バリー・ギブ「CBSサンデー・モーニング・インタビュー」( 2014年5月25日)

ステージに向かってひとり歩くバリー

ステージに向かってひとり歩くバリー...

2014 年5月25日に米CBSの報道番組『サンデー・モーニング(Sunday Morning)』に登場したバリー・ギブのインタビューの内容をまとめてご紹介します。ツアー初日のボストン公演の様子や家族へのインタビュー、2009年にロビンと一緒に出演した回の映像をまじえての濃い内容です。

 

(ナレーション(以下N): バリー・ギブにとって初めての経験だ――ステージまでの長い道をたったひとりで歩くこと)
Q: これはあなたにとってやる意味があることなんでしょうか?
B: ぼくにとってはこれがすべてです。これしかして来なかったんですから。他にすることもないですし(笑)。
Q: なかなかよくやってるんじゃないですか(笑)。
B:失業中ですもんね!(笑)

N: 今夜、ボストンのTDガーデンでバリーにとって初めてのソロツアー*が始まる。20世紀を代表するボーカルグループ“ビージーズ”最後のひとりの、たったひとりのコンサートだ)【訳注: 実際には”初めての全米ソロツアー”です。ご存じのようにミソロジー・ツアーはまるでビージーズの活動の軌跡をたどるように、オーストラリア/ニュージーランド、イギリス諸島を経てアメリカに到達しています。】
Q: この段階でビージーズがひとりしかいなくなっているなんて、誰が予想したでしょうか。
B: 誰ひとりそんなこと予想していなかったでしょう。ぼくだって自分が最後にひとりだけ残るなんて考えたこともありませんでした。子どものころ、ぼくたちはいつも一緒でした。誰も知らなかったけど、ぼくたちだけが知っていたことがある、それは「ぼくたちはいつか必ず成功する」ということでした。今でも覚えてるけど、ぼく、14歳のときに当時のガールフレンドに言ったんですよ、「ぼくをふったりしない方がいいよ。だってぼくはいつかきっと有名になるんだから」って。
Q: 信じてたんですね?
B: 信じてました。自分でもなぜかはわからないんですけどね。

(N: まだ子どもだったオーストラリア時代から彼らはすでに独特なサウンドを作り上げていた。そしてビージーズは自分たちで演奏した曲や他人に提供した曲、プロデュースした曲を含めて、全部で15ものナンバーワンヒットを記録。モンスターヒットとなった『サタデー・ナイト・フィーバー』のアルバムは6カ月にわたってチャートのトップに君臨し、1400万枚を売り上げた)


<マイアミの海岸を歩くバリーとリンダ夫人>

Q: この土地が気に入ったのですか? 空が気に入ったのでしょうか?
B: この空とそして海に恋してしまったんです。

(N: バリー夫妻は70年代末にマイアミに移り住んだ。今回、またツアーに出るようにとバリーに強く勧めたのはリンダ夫人である)

リンダ夫人:だって本当に悄然としていたんですもの。モーリスが亡くなったときに一種の鬱状態になって、すっかり落ち込んでしまって…。歌えば素晴らしいのに、何をしようともしないで、ただただしょんぼりとしてしまって!

(N: 2003年、モーリスは53歳の若さで腸ねん転が原因で急逝。さらにその15年前には一番下のアンディが、30歳の若さでドラッグ関連で亡くなっていた。モーリスの死は残る二人バリーとロビンを引き離す結果になった。2009年のこのインタビューでふたりともそのことを認めている)
<2009年晩夏にビージーズ50周年キャンペーンの一環として行われたロビンとの共同インタビューの映像が挿入される>
Q(2009年): バリーがこわかった、と言うと?
ロビン(2009年): ぼくたちはお互いに相手がこわかったんだと思います。バリーの気持ちはよくわかってたから。バリーは、前進しないこと、もうビージーズのメンバーとしては活動しないことで、悲しみをあらわしていたんです。
バリー(2009年): ぼくはビージーズはぼくたち3人のことにしておきたかった。世の中の人たちには、3人そろったぼくたちをビージーズとして覚えていてほしかったんです。

(N: こうして長い休止期間を経て2009年のこの日にバリーとロビンのふたりはマイアミにあるバリーのホームスタジオでひさびさにともに歌った。だが、ふたりが一緒に歌うのはこれが最後になった)
【訳注: これは明らかに番組制作側の間違いです。公けに記録されている形で一緒に歌ったのは2010年5月26日の『アメリカン・アイドル』でした】

