【2016年10月3日】バリー・ギブ、マイアミ・ヘラルド紙インタビュー

マイアミ・ヘラルド紙の記事(2016年10月3日付)より

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ティム・ロクスボロさんのロング・インタビュー中でも紹介されていたマイアミ・ヘラルド紙(オンライン版2016年10月3日付に掲載された音楽ジャーナリスト、ハワード・コーエンによるバリー・ギブのインタビュー記事をご紹介します

弟たちを失っても、バリー・ギブは歌い続ける

                                                ー ハワード・コーエン

 

バリー・ギブはひとり立っている。バリーにいわせれば、これは「正直なところ、とても恐ろしい」事態だ。
ソングライターとして、プロデューサーとして、どのアーティストよりもたくさんのポップス・ヒットを生んできたバリー。その記録を上回るのは、ただひとりポール・マッカートニーだけだ。この暑い8月の夜、そのバリーはヒット・ファクトリー/クライテリア・スタジオの中でステージに出るために合図を待っている。マイアミ・ビーチにあるバリーの家とほど近い、ノース・マイアミにあるこのレコーディング・スタジオは、バリーと弟のロビンとモーリス、つまりビー・ジーズが、70年代半ばにトリオとしてのキャリアを見事に復活させた場所でもある。
今でもスタジオの壁には、バリーと弟たちがクライテリアで生み出したゴールド・ディスクやプラチナ・ディスクが、まるで部材のようにびっしりと貼られている。「愛はきらめきの中に」「ステイン・アライヴ」「恋のナイト・フィーバー」「失われた愛の世界」「哀愁のトラジディ」「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」…1977年から1979年にかけて、彼らは連続6曲ナンバーワンという快挙を成し遂げた。ビートルズでさえ達成できなかった記録である。
しかもこれは、バリーが末弟アンディのためにこの同じ場所で書いてプロデュースしたナンバーワン・ヒット「恋のときめき」「愛の面影」「シャドウ・ダンシング」とバリーがフランキー・ヴァリのために書いた映画『グリース』のタイトル・ソングを数に入れないでの記録だ。
けれども8月末のこの夜、70歳になったバリー・ギブは、スタジオに招かれた聴衆を前に、ライヴ・ビデオ・ストリームのリハーサルを始めるところだった。演奏するのは金曜日に発売される彼のソロ・アルバム『イン・ザ・ナウ』の中の、まだほとんどの人に知られていない新曲だ。このアルバムは、バリーが「誰も発表を望まなかった」という1984年のソロLP『ナウ・ヴォイジャー』以来、実に32年ぶりのソロ・アルバムとなる。
弟たちはみな世を去った。アンディは1988年に30歳で。モーリスは2003年に53歳で。ロビンは2012年に62歳で。今回のアルバムはこのリハーサルの1週間前に亡くなった母親に、そしてアルバム中のバラード「虹のおわりに」は弟たちに捧げられている。
バリーは“今このとき”に生きている。これこそバリーの最大の業績といっていいかもしれない。
「みんな行ってしまった。ぼくのすべてを知っていてくれた人たち、ぼくと思い出をわけあっていた人たち、そういう人たちがみんな行ってしまったんだ、とふいに思い知るんです」とバリーは先週電話で取材したときに言っていた。「望むと望まざるとにかかわらず、前進するしかない
彼らが歩んだ道は平たんではなかった。兄弟同士の関係も至極良好だったというわけではない。もう一度、生きることに向き直れたのは結婚46年のリンダ夫人の後押しと、曲を書き続けるようにと励ましてくれたポール・マッカートニーに負うところが大きいという。
「いろいろな感情があります」とバリーは言う。「今この瞬間に生きなければならない。ほかには何もないのだから。これまでの思い出のすべてをもとにして、今の自分の考えがあるのだろうと思います。今の自分の意見は現実的というより抽象的かな。母がよく言ってました。『楽しみなさい。悲しんでばかりいてはダメ』だと。いまのぼくのマントラは…“きっとだいじょうぶ!”だな」 そう言ってバリーは笑った。
