バリー・ギブ最新インタビュー:「生きていかなくては」
バリーの新しいインタビューがNews.com.au(オンライン版2013年1月12日版)に登場しました。サンデー・マガジン(聞き手:ティファニー・バッカー)に登場した記事です。以下に内容を簡単にまとめてご紹介します。
変わらぬ故郷オーストラリア
今回のツアーは思い出をたどるセンチメンタルジャーニーになります。(ブリスベーンに近い)レッドクリフにも行きたい。1958年にイギリスから移住した直後に住んでいた土地です。子どものころに遊んだ場所やミュージシャンとしてプレイした場所を見てみたいんです。
父はビッグバンドのリーダーで母はボーカリストでした。第二次世界大戦中に英国にいたアメリカ人兵士がお客でしたが、妻のリンダの両親も父のバンドの音楽でダンスした経験があるんです。すごい偶然ですよね。
オーストラリアに着いたときには天国みたいだと思ったなあ。一番覚えてるのが蝶々とヘビ。最初はこわかったけど、やがてそんなものに囲まれて生きるようになりました。アオジタトカゲなんか見ちゃって素敵でした。最初はエルビスやエヴァリー・ブラザースのコピーからスタートしました。彼らの音楽を初めて聴いたときには髪の毛が逆立つような思いをしました。モーリスとロビンも「こんなのがやりたい」って言ったんで、よし、みんなで一緒にやろうよ、って思ったんです。
最初はレッドクリフ・スピードウェイでレースの合間に歌ってました。ビージーズという名前はここから生まれます。DJのビル・ゲイツがある晩ぼくたちを見て、ラジオでかけてくれたんです。BやGの着く名前とゆかりが深いから「ビージーズ」って名前にしろよ、って言ってくれたのも彼でした。レース場は今もあるので、行ってみたい場所のひとつです。
サーファーズ・パラダイスで仕事をしていたときにコール・ジョイやジョニー・オキーフと会いました。シドニーへ行けと勧めてくれました。60年代になって「シング・シング・シング」というテレビ番組に出るようになりました。
でもオーストラリアにいたのでは国際的なスターにはなれない。やがてオーストラリアを去るときがやってきました。でも1967年にイギリスに帰ったら、「もうグループなんて時代遅れだよ。オーストラリアへ帰りな」って言われたんです。
でもそこでプロデューサーのロバート・スティグウッドから電話がかかってきた。音楽業界の人たちにどっさりテープを送っておいたのに電話をくれたのはロバートだけでした。彼がぼくたちを信じてくれたんです。
70年代になってアメリカにベースを移し、サウンドも変化し始めました。イギリスではバラードがあきられて、もうぼくらの音楽が通用しなくなっていた。アメリカでレコードを作ったらって薦めてくれたのはエリック・クラプトンです。着いてまず書いたのが「ジャイブ・トーキン」でした。
ある日、ロバート(スティグウッド)が「若者文化とダンスが出てくる映画を作ってる」と電話してきました。まだタイトルが決まっていなかったので、ぼくが『ナイト・フィーバー』にしたらと提案しました。制作側は「それじゃポルノみたい」だと心配して、頭に「サタデイ」をつけたんです。
ファルセットは偶然から生まれました。「ブロードウェイの夜」という曲をやっていたときに最後の部分で誰かひとりがファルセットで叫ぶことになった。これが好評で、ファルセットでアルバムを作るしかないということになった。今はあの一連の曲は「古典」になりました。
あの時代について否定的なことを言う人がいても、全米チャートで連続6曲ナンバーワンですから悔いはありません。
弟たちは三人とも行ってしまった。苦しい10年でした。母は苦しんで、毎日のように泣いています。母の気持ちを思うとつらい。でも閉ざされていた窓が開き、新しい風が吹き込んで、生きていかなくてはならないのだと思う。
みんな酒やクスリにはやられました。幸い、ぼくはそれほどでもなくすみましたが。常に人目にさらされ、常に上を目指さなくてはならないことのストレスは大きい。犠牲者は数知れない。マイケル・ジャクソンは逃避したかったんでしょう。常にまわりから搾取され続けていましたから。
一番下の弟アンディとは共通点が多かった。モーリスとロビンがふたごだったせいで、ぼくとアンディが親しくなった。結局はアンディはドラッグとの闘いで倒れたと言えるでしょう。
モーリスは心のあたたかいやさしいやつでした。子どもに手品をしてみせたり。アルコールの問題はあったけれど、自分でも問題を認めて克服しようと懸命に努力しました。
ロビンが生きていたら、まだまだ素晴らしい仕事をしただろうと思います。でもロビンには気難しいところもありました。
リンダはぼくの生涯の愛です。結婚して42年、5人の子どもたちに恵まれ、縁が育って大家族になりました。ひとつだけ家族の決まりがあります。中では争わないこと。争うんだったら外で。これはいい決まりだと思います。
「争うんだったら外で」というのはちょっとわかりにくい”決まり”ですが、あれだけの大家族が睦まじく過ごすには、「何か問題があったら、それはみんなが集まった場所には持ち込まず、みんながそろった場所は常にいい雰囲気にしておこうね」ということかもしれませんね。
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