【ビルボード誌2020.1.5】バリー・ギブ新作『グリーンフィールズ』を語る

いよいよ発売までカウントダウン状態になったバリーの新作デュエットアルバム『グリーンフィールズ:ザ・ギブ・ブラザーズ・ソングブック Vol. 1』。ビルボード誌(オンライン版2021年1月5日付)がバリーに取材、「ドリー・パートンとの再会」「誰との共演が一番緊張したか」などについてバリーが語ります。以下に記事の内容を簡単にまとめてご紹介します。(ちなみにこの訳文を書いているうちに、カウントダウンは無事終了して無事に発売されました。現段階でAmazonの売れ筋ランキングのロック(ミュージック)部門7位です!)

今回の魅力的なデュエット集で、バリー・ギブは、ドリー・パートン、ミランダ・ランバート、ジェイソン・イズベル、ブランディ・カーライル、キース・アーバン、リトル・ビッグタウン等々のカントリー/アメリカーナのアーティストたちと共演し、「ロンリー・デイ」「愛はきらめきの中に」「ジャイヴ・トーキン」「ワーズ」などビー・ジーズの大ヒットを新たなイメージでとらえなおしている。2019年10月にデイヴ・コブをプロデューサーに迎えてナッシュヴィルでレコーディングされたこのアルバムは、好評の新作ドキュメンタリー『The Bee Gees: How Can You Mend A Broken Heart』がHBOで配信され、ビー・ジーズの曲が再びチャートで上昇しはじめてから1ヵ月後というタイミングで登場することになる。映画はR&Bの影響を受けたビー・ジーズの軌跡をたどるが、以下のバリーのインタビューによれば、ビー・ジーズはカントリー音楽に同じぐらい深く影響されてきたようだ。

映画の中でビー・ジーズのサウンドがR&Bに影響されたという話をされていますが、カントリー・ミュージックの影響についてはいかがですか?

1958年のオーストラリアではカントリー・ミュージックはロックンロールだったんです。ジョージ・ジョーンズやジョニー・キャッシュのような人たちを愛好するようになるわけですよ。(キャッシュの曲)「(Ballad of) Teenage Queen」とかを覚えています。たぶん、1958年の曲ですよね。あの声ときたら! そしてその先にはロイ・オービソン。彼のソングライティング、洞察力、それにレコードの作り方。「Running Scared」や「 Crying」のような曲は、まずしーずかにスタートしておいて、どんどん盛り上がり、ふくらみ、高まって、クライマックスに到達する。あれは簡単にできるもんじゃない! ああいうのに刺激されて曲を書くようになったんです。

でも同時にぼくはブルーグラス音楽にも恋をしました。あらゆる音楽が好きですが、カントリーあるいは現在のアメリカーナ・ミュージックは、いまだに最高の曲、最高の音楽だと思います。それがただひとつの土地から生まれ出ている。世界中どこへ行っても、ナッシュヴィルのように偉大な曲に出会える場所はありません。

今回のアルバムは、エルヴィス・プレスリー、ウィリー・ネルソン、エヴァリー・ブラザーズなどがレコーディングしたナッシュヴィルの伝説のRCAスタジオでレコーディングされたわけですが、これまでにもあのスタジオに行ったことはあったのですか?

いいえ。デイヴ・コブがスタジオBを案内してくれました。何しろ彼らはそろいもそろって大好きなアーティストでしたから、ぼくはすっかり舞い上がりました。57年、58年ごろかな、エヴァリー・ブラザーズが登場して、姉がレコードを買ってくるようになったんです。呆然としちゃいました。エヴァリー・ブラザーズって、考えてみたら、エヴァリー・ファミリーってブルーグラスのグループだったんです。その彼らが突然ロックンロールの主流のパフォーマーに躍り出たときには、仰天しました。なんて素晴らしい曲、なんて驚くべきハーモニー。感情がこみあげてくるような音楽、ロイ・オービソンもそうですね。

どれも悲しくてたまらなくなる曲なのに、同時に大切なのはロマンスの重要性です。センチメンタリティが大きな役割を果たしている。今はそれが恋しいです。だからぼくは、「よし、心から敬愛しているアーティストたちを集めてぼくたちの曲を歌ってもらおう。そうすれば曲が生き続けることができる」って思ったんです。

エルヴィスは1969年のラスベガスで「ワーズ」を歌いましたね。エルヴィスに会ったことは?

