バリー・ギブ『イン・ザ・ナウ』ロング・インタビューbyティム・ロクスボロ Part 4
アルバム『イン・ザ・ナウ』より生きる喜びを歌ったというタイトル・トラック
ニュージーランドのジャーナリスト/ビージーズ研究者ティム・ロクスボロによる連載ロング・インタビュー・シリーズのパート4は、いよいよアルバム『イン・ザ・ナウ』についてです。
パート4 「アルバム『イン・ザ・ナウ』の曲は僕が生きた人生を自分なりに振り返ったもの」
この“ティム・ロクスボロのバリー・ギブ『イン・ザ・ナウ』インタビュー【パート4】”では 今回はバリーが(二人の息子スティーヴンとアシュリーと共同でソングライティングを行った)ニュー・アルバムについて、その発想の源を語った部分を取り上げる。若き日のバリーは女性たちの胸を焦がさせたばかりではなく、実は本人はフラれてばかりいたそうだ。
「15~6歳のころには、もう、しっちゃかめっちゃかだった。女の子には、だいたいフラれてた。とにかくフラれるんだよ。所有欲が強すぎて、問題ばかり起こしてたから。長続きできなくて…」そうなのだ。
こうした少年の日の恋がおそらく長年にわたってバリーが書く曲に大きく影響して、『イン・ザ・ナウ』でまた再浮上したのだろう。その他、『イン・ザ・ナウ』でブルース・スプリングスティーンに影響されたこと、キャロル・キング、ロイ・オービソンその他、バリーが聴いて育ったソングライターたちの影響が出ていることなどが、話題になっている。
TR: 2枚目のソロ・アルバムが正式に出ることになって、どうですか? 1970年にも未発表のアルバムがあり、1988年には『ホークス(VHS邦題『わが命つきるとも』)』のサウンドトラックがあったので、ある意味では4枚目にあたるわけですが…。
バリー: うん、そうだよね。確かに変な感じだけど、ソロ・アルバムを出すいい機会やタイミングにはめぐまれずに来た。ロビンは何枚か出したけれど、僕たちふたりともソロの作品ではそれほど結果を出せなかった。たぶん業界そのもの、特に僕たちのレコード会社が、ソロの作品を望まなかったんだと思う。望まれていたのは“ビー・ジーズ”だったので、ソロで何かするのはなかなか大変だった。フィル・コリンズみたいにジェネシスを離れてもスターとして立てるというわけにはいかなくて、まわり中に応援してもらえたりしなかったからね。だからチャンスが来るまでには長い年月が必要で、ようやくこの段階でほんとに作りたい音楽を作るチャンスにめぐまれた。
だからファルセットは全面的に抑え気味だ。自分としては、特に派手なところはないかもしれないけれど、基本的にいい曲が作れたと思う。このアルバムで気に入っているのは、純粋にバンドがプレイしていることなんだ。本物のバンドなんだよ。プログラミングとかはなし。実際に全員が聞こえる通りにプレイしていて、それが嬉しいところなんだ。
TR: ファルセットを減らすというのは、どのぐらい意識的な決断だったんでしょう?
バリー: 考えたわけじゃないんだ。ただファルセットではリードを歌わなかっただけ。あちこちでちょっとファルセットを入れてるけどね。でもどの曲も自分の人生についての僕なりの考え方を表現したものになっている。僕の冒険、僕たちが生きた人生を、僕の目から語ってみた。考え方は人それぞれだから…モーリスの目を通せば、また違ったと思う。ロビンの場合も、また違うだろうし。だからこれは僕が書いた僕たちの物語というしかない。これが僕が愛する音楽、僕がいま愛する音楽だ。「虹のおわりに」だって、基本的には弟たちを失った僕個人の経験を歌っている。どの曲もそれだけの理由があって作った。このアルバムには入れたくて入れた曲しか入っていない。
TR: 「ホーム・トゥルース・ソング」を聴くとブルース・スプリングスティーンを聴いていらっしゃったんじゃないかと思うんですが、同時にご自分自身について歌っているようにも聞こえます。この辺についてはどうですか?
バリー: もちろん、その通りだよ。今の僕が影響を受けている人だから。「星空の恋人達」はキャロル・キングの影響だと思う。ティーンエージャーだったころ、ボビー・ヴィー、キャロル・キング、ニール・セダカを聴いて過ごした素晴らしい時代があってね。どの曲も大好きだったので、そこからこの曲が生れた。
「ホーム・トゥルース・ソング」は確かにブルースの影響から来ている。それと野心だね。これは、ほんとは虚勢と野心、「何があってもやり続けるぞ」って曲なんだよね。それからスタイルもいろいろなんだ。「虹のおわりに」は実はカントリー・ソングだと思うんだけど。カントリー音楽が好きなので…。
TR: 「エイミー・イン・カラー」という曲は、なかなか興味をそそられるタイトルですが…。
バリー: ああ、「エイミー・イン・カラー」ね! あれは、ほら、一夜だけの関係の歌なんだよ。男なら若い時には誰だってある…もう二度とないようなあの夜、とか言っちゃって(笑)。
TR:忘れられない夜!(笑)以前に、失恋すると、その後、また他の人と熱烈な恋をしても、最初の失恋の悲しみは一生消えない、みたいなことを言ってましたよね。
バリー: それは「ミーニング・オブ・ザ・ワード」なんだ。学校時代の初恋、最初に夢中になった相手って、決して忘れないよね。リンダともその話をしたことがあるんだけど、リンダにもそういうことがあったんだって。だから11歳から14歳ぐらいの間に、みんなそういう経験をするんじゃないかな。15~16歳になるころには、もう僕はしっちゃかめっちゃかだったけどね。いつもいつも女の子にフラれてた。とにかくフラれちゃう。だって所有欲が強すぎて、問題を起こしちゃうんだよね。あのころは誰とも長続きしなくて……初めて人を好きになったあのころ…。それが「ミーニング・オブ・ザ・ワード」。どの歌もそう、僕の人生の一部を歌ったものなんだ。
TR: 子どものころのガールフレンドだったという人のひとりが、2年ほど前に女性誌に登場して、「バリー・ギブは1960年代にわたしのボーイフレンドだった!」って告白してましたよね。でも素敵な話で、所有欲が強かったとかそんな話は出てなかったですけど(笑)…。
バリー: それが誰だったかによるかも? キャロルのことだったら、15歳のころにつきあってた相手なんだけど…実際にその後に会ったこともあるから、たぶん彼女だな。なんと、僕たちふたりとももう69歳、というか、再会した時点で彼女も69、僕も69歳だったんだけど、すごいのは、外見なんか関係ない。目を見れば同じなんだよね。そう、彼女、僕をふったんだよ! で、僕をふっておいて、その直後に学校で出会った相手と結婚して、そして今がある。でも子どものときってそういうことがあるよね。僕の場合には曲という形をとってそれが戻ってくるんだけど。
TR: とても若いころの経験のどのぐらいソングライティングに影響しているんでしょう。あなたが書く曲には信じられないぐらい感情がこもっていますよね。
バリー:わあ、ありがとう。説明できないようなところから来てるんだと思う。曲を書くようになったのは8歳の時、他のことをするなんて考えたこともなかった。「これをするんだ」って思ってやってきて、他には何もできない。まず、いいなと思う曲を聴いて、それから同じような形の曲を書いてみようとしただけ。8歳ぐらいのときだな。
このキャロルさんとのなりゆきについては、本サイトの「バリーの初恋物語」で取り上げていますので、このバリー発言と比べてみると面白いかもしれません。ふたりは2013年のツアーで再会できたんですね!(よかった、よかった!)
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