【2020年5月】「ビー・ジーズは“ディスコの大ヒットメーカー”以上の存在である」(エコノミスト誌)

写真はThe Economistの記事より

写真はThe Economist誌記事より

エコノミスト誌(オンライン版2020年5月29日付)「ビー・ジーズは“ディスコの大ヒットメーカー”以上の存在である」(The Bee Gees were more than great disco hitmakers)

今回のカラーディスクによる名盤5種類の再発売(アナログ盤リイシュー)(既報)を受けてのことでしょう、ビー・ジーズの音楽史上の位置を検証する興味深い記事がエコノミスト誌に掲載されました。2017年のバリーのグラストンベリー音楽祭出演が「レジェンド」枠であった点など、なかなか面白い角度から書かれています。以下に内容をざっとまとめてご紹介します。

ビー・ジーズ最後のひとりとなったバリー・ギブが2017年のグラストンベリー音楽祭で歌ったとき、バリーが登場したのはいわゆる「レジェンド枠」だった。日曜日の午後のこのステージに立つベテラン・スターたちは、みな大歓迎される。しかしまた、この枠は、冗談であるとは決して言わないが、何の心配もなく安心して聴ける、酔った観客が楽しく喝采できる演者のためのものだという暗黙の了解がある。そのあとで、もっと旬のスーパースターが登場して音楽祭の幕引きをするのだ。一般に、このレジェンド枠に登場するミュージシャンは「まじめな」アーティストというよりはポップ系のエンターテイナーと見なされているのである。

この区分がいかに間違っているかを如実に示すアーティストがいるとすれば、まさにビー・ジーズだ。バリーより前に(訳注 2014年)にこの枠に登場したドリー・パートンもそうだったが、バリーも謙虚に、かつクレバーに、ちゃんとわかっていて観客が望むものを提供した。そしてこれもドリー・パートン同様に、もっとまじめに取り上げられている伝説のスターたちの誰にもひけをとらないだけの作品群を引っ提げてのバリーの登場であった。ビー・ジーズはアバ同様に、長い間、多大な人気を誇りつつ、ポピュラー音楽畑の番人たちには、意味のない軽い音楽だと軽んじられてきた。要するに、楽しすぎる、というわけだ。

ビー・ジーズはこれからもずっと映画『サタデー・ナイト・フィーバー』サントラ盤のジャケット写真に登場した姿で記憶されることだろう。白のジャンプスーツ、きらっきらの歯、日焼けした肌に大ぶりのペンダント、ロングヘアー。そして、ディスコ、である。だが、今回再発売されるビー・ジーズのレコード(『ベスト・オブ・ビー・ジーズ』『メイン・コース』『チルドレン・オブ・ザ・ワールド』『ビー・ジーズ・グレイテスト・ライヴ』『失われた愛の世界』)はビー・ジーズの別の側面を浮かび上がらせる。名高いダンス向けのヒットシングルだけではない、このグループは内容豊かなアルバムも作ってきた。また、ビー・ジーズは、ポピュラー音楽史上最大の驚異ともいうべき、考えられないようなキャリアの“第二幕”を見せたグループでもある。

オーストラリアで成長したギブ三兄弟は、生まれ故郷イギリスに帰り、1960年代末にバロックポップのグループとして、イギリスとアメリカで数々のヒットを飛ばした。ユニークなメロディ、高音のハーモニー、深い哀愁の念を特徴とする当時の曲は、よくあるような恋愛をテーマにしたものもあれば、難解なテーマを歌ったものも珍しくなかった(情痴犯罪で死刑になろうとしている男の最後の数時間を歌った曲もあれば、崩れた坑道に閉じこめられた鉱夫を歌った曲もある)。今回のリイシューの対象になったアルバムの中でいちばん初期のものにあたるコンピレーション・アルバム『ベスト・オブ・ビー・ジーズ』(1969年)は、こうした奇妙にも魅力的な曲の2年間分を収めたベスト盤である。うら悲しい「誰も見えない」のように、あまり知られていない曲もみな素晴らしく美しい

この時期にグループが作ったアルバムには、野心的な二枚組『オデッサ』(1969年)や『トラファルガー』(1971年)がある。売れ行きという面では劣るが、いずれも長年の間にカルト的な人気を獲得するにいたったアルバムだ。こうしてやがては「あのグループは今…」的な位置に落ちていきそうだった彼らだが、しかし、1975年の『メイン・コース』でふたつの大きな新機軸が打ち出される。そのひとつは、ちょうどディスコへと展開しそうだったR&Bへの転換。もうひとつが、やがて彼らのトレードマークとなるバリー・ギブのファルセットの登場である。

『メイン・コース』を聴けば、ビー・ジーズに関する2つの神話が間違いであることがわかる。ビー・ジーズは『サタデー・ナイト・フィーバー』でいきなり大カムバックを遂げたのでもなければ、『サタデー・ナイト・フィーバー』を作るにあたってディスコ人気に便乗したのでもない。彼らにとって最初の四つ打ちのディスコ・ナンバーである「ジャイヴ・トーキン」をビー・ジーズが『メイン・コース』のためにレコーディングした時点で、ディスコにはまだチャートを席巻するパワーがなかった。しかし『メイン・コース』はビー・ジーズというバンドを創作面でリフレッシュし、「ジャイヴ・トーキン」はビー・ジーズにとって4年ぶりの大ヒットとなった。

『メイン・コース』の成功に意を強くしたビー・ジーズは、続く『チルドレン・オブ・ザ・ワールド』(1976年)でさらに突き進み、アース・ウィンド・アンド・ファイア、コモドアーズ、オハイオ・プレイヤーズを思わせるサウンドを作り上げた。同年に製作された彼ら初のオフィシャルなライヴ・アルバム『ビー・ジーズ・グレイテスト・ライヴ』では、好調の波に乗りつつ、古い曲にも力を注ぐビー・ジーズを聴ける。

そして『サタデー・ナイト・フィーバー』。この映画のプロデューサーであり、ビー・ジーズのマネージャーでもあったロバート・スティグウッドは、当初予定していた曲が使えなくなって初めて、ポストプロダクションの段階でビー・ジーズにサウンドトラックへの参加を要請。しかし素晴らしい挽回パワーを見せたビー・ジーズを次に待ち受けていたのは、予想外の大・大・大成功と向き合うことだった。彼らは、『失われた愛の世界』でこれを見事にやってのける。1980年代のスムースなポップ・ソウルの青写真ともなる優れたアルバムである。また、彼らは多くのボーイバンドの規範ともなった。ボーイバンドの面々は続々とビー・ジーズのボーカルスタイルを真似ては、彼らの曲をカバーしたのである。ヒット曲を超えて新境地を拓き続けたことが証明する通り、ビー・ジーズは二十世紀後半の傑出したバンドだ。

後半の論旨についてはさほど新しいところはなく、すでに言い古された感があります。が、同時に、「もっと言ったれや!」感もあります。最近ご紹介したインタビューの中でジェイソン・イズベルが、「バリー・ギブは(ビー・ジーズは、と言っても良いと思う)ほんとはすごい!」と力説しなければならなかった状況がいまだにある…というのも残念なことです。この点についてはまたいずれ…。

{Bee Gees Days}

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