ビージーズ、サンデー・タイムズ紙インタビュー
「Ultimate」の英国発売にタイミングを合わせてタイムズ紙日曜版が「あなたのお気に入りのビージーズの曲は?」という紙上アンケートを行いました。その結果は同紙のサイトで見ることができます(スクロールダウンして画像の列の下のView Resultsというところをクリックしてください)。1位は意外な曲というべきでしょうか、それとも当然?
このアンケートに関連してロブ・フィッツパトリックが夏の終わりにマイアミでバリーとロビンに取材した記事が10月25日付けの『Sunday Times』紙に掲載されました。主な内容を以下にご紹介します。
ロビン&バリー・ギブといえばあまりにもお馴染みのふたりなので、目の当たりにして座っていると変な気がするほどだ。あいかわらず鉛筆のように細く、よりとんがっていて自己防衛過剰気味な方が59歳になったロビン。ビージーズの名誉がかかっているとあれば立ち回りの喧嘩も辞さないという雰囲気なのはロビンの方だ。63歳のバリーの方はもうちょっとゆったりした感じ。聖者のよう、といってもいいぐらいで、雪のように真っ白な髪を肩までたらし、口元にかすかな微笑みを絶やさない。
「モーリスの死から立ち直るのに6年かかりました。モーリスを失って家族はちりぢりになり、ロビンは頑張り続けたけれど、ぼくは情熱を失ってしまった。作品を作る気にもなれず、もうぼくたちはおしまいだと思っていました」とバリー。
「ぼくたちのは長い長い物語だから」と水の入ったコップを前にしたロビン。「でも若かったころ、ぼくたちにとって危険だったのは、ただひとつ、危険を冒さずにいることでした。冒険すれば必ず得るところがあるといつもわかっていたんです」
初めてイギリスにわたったときにも「盲目的に自分たちを信じていた」とロビン。「幸い、どんなに競争が激しいかわかっていなかった」のだそうだ。
そんな彼らがロバート・スティグウッドと出会ったことでいちやくスター街道を歩みはじめ、当時のロンドンのポップシーンの仲間入りしたわけだが、そのころを振り返って、「クロムウェリアンとかバッゴネイルズみたいなナイトクラブに行ったなあ。ぼく、スピークイージーが好きだった。階段をおりると一番下に棺桶が置いてあったの。会員証を持っていると壁が回転して中に入れたんですよね」とロビン。
[ビートルズやストーンズが王様みたいに席についていた。そこにぼくたちも仲間入りしたんです」とバリー。
やがて彼らはすぐれた着想に満ちた二枚組アルバム「Odessa」を発表。中でも「Whisper Whisper」はドラッグディーラーについて書かれた曲ととても複雑な辛口の曲だ。
「Odessaは狂気の沙汰だった。ビートルズが使っていたスタジオでレコーディングして、思いつくアイディアは迷うことなく全部試してみた」(ロビン)のだが、残念ながら内容的に斬新的すぎてファンが離れるという結果を招き、議論の末、兄弟仲がこじれてしまった。「ロビンとぼくが話題にしない時期というのがいくつかありますが、この時代もそのひとつです」とバリー。
その後、さしたるヒットに恵まれない70年代前半が過ぎ、1975年のアルバム「Main Course」で流れが大きく変わった。続く「Children of the World」のあと、ギブ兄弟がフランスでレコーディングしていたときに、ロバート・スティグウッドから電話が入る。「まだタイトルが決まっていない映画があるんだけれど、サントラ用に曲を書いてくれないか? ほんの6~7曲もあればいい。それから映画のタイトルも考えてくれないかな?」
「何がヒットするかなんてわかったものじゃない」とバリー。「でも『Stayin’ Alive』だけは別で、うんと早い時期にジョージ・マーティンに聞かせたら、2歩下がって、『すごい! こんなの聞いたことがない!』と言われました」
この映画こそ「サタデー・ナイト・フィーバー」であり、まもなくアメリカの家庭の7軒に1軒にはこのアルバムがあるという状態になる。
「“フィーバー”に続いてぼくたちは人生でもっともクリエーティブなレコーディング時期に入りました。続く5年間、ぼくたちはもっとも成功したアーティストだったんです」(バリー)
「史上もっともレコードが売れた時期なんです」とロビン。「1967年以来、本当の意味で文化にインパクトを与えたアルバムは3枚しかない。『サージェント・ペパー』と『フィーバー』と『スリラー』です。この感覚を身をもって知っている人間は少ない。ぼくたちは月に行ってきた人間みたいなもんです」
「ジョン・レノンも、『おれにもフィーバーみたいな曲があったらな』と言ってました。でもその直後にぼくたちは今度はあらさがしの的になった。だからその時期、ぼくたちはソングライターとしてのキャリアを確実にするために自分たちの一番いい曲を他のアーティストに提供したんです」(バリー)
「ぼくたちは史上最高のレコードを創り上げた。それというのもぼくたちが新しいことへの挑戦を恐れなかったからです」(ロビン)
また一からやり直したいという気持ちは? 「いや、とんでもない!」とロビンは大声で笑った。「昔のポップミュージックの方がずっと開放的で華やかだった。今ではすっかり保守化してしまっている」
「これまで生きてきた中で、本当に幸せなこともあれば、本当に悲しいこともありました」とバリー。「でもぼくたちが書いた曲の中には、これからも人の心に訴え続けるものがある。それは知っています」
記事中に「隣では日本の撮影隊が準備に入っている」という一文があります。これは10月から11月にかけてMusic Airで放送された特集番組用の取材でしょうか。なんだかマイアミを身近に感じる(?)一瞬ですね。
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