バリー・ギブinフィラデルフィア・コンサートレビュー(フィラデルフィア・インクワイラー紙)
バリー・ギブinフィラデルフィア(2014年5月19日)
多忙をきわめ、体調を崩してしまったために、バリーのアメリカンツアーの最中というタイミングで1カ月以上にわたってサイト更新が途絶えてしまいました。ご連絡をくださった皆さま、ご心配をおかけいたしました。このタイミングで体調を崩してしまったとはなんたる深くじゃなくて不覚、と深く反省しています。
ツアー2日目、フィラデルフィア公演(5月19日)についてインクワイラー紙のサイトphilly.com(オンライン版2014年5月22日付)に掲載されたレビューをご紹介します。
「(フィラデルフィアは)“兄弟愛の街”ですよね!」 月曜日の夜、バリー・ギブはウェルズ・ファーゴ・センターでこう言った。「ぼくにとっても馴染み深いテーマです」
このミソロジー・ツアーはバリーにとって、2012年のロビンの死以来初のツアーとなる。ビージーズの長兄であった彼が今や最後のひとりになってしまった。
ビージーズをジョークの種にするのはやさしい。かつてばっちりとセットされていたその髪、サテンのツアージャケット、手のつけられないかんしゃく持ち(訳注:これは「サタデー・ナイト・ライブ」の人気コーナー「バリー・ギブ・トークショー」からのイメージです)といったイメージを笑う人は、だが、ひとつ大きな事実を見過ごしている。バリー・ギブこそ、ジャンルを超えて、愛の歌を作らせれば並ぶもののない現代ポップス最高のソングライターなのだ。
(ふつうこの手の大物のツアーというとニューアルバムのプロモーションが目的のことが多く、また、まさにそのためにコンサートが台無しになったりもするのだが)バリーの場合、ニューアルバムなし、ということは制約なしのツアーである。ポップス界最高のカウンターテナーであるバリーは、歯切れの良いファルセットの調子も上々に、2時間をたっぷりと超えるコンサートで、その長大で変化に富むカタログから選んだ31曲を披露して、「フィーバー時代の曲」だけが目当ての客からディープなファンまでを堪能させた。
ギター2本、キーボード2台(これでストリングスやブラスばかりか、モーリスのシンセサイザーのパートまでカバー!)の8人編成のバンドはピシリと筋の通ったアレンジぶり。問題はビージーズといえばハーモニーだったという、そのハーモニーだ。バリーひとりではどうなってしまうのか。この問題の解決策はファミリー路線の継承だった。モーリスの娘サミーとバリーの息子スティーブン(リードギターも担当)が登場。残るハーモニーは三人のバックアップシンガーで。そのうちのひとりベス・コーエンはバーブラ・ストライザンド(「Guilty」と「Woman in Love」)とドリー・パートン(「Islands in the Stream」)役もつとめた。ロビン・ギブがスクリーンに登場して「ジョーク」のボーカルをとるという場面もあり、ケレンのない演出で深い余韻を残した。
ミソロジー・ツアーの副題は「弟たちに、そして生涯を捧げた音楽のために」。ドリー・パートン、ダイアナ・ロス、セリーヌ・ディオン、弟アンディ(1988年に逝去)など他のアーティストに提供したヒットの数々も披露された。さらにはブルース・スプリングスティーンの「I’m On Fire」。ボス(バリーも会ったことはないそうだ)が最近のコンサートで「Stayin’Alive」を歌ったので“答礼”の意をこめての演奏だという。
ステージ上での軽快なトークは魅力にあふれ、時に感動的でもあった。中でも「じゃ、ひとつ(One)やります」と言って1989年のヒット「One」を演奏したのはシンプルでお見事。この「One」という曲自体が「Jive Talkin’」の華麗なるリライトでもある。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』からの曲が演奏されると総立ちになる観客は、他の曲ではじっと座っておる。当年とって48歳の筆者が客席の平均年齢をかなり下げたといえるコンサートであったのだ。
自分のツアーに「ミソロジー・ツアー(伝説のツアー)」と銘打って、アンコール前の最後の曲に「Immortality(不滅)」を選び、「Tragedy(悲劇)」で堂々と客を家路につかせる人物は、大物アーティストと呼ばれてなんら抵抗がないのだろうと言ってよいかと思う。これでいいのだ。バリーのコンサートはレナード・コーエンのコンサートを思い出させた。ふたりとももうこれ以上認められる必要がない存在なのだ。それでももしバリー・ギブにいまだに与えられずにきたものがあるとしたら、それはビージーズのような大物ポップ・アーティストにはめったに与えられないもの、つまり批評家による真摯な評価だろう。この状況は当然変わってしかるべきである。
(Wesley Stace)
そうだ、そうだ~!(<最後の一文に反応しています)
“ヒットメーカー”という言葉をはるかに超える彼らの業績の本当の意味は、おそらくいまだに真の評価を待っているといえるでしょう。発表時に売れなかった作品やアーティストについて、よく「時代に先んじてしまった」と言われますが、ビージーズの枷は逆に「売れすぎてしまった」こと。真の評価に関しては、「時代に先んじてしまった」のではないでしょうか。本当の意味で彼らの真価が理解されるときがいよいよ来ているのだと良いですね。
セットリストはこちらです。
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