会おうとしたことはあります。グレースランドに行きました。エルヴィスのおじさんがゲートの開閉をしていて、ぼくは自己紹介とかしたんです。ロビンとぼくだったと思います。そしたら、「エルヴィスに会いたいなら、車寄せを上がっていきなさい」って言って、ゲートを開いてくれました。で、ぼくたちは、黄色いレンガの道(イエロー・ブリック・ロード)を歩いていったわけだ(笑)。

丘の上に玄関のドアがあって、リムジンが停まっていました。エルヴィスは出てこられないか、出てこないか、どっちかだったんですが、ぼくたちが言われたのは、「エルヴィスはお父さんと一緒なので、今は出てこられません」ということでした。すごくがっかりはしましたが、何しろエルヴィスですからね。リムジンの窓からのぞいてみたら、中にテレビがありました。車の中にテレビがあるのを見たのはあれが初めてです。71年か72年当時です。

どのアーティストとも対面で、一緒にレコーディングしたのですか?

ブランディはぼくがナッシュヴィル入りする前に「ラン・トゥ・ミー」をやりたいっていうことで、先にデイヴと一緒にレコーディングし、ぼくがあとでそこにぼくのボーカルを入れました。ミランダには会いませんでした。彼女はぼくがスタジオにいない時にレコーディングをすませたんです。そういうアーティストっていると思うんです。「行って歌うけど、誰もいないでほしい」っていうタイプ。ダイアナ・ロス(をプロデュースしたとき)がそうでした。ほら、スタジオのサウンドブースに他人がいては困るって。デイヴもそんな感じかな。理由もなく人がいるのはいやみたいですね。

ミランダといえば、今回の曲の中にはたいしてアレンジしなおさなくても、カントリーとして通用しそうな曲もあったと思うのですが、「ジャイヴ・トーキン」にはびっくりしました。あなたとミランダとジェイ・ブキャナンでスローなグルーヴ感を再現していますね。

もともとカントリー・ミュージックの精神で書かれた曲は多いんです。たとえば「アイランズ・イン・ザ・ストリーム」はダイアナ・ロスのために書いたんですが、ケニー(ロジャース)と仕事をすることになったら、ケニーがドリーとのデュエットを希望したので、あの曲をサジェストしたんです。自分たちでも、あれはいい曲で、かなり可能性があると思ってはいたんですが、デュエットというのは考えていなかった。で、作業を開始したら、R&Bの曲がカントリー・ソングになってしまった。カントリー・ミュージックとR&Bには密接なつながりがあるんですよ。「傷心の日々」とかはカントリー・ソングなんです。

あなたと歌うというので怖気づいたアーティストはいましたか? あなたがキース・アーバンだったとしたら、あなたの前で「獄中の手紙」をどう歌ったらいいんでしょう?

キースはオーストラリアでぼくが育ったところから100マイルぐらいのところで育ったんですよ。素晴らしい人ですよね。素晴らしいプレゼントをくれました。なんとニコール(キッドマン)を同伴してくれたんですよ。あれにはわくわくしました。もう、びっくりですよ。他の誰かがぼくに圧倒されるとか、僕と一緒にいて怖気づくとかじゃなくて、話が逆なんです。ぼく、デイヴに言ったんですよ。「こわいよ」って。ぼくがアルバムのプロデュースをしていたわけじゃない。それはすっかりデイヴ(と彼のエンジニア)に預けました。デイヴ自身もバンドで演奏したんですが、ぼくも一時そういう感じのときがありましたけど、実際に彼がやっているところを見ちゃうと謙虚な気持ちになります。

デイヴ・コブとの出会いは?

