訳詩コーナー:バリー・ギブの新曲「Home Truth Song」

新曲Home Truth Songを歌うバリー・ギブ(2015年3月26日、マイアミ) 

 

《大意》

ぼくはみんながまつりあげたようなポスター・ボーイなんかじゃない
誰にもぼくを縛れない

天国も地獄も見て
ずっと地下で暮らしてきた

君が望むような男に

ぼくはなりたくない
誰だって風とともに変化していく
ぼくの魂を自由にしてくれ

行ってはいけない場所にも行かせてくれ
たったひとりのステージでもぼくたちは一緒に立っている
抱きしめてくれる人がほしい

長い夜には

やるときにはきっちりやる

このまま消えていったりはしない

この手を火の中に入れて立つ

永遠に若く

自分の場所にたち帰って
真実の歌をうたう

世界の重荷をこの肩に背負って
ずっとやって来た

暴走列車は走り続ける

代価は支払うべきだ
神が与えたもうたものを受け入れる

なぜかはわからないけれど

きっと生きている理由があるはずだ
死んでしまいたいときもあるけれど
 

川の流れが尽きるところで 海が荒れている
さびしくはない たったひとりの友だ
抱きしめてくれる人がほしい
何ひとつうまくいかないときに

 

やるときにはきっちりやる
このまま消えていったりはしない

この手を火の中に入れて立つ

永遠に若く

本来の場所にたち帰って
真実の歌をうたう

 

スプリングスティーン風だ、トム・ペティ風だ、いやボブ・シーガーだ、などといろいろな感想がありますが、Forever Youngなどというフレーズも飛び出して、私が一番感じたのは「ボブ・ディラン」風の内省的な歌だということです。勝手にレッテルを貼ってまつりあげるメディアや世間に対する気持ちを歌ったと思われる一連は、ディランが信奉者への決別を歌ったともいわれる「It Ain’t Me, Babe」を思わせます。

ビージーズでディラン風の曲というとすぐに思い出されるのは初期の「And the Children Laughing」です。あれはディランのフィンガー・ポインティング・ソング(「戦争の親玉」などの激しく糾弾するタイプの歌)のスタイルを真似した作品と言われていますが、いろいろなジャンルに挑戦していた、ある意味で習作時代の作品ということもあって、内容がかなり観念的で型にとらわれた印象が強いのですが、比べて、この「Home Truth Song」はおそらくはかなりパーソナルな心情が吐露されていて、それだけに深く胸を打つものがあります。長い旅の終わりに近いところで、海の嵐に出会い、神の試練を受け入れると歌うバリーに、この何年かの悲劇の数々が思われます。

たまたま、ロビンとボブ・ディランの話をしたことがあります。ソングライティングや詩について語る中で、ロビンが「世の中は変わっても人の心は変わらない。だから心を歌い、人と人のつながりを歌った歌がこれからも聞かれていくと思う」というので、『アブラハムが息子を殺したのは先週の金曜日だ』という人の心の普遍性を語ったディランの言葉を私が引用すると、ロビンもディランが好きだといって頷いていました。ロビンは「自分の歌い方とディランの歌い方には似た部分がある」と折に触れて言っていましたが、私はそれは人の心の深いところに切り込む生々しさではなかったかと思っています。

そのロビンは遺作となったアルバム『フィフティ・セント・キャサリンズ・ドライヴ』の中で、これまでになく心情吐露型の作品を発表しました。これまで「ビージーズの顔」としての責任感からか他のふたりより本音で語ることが少なかったように思われるバリーですが、その新作アルバムもまた深い内面を歌ったものになるのかもしれません。いずれにせよ、とても楽しみですね。

{Bee Gees Days}

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