です。

作家性と商業性の相克、均整美と共存する微妙で不可思議ないびつさ、そのはざまに生まれる緊迫感…そういう意味では、「ステイン・アライヴ」は、もっともビー・ジーズらしい曲といって良いのかもしれません。しかし、この筆者は毎度ながら点がからいので(「傷心の日々」なんか10点満点の3点ですがな~!)10点満点は嬉しいです。ビー・ジーズには他にもナンバーワンの曲があり、このコラムで取り上げられていますから、いずれご紹介してゆきたいと思います。

ところで、最近のインタビューでバリーは「トラボルタは“あの曲では踊れない、でもあの曲にあわせて歩くんだったらできる”と言った」と発言していますので、近いうちにそのあたりをご紹介したいと思います。

{Bee Gees Days}

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