《1968年米ティーン誌》「新米レポーターのビー・ジーズ突撃取材」
60年代のビー・ジーズは本人たちの年齢からいっても、完全にティーンのアイドル。欧米のティーン雑誌にもいつも大きく取り上げられていました。
これは5人組だったころの若きビー・ジーズがアメリカに行ったとき、ティーン雑誌Flipに掲載された新米記者による初々しい取材記事です。でもあとでフロリダに移住しちゃうバリーの太陽好きとか、日本滞在中は日本語がわからないのにテレビばっかり見ていたロビンのテレビ好きとか、後年の彼らの面影はこの小さな記事からもしっかりとうかがうことができます。
ビー・ジーズに会いました!
(ヴァレリーはフリップ誌のスタッフに加わったばかり。最初の仕事がなんとビージーズの取材だったんです。さてヴァレリーの話を聞いてみましょう……)
ビージーズだって「ただの人間よ」。そう自分にいいきかせながら、ホテルの部屋のドアをノックしたんだけれど、ああ、やっぱりどきどきが止らない。するとドアがそうっと開いて、茶色の目がのぞきました。これがなんと、ロビン・ギブの目! 「きみ、フリップの人?」とのたまう。ロビンがドアをあけてくれたので、茶色の瞳に続いて、にこやかな笑顔も目に飛び込んできました。つま先だつようにして中に入りながら、まるでスパイが集まる秘密会議に参加した気分!
でもそんな気がしたのもロビンについて次の部屋に入るまでのことです。中にいたのはバリーとモーリス、コリンとヴィンス。4人ともロビンと同じくにこにこしながら席を立ってわたしを迎えてくれました。(ビー・ジーズってごくごく自然にマナーがいい。一緒にいると女の子はとってもいい気分になれます!)
コーヒーテーブルをかこんで落ち着くと、他の人たちはいなくなって、残ったのはわたしと世にもかっこいい5人の男性。
わたしの質問はまず…なぜ、こんなにお忍びにしてるの? ビー・ジーズがアメリカにいることだってほとんど知られてないじゃない? すると5人がいっせいに説明しはじめました。(5人ともとにかく熱意にあふれているので、そういうことがしょっちゅう起こりました) どうやら彼ら、ニューヨークにいるのはほんの1週間だけで、すぐにロンドンに帰るみたい。自由時間にはのんびりして買い物でもして、あまりマスコミに騒がれたくないんだそうです。
何か買った? 彼らが腕をふった方向を見ると、床に置かれた真っ白い大きな犬のぬいぐるみがふたつ、こちらをじーっ。「ホテルで買ったんだよ」とコリン。こんなに大きなぬいぐるみじゃあ、飛行機代がかかるかも…。
みんなニューヨーク観光をしたいんだけど、モーリスの話ではどこへ行っても見つかってファンに追いかけられちゃうので、ホテルにいるのだとか。夜はどうしてるの? 「曲を書いたり、テレビを見たり」とロビンが即答。
ビー・ジーズのこの数ヶ月の活躍ぶりはすごかったのです。「若いうちにうんと働いて、ある年齢になったときには『地盤が固まって』しっかりしたキャリアを築けるようになっていたい」とバリー。「いまはお金になってはいるけど、それが問題じゃないんだ。この前のツアーの収益もすごかったんだけどね。(ビー・ジーズは12日間におよぶドイツ公演を成功させたばかりでした)一番うれしいのはラジオでレコードがかかるときかな」
ビー・ジーズは音楽のために喜んで犠牲を払ってきました。みんなスポーツが大好きで、とくにオートバイ・レースが好きなんだけど、いまは時間がないそうですよ。スキーはしたことある?「うーん、やりたいんだけどね」とバリー。「イギリスに一番近くてスキーができる国といえばスイスだけど、スイスではぼくら顔が売れすぎてるから、人前にスキーでは出られないよ」
でもジャッキー・ケネディもスイスでスキーをしたけど、誰にも気づかれずにすんだらしいわよ? 「まあね」とここでヴィンスがため息を。「でもジャッキー・ケネディはスイスのチャートの1位と2位と3位と4位を独占してたわけじゃないから」
みんなで一緒にお茶を飲んでいたのですが、ビー・ジーズはミルクを入れて飲んでました。彼らがいうにはそれがイギリス式だとかで、とっても美味しい飲み方でしたよ! 話はビー・ジーズの過去と現在と未来におよび、バリーとロビンとモーリスは、ロンドンでヴィンスとコリンに会ってビー・ジーズが今の構成になる前に、オーストラリアで11年間うたっていたという話をしてくれました。「人がスロットマシーンでゲームをしているようなクラブで歌ってたこともあるよ」とロビン。「スロットマシーンのカチカチいう音に合わせて歌わなくちゃならなかった!」
でもギブ兄弟にはわかっていました。自分たちだけで歌っていてもダメだって。「コリンとヴィンスの音楽的なサポートが必要だった」とバリー。「ふたりの方もぼくたちが気に入ってくれたと思う。ふたりとも他のバンドで成功してたのに、止めてぼくらに加わってくれたから」
ビー・ジーズはオーストラリア人とイギリス人、全員がオーストラリアびいきです。「すごく幸せな雰囲気のある国なんだよ」とバリー。「いつも太陽が照っていて。ぼくは太陽が大好きなんだ」
「それに世界で一番すてきなビーチがある」とヴィンス。
「僕は雷が好き」というのはロビン。「一度なんか3週間も続いた雷があって、家がこわれそうだった」 いやあ、ロビンったら大げさにいってたんだと思うけど、すごくおかしかった! とにかく全員、レコード業界にいなければオーストラリアほど素晴らしい国はないという意見です。
ビー・ジーズはイギリスに戻ると2週間のリハーサルと3週間の国内ツアーが待っています。今回、彼らがニューヨークに来たのはエド・サリバン・ショーに出演するためでした。(「あーあ、わたしと話すために来てくれたわけじゃないのね」とわたしことヴァレリーは思っちゃいました)この次に来るときには8月2日のハリウッド・ボウルを皮切りに25都市をまわるコンサート・ツアーをしてくれるはず。
ビー・ジーズとの「お茶会」は終わり。わたしが立ち上がると、みんなで「さよなら、またね」って送り出してくれました。
これがわたしのフリップ誌での初仕事。バリー、ロビン、モーリス、それにコリンとヴィンスのおかげでとっても思い出に残る初仕事になりました。
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ところでビー・ジーズがエド・サリバン・ショーに登場したのは1968年3月17日。WordsとTo Love Somebodyを演奏しました。
ビー・ジーズのお茶の飲み方はイギリス式のミルクティー。ツアーにはスーツケースいっぱいのリプトンのティーバッグを持って行く、とか言われていたお茶大好き人間のバリーのほか、全員が紅茶が好きだったようです。72年の初来日ではミルクティーにブランデーを落としたりして飲んでいたそうです。2005年に来日したロビンは、イングリッシュ・ブレックファースト・ティーをストレートで(何杯も)飲んでいました。ミルクティーじゃないんだ?と訊いてみたら、「牛乳は低温殺菌だけを飲むことにしているのでツアーの時には牛乳抜き」にしているとのことでした。
{Bee Gees Days}
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