【2023年12月】バリー・ギブ、”CBSモーニングス”インタビュー
遅くなってしまいましたが、昨年暮れのケネディ・センター名誉賞受賞を祝って米CBSで放送されたバリーの”CBSモーニングス”ショーでのインタビューをご紹介します。(12月にロビンとモーリスの誕生日の記事で簡単にご紹介したインタビューです)
番組では、この週に受賞者を順番に取り上げて特集していたということで、冒頭のビデオで、祝賀イベントでビー・ジーズの歌詞が持つ普遍的な魅力を称えるマイケル・ブーブレの発言が紹介されました。
繊細な面があるというだけではなく、情緒的な知性を感じさせるのです。また、彼らの歌詞は人間の内面を深く見つめ、私たちと共有してくれました。聴く者を自分自身の人間性に立ち返らせてくれたのです。あ、あともうひとつ、言いましたっけ? この歌詞がまためちゃくちゃセクシーなんですよね(笑)。
確かに、確かに(笑)!
聞き手は、これまでにも何度もビー・ジーズを取材したことのあるCBSのアンソニー・メイソン。バリーの自宅に赴いてのインタビューです。
メイソンが「まずはおめでとうございます」と切り出すと、バリーは「ありがとう」とちょっとおすましでかえしたあと、「ぼく、何したんでしたっけ?」と軽くおとぼけ。以下に二人のやり取りを簡単にまとめてご紹介します。
メイソン(以下M) ケネディ・センター名誉賞を受賞されたじゃないですかあ。
バリー(以下B) なんでぼくにくれるのかわからないけど…でもとても誇りに感じています。
【バリー・ギブは弟のロビンとモーリスと一緒にビー・ジーズとして、ナンバーワンの曲を16曲も書いてきました】
B ぼくたちは良い曲をたくさん書きましたが、駄作もいっぱい書きました。でも長年の間にわかったことがあります。失敗しなければ成功もしないということです。失敗するたびに必ず何か学びますからね。
【ビー・ジーズは60年代末にバラードを歌ってブレイク。続いて70年代半ばに新機軸を打ち出し、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラックを担当して、ダンス人気に燃えた70年代を席巻しました】
(バリーの先導でふたりはバリーのオフィスに移動)
M これはトロフィー部屋みたいなものですか?
B まあ、そんなところかな。ここしかないんで。
M すごい数のゴールドディスクですね、バリー。
B あれは連続6曲ナンバーワンを達成したときのやつですね。
【6曲連続ナンバーワンという記録を達成したのは、ザ・ビートルズ以外ではビー・ジーズだけです】
B 7曲だったらよかったんですけどね(笑)。
M あなたたちの歌詞は、どこか他とは違っていた。何が違っていたのでしょう?
B どこまで深く歌詞で掘り下げられるか、ということだと思います。他の誰も言葉にしていないことを言えるかどうか、ですよ。
【独特の詩の世界には、2歳のころに体験した悲惨な事故が関連しているのでは、とバリーは考えています】
B 鍋の熱湯を頭からかぶってしまったんです。もちろん、わざとじゃありません。あと20分で死ぬところだったそうです。それから2年間入院して、退院後も2年ほど口がきけなかった。でも自分では覚えてない、何にも覚えてないんです。傷跡はあるんですけどね。あの出来事はぼくという人間に影響したと思います。
M どんな形で?
B 洞察力というか、本能のようなものが、音楽、人生などあらゆることについて身につきました。
【バリーと2人の弟たちはまだ幼かったオーストラリア時代から一緒に歌い始め、ごく自然にハーモニーが生まれました】
M ロビンとモーリスのふたりについて、素顔はどんなだったのか教えてください。
B ロビンはたぶんぼくが知っている中で一番面白いやつでした。内向的なんだけど、のってくるとめちゃくちゃ面白い。モーリスはふたりのうちでは外交的な方でした。
【けれども有名になったことで不協和音が生まれました】
B 問題は有名になると名声にとらわれてライバル意識が生まれることです。だけどひとつのグループの中で競争するなんて無理な話です。本当は一丸となって戦わなくてはならないんですから。
M 競争というのは、たとえばどんな?
B 兄弟間の競争です。
【バリーは、兄弟関係が良好とはいえなかった時期に弟たちと死別しています。モーリスは2003年に、ロビンは2012年に亡くなりました】
M 今では、いろいろなことについて気持ちの整理がついたようにお見受けしますが、どうでしょう?
B そうですね。わかった……よくわかるようになったんです。なぜふたりが不満だったのか、ちゃんと理由があったということが。
M どんな理由ですか?
B ぼくたちは兄弟でありグループでもありました。もっとお互いにサポートしあうべきでした。ぼくには注目が集まりすぎたのに、ロビンには注目が足りなかった。モーリスには、とにかくぜんぜん注目度が足りなかった。だけどつい2-3年ほど前まで、ぼくにはふたりの気持ちがわかっていなかった。
【ビー・ジーズはヒットを連発しながらも、十分に尊重されてきたとはいえない面がありました】
M ようやくしかるべき尊敬を得られた、という感じはありますか?
