モーリス・ギブの「検死報告書」日本放映

モーリス・ギブ「検死報告書」番組サイトより

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公開されている検死報告書をもとに有名人の死を検証するイギリス発のドキュメンタリー『Autopsy検死報告書』のモーリス・ギブのエピソードが近く放送されます

シリーズを放送しているチャンネル銀河によれば、放送は5月29日(日)(21~22:00)、再放送は6月5日(日)(9~10:00)です。

このシリーズはいわくつきでもあります。2015年に制作されイギリスで放送された折には、ビージーズ・サイドが次のような異例のメッセージを出したことでも知られています。

イギリスのITVチャンネルが『Autopsy検死報告書』シリーズの一環としてモーリスの回を制作すると聞きました。この番組はモーリス・ギブの遺族、ビージーズ、ロビン・ギブの遺族が承認したものではなく、私たちとしてはITVがモーリスについてこのような番組の制作を決定したことに激しいショックと失望の念を覚えています。私たちがこの番組に協力したという事実はなく、まったくおすすめもいたしません。

英文の全文はロビンのオフィシャル・サイトで読むことができます。

確かに楽しい話題ではあるはずもなく、ご遺族の感情は十分に理解できます。同時に、公人であったモーリスの場合、存命中にもあることないこと報道されてきたわけですし、「未承認」の評伝などは今後も出続けることでしょう。特にこの番組の場合は、見る側のメディア・リテラシーがきびしく問われることにもなります。また、番組の前提となっているモーリスの検死報告書は以前からネット上で閲覧可能であることを付け加えておきます。

この番組はすでに英米では放送されていますので、以下に内容をご紹介します。この話題については読みたくないという方、番組を実際に見るまでは内容を知りたくないという方は、これから先は閲覧にご注意ください。

【閲覧注意】
検死報告書―モーリス・ギブの回(シーズン6) 

ニュース映像、俳優によるドラマ仕立ての再現映像、周囲の人間の談話、著名人のコメントなどによって、モーリスの最後の数時間とビージーズのキャリアを再現。モーリスの人となり、ミュージシャンとしてのモーリス、さらには病理学者ハンター博士による検死報告の解析が主な内容。コメンターは、有名DJでビージーズと親交のあったポール・ガンバッチーニ、ビージーズの評伝の作者デイヴィッド・メイヤー、バンドメンバーだったスティーブ・ドラッカー等。
「まわりの人間の話では、非常に健康で元気だったというモーリスの病気は突然のもの」で、当日も食事をしたというダイナーのウェイトレスは「ぜんぜん病気には見えなかった」と回想。

53歳の誕生日を祝ったばかりだったモーリスは、死の直前には半ば引退したポップ・スターという風情で、家族と時間を過ごすことが多く、さまざまな音楽プロジェクトにも取り組んで幸せな暮らしをしていた 。

検死報告書によれば、モーリスは「5フィート8インチ(約173センチ)、149ポンド(約67.6キロ)、BMI22.6と非常な健康体重」で、「趣味のペイントボールのおかげでひきしまった体形」。ドラマーのポール・ドラッカーの話では、「健康そのもの、とても元気で活動的でエネルギッシュ」だった。

倒れた日も行きつけのダイナー(ステイディアム・ダイナー)で家族とランチをとったが、ウェイトレスのスーザンは、「まるで夢のよう。小さなダイナーに来ては、美味しそうに食べて、誰に対しても感じがよくて、自己紹介したり、とてもフレンドリーで、とってもあたたかな人柄でした」。このダイナーはモーリスが「スターであることを離れて、周囲に溶け込めるお気に入りの場所」だった。ほとんど決まったように「野菜オムレツを注文」。