バリーが学んだことのすべてが新しいアルバムの音楽に表現されていて、中にはバリーの最高傑作といえそうな曲もある。歌詞は一般的、抽象的であると同時に、バリーがこれまで発表した中でもっとも個人的な内容も入っている。メロディとアレンジは典型的にバリーのものだが、ロマンチックな「星空の恋人達」ではキャロル・キングやボビー・ヴィー、サイケデリックな「エイミー・イン・カラー」ではポール・マッカートニーなど、バリーに影響を与えたミュージシャンへのオマージュも感じられる。「宗教についての曲である『クロス・トゥ・ベアー』はロバート・プラントの影響です」とバリーは、びっくりしたように言った。「自分でもなぜかわかりません。影響を受けないでいることはできないんですよね」
ジョン・マーチャントはバリー・ギブの進化を見てきた。マイアミ・ビーチにあったギブ兄弟の以前のスタジオ、ミドル・イヤーで彼がインターンとして働き始めた最初の日、その日にアンディ・ギブが亡くなった。1988年3月10日である。以来、マーチャントはビー・ジーズのサウンド・エンジニア、コ・プロデューサー、スタジオ・マネージャーを務めてきた。マーチャントはアルバム『イン・ザ・ナウ』でもコ・プロデューサー役を果たしている。
「バリーは常に強力なソングライターだったけれど、今また彼が注目される時が来ている。素晴らしいことだと思います」とマーチャントは言う。「のアルバムの歌詞やメッセージにはむきだしの正直さがある。それが作品から輝きだしているといいと思う。アルバム中のボーカルはすべてバリーのもので、独特のハーモニーはいつにも増して自信と感情に満ちている」
『イン・ザ・ナウ』は家族による作品だ。バリーとふたりの息子たちスティーヴンとアシュリーが曲を書いた。「ほとんど同じです。弟たちとでも、息子たちでも、うまくやれそうな感触があります。ぼくは、三人寄ってグル―プで、という方がうまく仕事できるみたいです。三人で考えた方が一人で考えるよりいい。力をあわせて何かを花開かせるんです」
ビー・ジーズの音楽と同じように、できあがった曲ではなくアイディアをスタジオに持ち寄るところからスタートする。それから力をあわせて素材を組み立て、フックやコードやメロディを創っていく。アルバム『イン・ザ・ナウ』ではバリーは、アルバム『失われた愛の世界』でプレイした70年代後期のビー・ジーズのバンド以来最高というミュージシャンをそろえた
「みんな地元のミュージシャンです。全員マイアミ大学の出身で、これ以上の顔ぶれなんて想像できない。とうとう夢に見ていたようなバンドが持てたんです」
昔と今、どうやって音楽が生まれたのか、バリーはこんな風に分析する。「アンディとぼくはすごく声が似ていました。ロビンは比類のない美しい声を持っていた。モーリスは独特なハーモニー・ボーカルができて、楽器がうまかった。ロビンの声の方が高かったので、第三ハーモニーはロビンが担当する傾向がありました。モーリスは一番高音か一番下か。ぼくは一番年上だったのでメロディを歌ったんです」
「スティーヴンはとにかく若くてヘヴィ―メタル系で、ぼくにも影響しています。舞台でのスティーヴンは素晴らしい。アシュリーの分析的な歌詞へのアプローチも同じぐらい大切です。だから今でも家族でやっています。家族がだんだん少なくなっていると思っていたのに、そうじゃなかった。今では孫が8人いるので、人生が新しく始まる感じかな」
それでも目標はいつも変わらない。過去を超えること「ラヴ・サムバディ」のようにギブ兄弟によるスタンダードであれ、誰か他の人の作品であれ、とにかく、すでにあるものよりさらに良いものを作ることだ。
「一番好きな曲は『スターダスト』です。ナット・キング・コールのバージョンを聴いてみてください。あれを聴いて感激しないというひとがいたら、絶対におかしい!ああいう曲を書けるようになってみたい」とバリーは言う。
ジョン・マーチャントの意見はこうだ。「アーティストとして生き残るには、傷つきやすいと同時にしぶとくタフでないといけない。これはどうしようもない逆説です。そしてバリーはまさに生き残るタイプなんです」

        

    – "His Bee Gees brothers are gone, but Barry Gibb plays on"  by Howerd Cohen, Miami Herald

「傷つきやすくない」、つまり鈍感であれば、人の心を打つ音楽を生むことはできないでしょうし、同時にタフでなければ作品を結実させることも、努力を継続させることもできないでしょう。やさしく強くひとり立つバリーが、元気でがんばって、そして幸福でいてくれることを心から願います。

{Bee Gees Days}

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