B 今は、もうそんなことはどうでもいい、という気持ちです。確かに当時はつらかった。ぼくらが40代になるころにはラジオでかけてももらえない時期までありましたからね。
【そこで彼らは他のアーティストのためにヒット曲を提供しはじめました。ドリーとケニー(”アイランズ・イン・ザ・ストリーム”)、バーブラ・ストライサンド(”ギルティ”)、フランキー・ヴァリ(”グリース”)等です】
M あなたたちの曲のカタログを見ていくと、いつも”うわあ”という気持ちにさせられます。
B いや、ぼくもですよ(笑)。我ながらびっくり(笑)。
【あるとき、ロバート・スティグウッドが「製作予定の映画のタイトルソングを書いてくれないか」と連絡してきました】
B 「”グリース”なんていうタイトルの曲を、いったいどうやって書いたらいいと思う?」とロバートに聞いちゃいましたよ。するとロバートは、「グリース、チャラララ~、グリース、チャラララ~、って感じじゃない?」とかって言うんですよ。で、ぼくも「なるほど(笑)。やってみるよ」とか言っちゃったんですよね(笑)。
M ビー・ジーズの作品のカバーで好きなものはありますか?
B はい。”傷心の日々”。
M アル・グリーンだ?
B そう。アル・グリーンです。あんなすごいのは聴いたことがない。…他のアーティストにカバーされると何か不滅になる、という感じはありますね。
M レガシーなんて重要ではない、と考えていますか?
B ぼくのことを、あるいはビー・ジーズのことを、人が覚えていようがいまいが、そんなことは気にしてません。ぼくが死んだ後には、どうぞお好きに、って感じですね。
【バリー・ギブの輝かしいキャリアの中でも、特に意義が深かったのは2017年にグラストンベリーにソロで出演して、10万人を超えるファンの前で歌ったことだそうです】
B それまでぼくは、自分のことをビー・ジーズの一員として考え、これからもビー・ジーズのひとりとして記憶されるのだろう、と思っていたし、それで満足してもいたんです。だけど、単独で歌うぼくにみんなが反応しくれたのを見たときには、すごい衝撃を受けました。
M あなたにとってどんな意味があったのでしょう?
B あれはすべてでした。決して忘れられない体験です。あんなことはもう二度とできないけれど、決して忘れることはないでしょう。
【以下、女性1名、男性2名とメイソン氏のスタジオでのフリートークです】
M バリーが「もう二度とできない」というのは、耳の問題があって、何か特別な場合以外にはおそらくもう二度とステージに立つことはないだろうからです。でもバリーはいまだに曲を書いていて、いま進行中のビー・ジーズの伝記映画のために1曲書いたばかりです。バリーがいうには、映画のタイトルはまだ秘密だそうですが、とにかくそのために曲を書いたということでした。
女性 タイトル、知っているんでしょ? 教えてくれないだけで。
M いや、私も知らないんですよ。とにかく映画の仕事は進行中で、そのほかにバリーは本も執筆中です。
女性 バリーの声がいまだに衰えてないのがすごいですよね。すごく個性的で。
M すごいですよね。すごい歌手で、すごいソングライターですよ。ビー・ジーズのサウンドはとても個性的だった。
女性 さっきのビデオ、曲紹介が楽しかったですよね。ここでみんなで一緒に歌っちゃいましたもんね。「失敗なしには成功もない」というのも良かったです。
M ビー・ジーズはどーんと失敗した時もありますからね。
女性 そう? 失敗なんて記憶にないけど。
M 彼らにとっていちばんつらかったのは、6曲連続ナンバーワンのあとに転落したことでしょう。とにかくどこもかしこもビー・ジーズという状態になってしまって、もうビー・ジーズはたくさんだという空気が生まれた。とにかくあっちでもビー・ジーズ、こっちでもビー・ジーズでしたからね。
男性 子どもだったけど覚えてますよ。それが突然、あの独特のサウンドやスタイルが逆風にさらされた。
M 過剰でしたよね。露出過多といっていいでしょう。そこで彼らは他のアーティストのために曲を書くという形でヒットを出すようになった。ディオンヌ・ワーウィックの”ハートブレイカー”だってビー・ジーズが書いたんですからね。
男性 グラストンベリーでも観客がみんな一緒に歌ってましたもんね。ぼくたちもここで歌ってた。あれこそ、すごさの証明ですよね。
男性 あとね、「他の人が言ってないことを言う」ってのもいいですよね。若手のアーティストはこの言葉をかみしめるべきだな。最近の音楽ってみんな似てるもんね。
M アーティストってそういうものですよね。
というわけで、ビー・ジーズを語るスタジオの面々の楽しそうな、それこそ敬愛に満ちた表情も印象的でした。それから、コメントするためなのでしょうけれど、みんながメモを取りながらバリーの発言を聴いていたみたいなのもなんだか嬉しくてほほえましかったです。
バリーの「もう人前で歌うことはない」発言はショックでしたが、このあとケネディ・センターのイベントがあり、バリーの気持ちも少し変化したようなところが最近の発言から感じられたりもしますので、それもまた随時ご紹介しようと思います。
それから記事中で触れられているバリーのやけどのあとですが、たとえば『ベスト・オブ・ビー・ジーズ Vol. 2』のジャケット写真などにはっきりと写っています。大人になってもこれだけの跡が残るほどの大やけどですから、その後の人生観に大きく影響したのも不思議ではない気がします。
それから今週で終了する今期のNHKの朝ドラ『ブギウギ』で、今ヒロインが引退を決意するところですが、それを聞いた作曲家の羽鳥氏が、「君が歌わなくなると僕の歌も死んでしまう」というような発言をする場面がありました。ちょうどこの記事のためにビデオを訳しているところだったので、ちょっとはっとしました(シンクロニシティ??)。バリーが「カバーされると不滅になる」というのは、オリジナルの歌い手の手を離れて別のアーティストによって曲が生き続けるということなのでしょうね。
{Bee Gees Days}
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