この日、食べはじめてまもなく、モーリスは腹痛を訴えたが、特に何もせず、そのまま食事を終えている。ハンター博士によれば、「この腹痛は消化器系の不調の最初の兆候。食中毒が原因で起こることが多い症状だが、手術が必要になるほどのケースは非常に稀。モーリスが感じた痛みは危険信号だったわけだが、たいした痛みではなかったこともあって、モーリスもまさかあんなことになるとは思っても見なかっただろう」。ウェイトレスもモーリスは「ごく普通で病気には見えなかっ た」とコメント。

2003年1月8日(水)午後5時半 食事を終えて帰宅したモーリスは痛みで倒れ、(子息の)アダムが救急車を呼ぶ。

モーリスは意識があったため、病院側は痛み止めにモルヒネを投与。翌日に開腹手術を実施することに。

2003年1月9日(木)午前4時
心停止状態に陥る。蘇生、緊急手術の開始。手術で腸閉そくが見つかり、生まれつきの腸管回転異常症だったことが判明。ふつうは子どものころに直るのだが、大人になっても直っていないと命にかかわる危険な症状。母体内で小腸は胎児の体外で発達、複雑な回転を経て体内に落ち着く。この段階で問題が生じると小腸は異常な位置に移動してしまう。回転異常が見過ごされると激痛を伴う腸ねん転の原因となる。 通常は子どものころに直るので、成人後も直っていないのは100万人に1人の稀なケース。

2003年1月10日(金)
バリーが到着。こん睡状態のモーリスに回復の兆し。家族の話ではモーリスは足の指を動かして娘のサムの手を握ったとい う。イギリスにいたふたごの兄ロビンは事態が改善するものと信じていた。

2003年1月11日(土)
ロビンがイギリスから到着し、家族と一緒に枕元に付き添う。夕方早い時間にバイタルサインが低下。

同午後11時 
脳の活動がほとんど停止。家族は生命維持装置停止を決意。

2003年1月12日(日)午前12時10分
モーリス逝去。
モーリスの死の翌日、ふたりの兄ロビンとバリーは病院の対応に不備があったと告発するが、数日後にこれを取り下げる。

 

ハンター博士による検死報告書の解析
死を前に緊急手術を受けたために、上半身に約30 センチの手術跡、呼吸器による声帯の腫れ。
モーリスはイチゴ・アレルギー。
若いころからヘビースモーカー。検死報告書からは動脈硬化症だったことがわかる。動脈がプラークでつまって危険性の高い症状で、喫煙は大きな危険要因だったと思われる。

尿からマリファナの反応が出ており、最近、マリファナを吸ったと思われる。マリファナが直接の死因になった例はないが、モーリスの尿には微量のマリファナが含まれているので、ときどき吸っていたと思われる。マリファナにはほかのドラッグへの入り口という側面もあるが、亡くなった時点でモーリスの体内にはそれ以外のドラッグの痕跡はなかった。ただし、 ヘビースモーカーとしてのライフスタイルは心臓の状態に大きく影響していたものと見られる。

(ドラマーのスティーブが「ロンドンに飛んだときに、飛行機の中は禁煙なので、当時のベースプレーヤーだったマット・ボネリとモーリスは飛行機を走り出て煙草を吸いに行っていた」とコメント)

手術はいったん成功して回復しつつあったが、腸の5分の4、約16フィートを切除したために酸素不足による壊死状態になって、細菌が腹腔に入りこんで感染性ショックを引き起こし、血圧低下を招いた。長年の喫煙のせいで心臓が弱っており、肺気腫もあった。治療が遅れた事実はない。

☆☆☆

全盛期にはモーリスも兄弟たちもロックン・ロール・ライフを享受していた。

スティーブ: 70年代はクレージーな時代だった。当時、バンドのメンバーだったら、今ごろは死んでるか刑務所の中だったかも。

ディーン・グッドマン(音楽ジャーナリスト): どんなに清潔なイメージのバンドでも、ホテルの部屋に一歩入れば、セックス、ドラッグ、ロックンロールを地で行っていた。

メイヤー: ビージーズは非常に貧しい環境で育ち、子どものころから街角で歌うような生活に入って、いわゆる子ども時代というものを持たなかった。これはビージーズ全員に影響を及ぼしているが、中でもモーリスにその影響が大きかった。