バリー(2009年): なんだかぼくまでノスタルジックになっちゃいますね。ほんと、やっぱりぼくたちふたりの声は合うなあ…。

B(現在): あのときにロビンが具合が悪いことに気がついたんです。大変そうだった。あんなに大変そうに歌っているロビンは初めて見ました。

(N: そのロビンは2012年にガンで亡くなる)

B: 亡くなる前にロビンに言ったんです。「ねえ、夢はかなったんだ。もう心配しなくていいんだよ。まだ何かしなくちゃいけないなんて考えなくていいんだよ。もう終わりにしよう」って。でもロビンはいつも何かを追い続けていた。「また、ヒットが出せるかも…」と言い続けていた。だからぼくは「ロブ、もう夢はかなったんだ。もういいんだよ」って言ったんです。
Q: 夢はかなったと思いますか?
B: ビージーズに関しては間違いなくかなったと思います。
Q: あなた個人としてはどうでしょう?
B: それはまだ答えが出ていないんじゃないでしょうか。

(N: あの独特な声はまだ健在だ。特に「ブロードウェイの夜」で登場したというかのファルセットは)
バリー: ファルセットを取り戻そうとまずシャワーで歌い始めました。「ちょっと何やってんの?」「わかるだろ?」って感じでしたね(笑)。

●スティーブンが見た父バリー――「父は弱さを見せることを受け入れて精神的にさらに強くなった」
(N: ソロツアーを敢行するにあたってバリーはヘビーメタルのギタリストである長男スティーブンの助けを求めた)
<スティーブンのインタビュー映像>
Q: ソロツアーについてお父さんに不安はあったと思いますか?
スティーブン: 父にすればある種の無防備感があったと思います。たしかに危険な賭けでもありました。67歳になろうという伝説のポップスターですからね。「まだみんなは関心を持ってくれるんだろうか?」という気持ちがあったようです。

(N: スティーブンだけでなくモーリスの愛娘であるサマンサもバリーと並んでステージに立ち、「傷心の日々」を歌う)
Q: 今回の経験であなたにとって一番素晴らしいのはどんな点でしょう?
サマンサ: 彼(バリー)と一緒に歌えるということです。「傷心の日々」を一緒に歌ってからステージを降りたら、わたし、泣いてしまって…。お互いに見詰め合いながら歌って…とても幸せで…そして悲しみが癒えるような気がして…。でも同時にふたりとも歌うのは悲しみと追悼の行為でもあるんです。父(モーリス)を亡くしてわたしたちはふたりとも本当に苦しんで…苦しんで…。だから素晴らしいんです、こういう形で…。(言葉につまる…) ごめんなさい…。
Q:いいんですよ…。
サマンサ: だから…こういう形でお互いに心を通わせることができたのは…初めてで…(涙をぬぐう)。

どうか傷ついたこの心を癒し
もう一度生きさせてくれ
ビージーズ「How Can You Mend A Broken Heart」)

Q: (スティーブンに):今回のツアーで初めて見たお父さんの顔というのはありますか?
S: 傷つきやすさでしょうか。父はいつも気持ちの乱れを見せない人でした。泣くところなんか見たことがなかった。ロビンを亡くして、父は、感情を持ってもいいんだ、それが生きることなんだ、と感じたのではないかと思います。弱さを見せることを恐れなくなって、父は精神的にいっそう強くなったのではないかと思います。他の人にはわからなくても、ぼくにはそれがわかります。

(N:
背後のスクリーンに弟たちの姿が映し出されると振り向くのがこわい、バリーはステージ上でそう語る)
Q: ステージでは弟さんたちの声が聞こえなくてさびしいのではありませんか?
バリー: 毎日毎晩さびしいですよ。それは決して変わりません。たったひとり残って、どうしてなのか、ぼくには決してわからない。痛みは決して消えない。でもぼくには変わらない素晴らしい思い出もある。

(N: ビージーズのメンバーとして最後に残ったバリー。弟たちを失ったバリーだが、観客は変わらずに彼を待っていた)
Q: どのような思いでステージに立たれているのですか?
バリー: 再生の思い、というのでしょうか。生きなくては、生きていかなくては、と思っています。

ぼくは生きる
生き抜いていく
(ビージーズ”Stayin’ Alive")

サマンサの涙やスティーブンの言葉、挿入歌の使い方も含めて、とても印象的に構成されたみごとなインタビューです。トップのリンクが生きているうちにぜひご覧ください。

© 2009 - 2024 Bee Gees Days. 当サイト記事の引用・転載にあたっては出典(リンク)を記載してください。

おすすめ

error: 記事内容は保護されています。