モーリス・ギブ「マサチューセッツ」を語る

「マサチューセッツ」はあまり好きじゃなかった?!
「マサチューセッツ」はあまり好きじゃなかった?!

今日は「マサチューセッツ」がイギリスのチャートでビージーズにとって初めてのNo.1になったころのイギリスの雑誌の記事をご紹介します。

このころのビージーズはまだまだ新人扱い。「きっと大ヒットに大喜びしているだろうな」と取材に出かけた女性記者は事務所でモーリスとコリンとヴィンスに会います。

取材のほとんどはモーリスとのやりとりですが、バリーとロビンも出たり入ったりしているという、なかなか臨場感あふれる記事です。

版権の関係で全訳はできませんので、簡単に内容をまとめてご紹介します。当時の彼らを取り巻く雰囲気の一端が感じられるだけでなく、彼らがリアルタイムで「マサチューセッツ」をどうとらえていたかがわかって、なかなか面白い…。

モーリスにビージーズの曲作りについて聞いてみました。「特に作曲向けの特別な気分」というようなものはないんだそうです。

スタジオ入りして始めるだけかな。まず座ってちょっとおしゃべり、なんてことはしない。曲はやって来るか来ないかのどっちか。だいたいはぼくがピアノで全体の”サウンド”作りを手伝う。歌詞にはノータッチで、ぼくは音一辺倒なんだ。

ファーストアルバムのジャケットがなかなか「サイケデリック」ですね?と聞いてみたら、ビージーズとしては「抽象的」なジャケットだと思ってるそうです。

取材中のモーリスは花柄シャツに模様つきのズボン、チョッキというスタイル。とってもかっこいい! 先日、テレビでビージーズ全員がとっても変わったかっこうをしていたのを思い出して「フラワーパワー」をどう思うか、聞いてみました。

「ビジネスだと思う!」とモーリスはにやり! 「考え方としてはいいと思うんだけど、商業主義が乱入してムーブメントとしてはもう終わりかな。カーナビーストリートでベルとかが売られてるようじゃね…。七月にアメリカに行ったときには、まだフラワーパワーはイギリスに上陸していなかったけど、帰ってきたときにはもうすごかったよね。オーストラリアを出たときにもフラワーパワーの影も形もなかったけど、今じゃきっとオーストラリアでも流行ってるんだろうな」

フラワーパワーの本家であるアメリカに行ったんだ?

すごかったよ。(ここで答えているのはモーリスとコリンとヴィンスの三人です)まるで神様みたいに扱われて、とにかくすごいの。変なんだけど、アメリカのグループがイギリスに来るとこっちの若いファンはとっても丁寧に対応すると思うんだけど、アメリカのファンはすごくワイルドなんだよ! アメリカは大好きだけど、「マサチューセッツ」をアメリカ向きに書いたという説は間違い。ちょっとふざけてトム・ジョーンズとかエンゲルベルト・フンパーディンクみたいな曲を書いてみただけなんだ。ふたりともナンバーワンヒットを持ってる人たちじゃないか。で、できたのが「マサチューセッツ」。でも3か月ぐらいデモでほっぽらかしておいたの。レコーディングする気になれなかったんだよ。そしたらマネージャーのロバートが「これだ! 絶対にレコーディングしなくちゃ」って言ったんだけど、ロバートが正しかったね」

自分だったら「マサチューセッツ」を買う?と聞いてみたところ、三人とも答えは「ノー!」。好きなタイプの音楽じゃないんだそうです。

歌詞にサンフランシスコが出てくるけど、フラワーパワーとは関係ないの?

まあね。そうも言えるよね。でもあれは売るための曲で、うまく売れたってことなんだ。ぼくたちは今度出る新曲の「ワールド」の方が好き。すごい曲なんだよ! 「マサチューセッツ」よりずっとがんばって作ったんだ。

ちょうどこのときロビンが静かに入ってきました。日の光の色をしたサングラスをかけています。窓のところに腰かけて通りを行く人たちを眺めて、なんだか楽しそう。サングラスのせいでお天気が良く見えてるのかも。こちらは四人で会話を続けます。コリンとヴィンスはイギリス滞在許可がおりてとても嬉しいと話してくれました。

ロビンは窓から外を見るのをやめて立ち上がると出ていっちゃいます! ロビンが出ていったかいかないかのうちに、もう一度ドアがパッと開いてバリーが入ってきました。素敵なシルバーフォックスのコートを着ています。身長6フィート1インチ! かっこいい! わたしは立ち上がってバリーと握手しました。あっ! 考えてみたらわたし、女性でした。ふつう男性が部屋に入ってきて女性が立つっていうのはないんでした。逆だったわーん。

バリーは、すぐに行かなくちゃと言うんです。30分前に写真撮影が始まってたんだとか。

…というわけで、楽しい取材の時間は終わったのでした。

    (サリー・コーク) Fabulous 208 (1967年11月11日号)

「マサチューセッツ」がこれほどヒットし、愛され、ビージーズを代表するスタンダード曲に育っていくとは、この時の彼らはまだ予想していなかったようですね。トム・ジョーンズやエンゲルベルト・フンパーディンクを念頭に書かれたということは、でもやっぱり堂々たるスタンダード・ナンバーを書きたかったということでしょうか。そこにロビンのあの類いまれなる声があって、あの類いまれな曲が生まれたわけですね。ロバート・スティグウッドの慧眼もさすがです。

ここでコリンとヴィンスが「滞在許可がおりて嬉しい」と言っているのは、ヴィザの関係であわやオーストラリア本国に送還されそうになり、ファンの反対運動などがあって、イギリスで仕事を続けられるようになったことを指しています。ビージーズにとって本当に激動の1967年だったのですね。そういえば、2005年ごろにロビンがイギリスのラジオ番組の企画で、「ぼくの人生の決定的な一年」に取り上げたのはやはり1967年でした。

それからここでバリーが着ていたというシルバーフォックスのコートというのは、これでしょう。日本盤シングルの「マサチューセッツ」のジャケットでも着ているやつですね。ロビンとモーリスが着ている写真もありますから、ようやくお金持ちになった三兄弟、一枚だけ豪華な毛皮のコートを買って三人で着まわしていたんでしょうか。なんだかほほえましいですね。

だけど彼らが「ワールド」に自信を持っていたというのはわかります。それがしが初めて聴いたビー・ジーズの曲は「マサチューセッツ」でしたが、B面の「ホリデイ」と次作の「ワールド」を聴いて完璧にビー・ジーズの世界にハマったのでした。

{Bee Gees Days}

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