アンディは名高いギブ兄弟の一員であることにうまく対応できなかった。重いコカイン中毒から立ち直ったが、心不全で亡くなっている。正式の死亡診断書によればアンディの死因は心臓の感染症だが、長年のコカイン乱用が免疫系を弱らせてもいた。

バリーは群れのリーダー・タイプ。そのバリーにロビンが激しく反抗したために、グループの人間関係はピリピリしていた。モーリスはその間で苦しい立場に立たされた。 グループ内の力関係はモーリスとロビンにとっては大きなストレスになり、モーリスはアルコールで気持ちを紛らわせるようになる。

☆☆☆
モーリスの場合、70年代末に短いあいだではあったがコカインに手を出したことがあった。だが、これもすぐに止めている。その他にハンター博士が”危険なドラッグ”であるというアルコールについては、飲むようになったきっかけがジョン・レノンだったというエピソードが紹介される。

ディーン: モーリスはナイトクラブで羽目をはずすタイプで、サタデー・ナイト・フィーバーを地で行っていた。

メイヤー: モーリスは飲酒が原因でルルと離婚している。

モーリスのアルコール依存は60年代、70年代を通じて悪化した。常に次のヒットを期待される立場でのプレッシャーもあって、モーリスのアルコール依存は誰の目にも明らかになっていく。

メイヤー: スタジオ内に20本もボトルを隠し持っていて、ベースもアレンジも止めてしまった。ステージではベースも弾かず、ハーモニーボーカルを歌うだけになった。アンディの死後は飲酒癖がいっそうひどくなり、数年間はほとんど素面のときがないありさまだった。

心理学者によれば、「もともと依存症だった人の場合、親しい人を失うと悪化することがある」。

モーリスが家族に銃を向けたエピソードと、依存からの立ち直りを語った『ファイティング・バック』 という番組の紹介。

モーリスがダイナーで痛みを訴え、自宅で倒れた原因は腸ねん転だった。腸が捻じれて血が回らなくなり、酸素欠乏にいたる。

ハンター博士: 時間の猶予は1時間ほどしかないこともある。腸が壊死する前の短時間で手術しないといけない。
腸の感染した部分を急いで切除しなければ死にいたる危険がある。モーリスの一生は時限爆弾を抱えたようなものだった。残念ながら診断が下ったのは遅すぎたが、手術が成功して生きながらえたとしても、その後の生活は困難なものだったろう。腸のほとんどを失って、消化力の衰えから栄養不良や肝臓疾患になり、長命は困難だった。

しかしモーリスの症状が判明していたことが、のちにふたごの兄ロビンの命を救う。2010年、ロビンは同じような腹痛を訴えてイギリスで入院。やはり腸管回転異常が認められ、腸ねん転の症状が出始めていた。

ハンター博士: ふたごだからといって、ひとりに腸管回転異常があれば、もうひとりも同じ異常があるとはいえませんが、おそらくこれは先天的なものでしょう。だからロビンも同じ症状である可能性が高かった。モーリスの診断結果があったから、ロビンを診た医師は、あぶないところで対応できた。ロビンは完全に治りましたが、その後2012年になってこれとは無関係に大腸ガンで亡くなっています。ギブ兄弟ではバリーがただひとりの存命者となってしまいました。

スティーブ・ドラッカー(モーリスの葬儀について): 悲しかったけれど、家族ならではの愉快なエピソードも語られた。

ポール: モーリスはみんなに好かれる良い人間でした。同時に、素晴らしい音楽の才能に恵まれ、その才能を分かち合うふたりの兄にも恵まれていたのです。

メイヤー: ビージーズをつなぎとめていた存在、それがモーリスでした。

(敬称略)

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