【2020年6月】新作を発表したヴィンス・メローニーのロング・インタビュー(その1)

ヴィンス・メローニー、キャリアを語る

ヴィンス・メローニー、キャリアを語る(画像はStrange Brew PodcastのTwitterより)

去る6月5日に久方ぶりの新曲としてイージービーツの「 Women (Make You Feel Alright)」を発表して健在ぶりを示したヴィンス・メローニー。ロングインタビューに応じ、Strange Brew Podcastで自らの長い音楽キャリアや狂奔のビー・ジーズ時代を振り返りました。率直な語りぶりに誠実な人柄が感じられます。版権の関係で全訳はできませんので、だいたいの内容を2回に分けてざっとご紹介します。インタビューに挿入された全16曲の中にも貴重な音源が入っていますので上記のリンクでお聴きください。

「ワーズ」の思い出

1曲目「ワーズ」(ビー・ジーズ)
ジェイソン・バーナード(以下JB) ストレンジ・ブルーへようこそ。ぼくはジェイソン・バーナード、いま流れたのはご存じ、ビー・ジーズの68年のヒット「ワーズ」です。今日はなんとヴィンス・メローニーにゲストに来ていただきました。ヴィンスといえば、ぼくを含めてファンが多いビー・ジーズの五人組時代のギタリストだった人です。今日はどうもありがとう、ヴィンス。

ヴィンス こちらこそ今日はお招きありがとう、ジェイソン。

JB  ニューシングルを発表したんですね。今日のラストに流す予定です。この曲についても訊きたいんですが、まず、「ワーズ」について、レコーディングの時の思い出とか、何かありますか?

ヴィンス ああ、当時はねえ……「ワーズ」については特に覚えてません。何しろいーっぱいレコーディングしたからなあ。マネージャーだったロバート・スティグウッドがスタジオに来たのはなんとなく覚えてます。スタジオで「ワーズ」を聞いて、「これが次のシングルだ」って言ったんですよね。ロバートはヒット曲を聞き分ける優れた耳の持ち主でした。ひとつだけ例外はあったけど、ぼくたちが出したレコードすべてについて、どの曲をシングルにするかはロバートが決めていました。「ワーズ」は成功しましたね。とにかく大勢のアーティストにカバーされた。エルヴィス・プレスリーまでカバーしたんですよ、すごいですよね。

JB  ビー・ジーズは他と違っていましたよね。ハーマンズハーミッツとか、当時のバンドはどの曲でもセッション・ミュージシャンを使っていたわけですが…。ビー・ジーズはイギリスに来た時点ですでにバンドとして成り立っていたんですか?

ヴィンス 実をいうと、ぼく、オーストラリアにいたころからビー・ジーズを知っていたんです。かなり親しくしていて、友だちのスタジオで一緒にレコーディングしたりしていたんです。オジー・バーンがスタジオのオーナーで、ぼくはビー・ジーズがやっていた曲にギターを入れたりしました。どの曲だったか、何曲あったのか、ちょっと思い出せないんですけど。その日、彼らの方もぼくの曲2曲ばかりで歌ってくれたりしました。で、モーリスと話してて、ぼくが「妻とふたりでイギリスへ行くんだよ」って言ったらモーリスが、「おれたちも行くよ。あっちで会えるかも」って言ったんです。

でもねえ、イギリスには何百万人も人がいるのに、そうそう会えるものじゃない…はずなのに、不思議なことに会えたんです。ぼく、イージービーツと仲が良くて、ある日、イージービーツを訪ねたら、「ビー・ジーズもイギリスに来てるよ」って言われたんです。それで教えてもらった番号に電話してモーリスと話したら、モーリスが、「おれたち、レコーディングしてるんだ。ロバート・スティグウッドっていう人と契約したの」っていうことで、来週とかすぐに「来てギターを弾いてよ」っていうことになって。ぼくは喜んでスタジオに行って、そこで初めてコリン・ピーターセンとも会いました。コリンとは初対面でしたが、彼、素晴らしいドラマーでした。その晩、「ニューヨーク炭鉱の悲劇」をレコーディングしました。そしてその晩、ビー・ジーズのメンバーにならないかって誘われて、五番目のビー・ジーズになったんです。

ぼくたち、全部自分たちでやってたんですよ。セッション・プレイヤーを呼んだのは一度だけ。「サッチ・ア・シェイム」をやった時にハーモニカを入れたいなと思ったけど、ぼくたち誰もハーモニカができなかったので、セッション・プレイヤーに来て演奏してもらいました。当時、ぼくたちの曲で演奏したのは他にはオーケストラだけです。ストリングスとかオーボエとかね。でもセッションマンは使わなかったので、どの曲でも演奏しているのは全部、バリーとロビンとモーリスとコリンとぼくだけなんです。

2曲目「ニューヨーク炭鉱の悲劇」(ビー・ジーズ)

ビートルズをしのぐ人気だったオーストラリア時代

JB  知らない人も多いんじゃないかと思いますが、実はあなたは渡英以前にオーストラリアで大人気でいくつもヒットを飛ばしているんですよね。最初に参加していた大ものバンドのひとつがビリー・ソープ・アンド・ジ・アズテックスだと思いますが、ナンバーワン・ヒットには「Poison Ivy」などがありますね。

ヴィンス いやあ、あれはすごい時代でした。アズテックスの前身はヴィブラトーンズ(?)というバンドでした。ぼくがリーダーで、当初はボーカルのジョニー・ノーブルの名前をとってジョニー・ノーブル・アンド・ジ・アズテックスと呼ばれていました。当時シドニーでもぴかイチだったキングズ・クロスの「サーフ・シティ」で仕事をもらって、定期的に出演してたんですが、あるときマネージャーから、「ニュージーランドで仕事をしてきた人物がいるんだが、今はブリスベーン住まいで、シドニーに来ている。一度一緒にリハーサルをしてみてくれ」って言われて、それがビリー・ソープだったんです。

で、ビリーが歌ってみたら、ぼくたちとぴったり合ったんです。そこで名前もビリー・ソープ・アンド・ジ・アズテックスになりました。変な話、ビリーはキングズ・クロスに住んでたんですが、そこでイギリスのノーフォークから来たトニー・バーバーという若いやつに会って、彼もメンバーになったんです。ギターが弾けて、歌えて、曲も書けたので。

「Poison Ivy」がぼくたちの最初のナンバーワンでしたが、これも面白い話でね。当時、オーストラリアのラジオ局は英米の音楽中心でオーストラリアの音楽ってほとんどかけてもらえなかったんです。ところがメルボルンのあるDJが、ぼくたちのことを聞いたことがなかったもんだから、ビリー・ソープ・アンド・ジ・アズテックスのことをイギリスのグループだと思い込んで、「Poison Ivy」をがんがんかけてくれたんですよ。そしたらナンバーワンになりました。

もうひとつ言うと、「Poison Ivy」がチャートでナンバーワンだったときにちょうどビートルズがオーストラリアに来たんです。でもぼくたちも働いていたので、彼らを見る機会には恵まれませんでした。で、とにかく、ビートルズのオーストラリア滞在中、ずううっとナンバーワンはぼくたちの曲だったんです。ビートルズでさえもぼくたちを1位の座から追い落とせなかったんですね。ぼくの記憶ではビートルズは2位、3位、4位、5位とチャートを独占してたけど1位にだけはなれなかった。だからぼくたち、けっこう人気があったんですね。うれしかったですよ。

3曲目「Poison Ivy (ポイズン・アイヴィ)」(ビリー・ソープ・アンド・ジ・アズテックス)

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