長男のスティーヴンがiPhoneでクリス・ステープルトンの曲を聴かせてくれたんです。えーって思って、「わあ、今はこんなレコードを作っている人がいるんだ? 今でもプログラミングとかじゃなくて、レコードを実際に作っているバンドがいるんだ? これは誰?」って訊いたんです。そしたら(クリス・ステープルトンで)「プロデューサーはデイヴ・コブ」だと言うんです。ぼくは、「この人と一緒に仕事をしてみたい。これからもレコードを作るなら、この人とやりたい」って思いました。

そこでスティーヴンがナッシュヴィルに行って、いろんな人に会ってくれました。(共同製作統括の)ジェイ・ランダースとも会ったら、彼が先頭に立って他の人も巻き込んでくれたんです。

クリスにも参加してもらおうという話はあったんですか?

クリスはちょうどツアーを終えたところで疲れきっていました。デイヴ・コブの言う通りでした。クリスみたいな人は、どの話にもYesというわけにはいかないって。それはよくわかりました。自分のキャリアをどうするか、良くわきまえている人間だということですよ。だからプレゼンター役をしたりとかしないわけです。

参加アーティストはどうやって決めたのですか?

共同作業でした。ぼくが、一緒にやってみたいアーティストを全員挙げました。ジェイソン・イズベルとか(ライバル・サンズ)のジェイ・ブキャナンとかと一緒にやれるかどうかは不確定でした。でもアリソンやドリーは即座に「イエス」の返事をくれました。そこからすべてが流れ始めたんです。

ドリーとやるのはドキドキもののときめき体験でしたが、彼女はいつもながら素晴らしかったです。すごく謙虚な人なんです。あれほどの大物なのに、変わらぬ穏やかさと謙虚さを持って、笑いを忘れないってすごいですよね。ドリーは、彼女がマイクに向かって立った位置は「I Will Always Love You」と「Jolene」をレコーディングしたときに立った位置と全く同じだ、と話してくれました。それって、すごいですよね。

「アイランズ・イン・ザ・ストリーム」を40年前に一緒にレコーディングしてから、彼女に会ったことはありますか?

いや、あれ以来会ってなかったんです。彼女、ちょうど結婚50周年だったそうです。ところが、ぼくも9月に結婚50周年だったんです。だから50年ですから、すごいですよね。だけど同時に、ぼくたち、そういう点でも共通点が多いということにもなるわけです。

アルバムタイトルに『Vol. 1』 とついているということは、すでにVol. 2について考えていらっしゃるということですか?

もちろん、もちろん。キャピトルさえぼくにやってほしいということであれば。それからデイヴがやってくれるならば。デイヴは前から、それはいい、できればもう一枚やろうと言ってくれていました。デイヴはすごく仕事が早いんです。1日に3曲やっちゃうなんていうこともありました。ぼく、あんなの初めてでした。

アリソン(クラウス)は素晴らしかったです。ほとんど、そのままいきなり、って感じでした。オリヴィア・ニュートン・ジョンは最初の音からバッチリでしたね。彼女、しばらくスタジオ入りしていなくて、活動から離れていたので、また歌えるというのですごく喜んでいたんです。だから、感じもひとりひとり。本当にいろいろでした。

コロナ禍終結後にこのアルバムのためのツアーをする計画は?

はい、やりたい気持ちはもちろんあります。問題は、ツアーをする人がいるかどうかですね。ぼくは観客さえ見つかれば、ツアーをしたいです。誰にとっても難しい状況です。ネットフリックスを見ながら、いったい何が起きたんだ、と思っているアーティストがどのぐらいいるのか、想像もつきません。(ライヴでの演奏は)ちょっとこわくはあります。だって自分に頼るしかないですからね。ぼくは長年3人でお互いに頼り合うというのに慣れてきたから。だからそこが違うのですが、ライヴは大好きです。恋しいですよ。

とても内容の濃いインタビューです。しかしドリー・パートンも結婚50周年というのはびっくりですね。ドリーを語るバリーの言葉にはバリー自身を語っているように思われるところがあって、ふたりに共通点が多いというのは納得です。オリヴィア・ニュートン・ジョンも見事でしたが、それが歌から離れていたがゆえのアーティストとしての餓えから来るものだったとは!

そして一番うれしい発言は、やはり『Vol.2』とツアー発言でしょうか。だけどVol.2と聞いて、「え~、2だけ~?」と思う私は欲張り? あのカタログですから、Vol. 478ぐらいまでは軽くいけそうに思うのですが。

{Bee Gees Days}

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