【2022年1月】バリー・ギブ「70年代の成功はエリック・クラプトンのアドバイスのおかげ」

画像はSmooth Radioの記事より

ビー・ジーズの70年代の大成功のきっかけを作ったのは、同じマネージメントに所属していたエリック・クラプトンだった! 新作ドキュメンタリーHow Can You Mend A Broken Heart』(フランク・マーシャル監督)でも取り上げられていたこの有名なエピソードについての年初の Smooth Radio(オンライン版2022年1月5日)の記事をご紹介します。

ビー・ジーズが高音で歌うファルセット・ボイスのディスコ・ポップは、❝ブランド❞として1970年代の同義語といえる。ビー・ジーズは70年代を決定づけたアーティストのひとつといっていい。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラック盤は、サウンドトラック盤としては(当時)史上最高の売り上げを誇り、ディスコの古典ともいうべき名曲の数々を生み、グラミー賞にも輝いている。

1970年代後半は、間違いなく、バリー、ロビン、モーリス・ギブの時代だった。

けれどもそれに先立つ数年間、彼らはヒットに恵まれず、不遇の時代を過ごしている。

彼らは変化を希求していた。そして、バリー・ギブによれば、当時同じレーベルに所属していたエリック・クラプトンがしてくれた「アメリカナイズされてみるといいよ」というアドバイスが、彼らに新境地を開いてくれたのだという。

バリーが最近のビルボード誌のインタビューで明かしたところによれば、新天地を求め、大西洋の向こう側アメリカで何が起こっていることを取り入れるようにと、ビー・ジーズにすすめたのはクラプトンなのだそうだ。

「エリックが、『アメリカでアルバムを作ってごらんよ』って言ったんです。『アメリカナイズされてみるといいよ』ってね」と、バリーは回顧する。

「『サイケデリック音楽だのなんだの、イギリスで起きていると思ってる音楽に固執して一生を過ごすことはない。アメリカへ行けったら。アメリカのアーティストに影響されるといいよ』って。で、僕たちはまさにそうしたんです」

クラプトン自身、今は古典ともいえる1974年のアルバム『461 Ocean Boulevard 』のレコーディングをマイアミで終えてきたところだったので、ギブ兄弟に、君たちもロンドンを離れて俺みたいにやってみろ、と強く勧めたのだそうだ。

こうして、シンセサイザーを導入したサウンド作りをして、バリーのアイコニックなファルセットを前面に押し出すことによって、三人組のフォークバンドとしては急速に陰りはじめていた彼らの命運はがぜん元気を取り戻す。

そこから生まれた1975年のアルバム『メイン・コース』、そして「ジャイヴ・トーキン」「ブロードウェイの夜」「ファニー」のようなシングルで、彼らのキャリアは復活した。

それから今日にいたるまで、バリーは家族と一緒にマイアミに住んでいる。当時の彼にとってマイアミは我が家としてくつろげる場所だったのであり、それは今も変わらないのである。

{Bee Gees Days}

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