”同時代を代表する素晴らしいソロアルバム”‐Mojo誌7月号『救いの鐘‐ロビン・ギブ・アーリー・ワークス・コレクション』レビュー

「孤独のサウンド」
Mojo誌2015年7月号レビューより

 

イギリスの月間ロック誌Mojo の7月号に『救いの鐘‐ロビン・ギブ・アーリー・ワークス・コレクション』のレビュー(5つ星)が掲載されました。

2002年冬、当時53歳だったロビン・ギブが『シング・スローリー・シスターズ』について語った言葉を冒頭に引いて、評者であるアンドルー・メイルが秀逸な論考を展開します。以下に簡単にまとめてご紹介します。

 

「作ったのを覚えてないアルバムもあるんだよね」とロビン・ギブ。「良いことなのかもしれないけど」 2002年冬、私たちはソーホーのユニオン・クラブの暗いかたすみで話していた。当時53歳だったロビン・ギブが思い出そうとしていたのは「失われた」アルバムとして名高い1970年の『シング・スローリー・シスターズ』。

ロビンに思い出せたのは、1969年2月、2枚組のコンセプト・アルバム『オデッサ』からの第一弾シングルをめぐって長兄バリーと議論した結果、19歳のロビンがビージーズを脱退したことだ。「意見があわなくて…。ギャラガー兄弟みたいだよね。…コンサートに行かなかったり、番組に出演しなかったり、それぞれにうぬぼれてたから。19歳で、大人の世界のど真ん中にいて、朝起きたときに、いやあ、今日はショーなんかに出たくない。スタジオに行ってこのすごい作品をレコーディングしたい、とか思ってしまう」

ロビンはこれを実行した。ギブ兄弟の初めての名声期の頂点で、ロビンはナイツブリッジに居を定め、60年代後半でも指折りの奇妙な作品群にとりかかったのだ。

数ヶ月後、ヨーロッパ全土でチャートのトップに躍り出たシングル「救いの鐘」は、独特な雰囲気を持つスマッシュ・ヒットだった。トラウマを抱えたロビン、Binson Echorecのディレイ音、FR1 Rhythm Aceドラム・マシーンのチャカチャカしたリズム…。
ロビンのトラウマは非常にリアルだった。1967年11月5日、ロビンは婚約者のモリー・ハリスさんと一緒に死者49人を出したヒザー・グリーンの列車事故を体験した。直接この事故の体験を歌った作品はないが、この作品と当時のロビンのアンフェタミン常用が作品に大きく影響しているのは間違いない。ロビンは「スピード(アンフェタミン)は人を仕事に駆りたてる」と話してくれた。

1969年8月、IBCスタジオで録音されたのは、アルバム『救いの鐘』とRhythm Aceとキーボードをシンプルに使って作られた、耳について離れないデモの数々だ。仕事、喪失、苦しみ、死をテーマを、クレイトンのバロック風のストリングズとブラスのアレンジに乗せて流麗に展開する。結局、ロビンの後続の作品はヒットすることはなく、バリーとモーリスのソロ作品もぱっとしない状態で、ビージーズは1970年8月についに再結成されたが、その段階ですでにロビンはアルバム2枚分に相当するマテリアルをレコーディングし終えていた。

やがてこうした作品の評価が高まるなか、音質に問題の多い海賊版が多々出まわったが、2005年にロビン・ギブ本人の意を受けて、グラミー賞ノミネート歴を持つプロデューサー、アンドルー・サンドヴァルが音源の収集に乗り出した。その作業の成果は驚くべきものだ。アルバム『救いの鐘』には別テイクとデモが追加され、アルバム中の一曲「ファーマー・ハドソン」の12分に及ぶロング・バージョンは、ロバート・フラハティ監督の映画『アラン』をジョー・ミークがミュージカル化すればかくや、と思わせる。ディスク3はナイツブリッジ時代のデモ、BBCのセッション、さらには壮大なミニ・シンフォニー2曲(「ムーン・アンセム」と「ゴースト・オブ・クリスマス・パスト」)を含むレア曲を集めたもの。

中でも出色なのは『シング・スローリー・シスターズ』だ。死地に赴く第一次世界大戦時の兵士からの悲しいメッセージの形をとった冒頭のタイトルトラックから、不穏な気配の漂うラストのアコースティックのデモ「ホワイ・ノット・クライ・トゥゲザー」にいたるまで、『シング・スローリー・シスターズ』は、「エリナー・リグビー」と同じぐらいヴィクトリア朝時代の軽音楽にも影響されたと感じさせる独特の英国シャンソンといえる。アレンジが『スコット2』(訳注:スコット・ウォーカーの2枚目のソロアルバム)の壮麗な60年代風オーケストラ・ポップスを思わせるところもあるが、ウォーカーの朗々たる優越性に代わってここにあるのは、同じウォーカーの曲「王宮の人々」に歌われる「耳を聾するばかりの絶望」だ。訥々としてシュール、すがりつくようなロビンの歌詞は、救いを求める叫びのようにも、出されずに終わった手紙のようにも響く。

その結果として、同時代を代表する素晴らしいソロ・アルバムが生まれた。意外にも、と付け加えておこう。当時のロビンはティーンエージャーにしてミリオネア、瀟洒な郊外に居を構えていたのだから。『シング・スローリー・シスターズ』はさびしい人びとを見つめるのではなく、その声をとらえたのである。ポップスのスターダムがこれほど孤独な歌声を響かせたことはない。

<Mojo誌2015年7月号>

グループとしてのビージーズが残念ながら活動を終えたいま、その文化的意義が新たに見直されています。若きロビン・ギブのソロ活動の総括ともいえるこのコ レクションの登場で、彼らの持つ独特な側面に光があたることにもなりました。このレビューは「どの曲がヒットした」という従来のレベルを超えた、そうした 真剣な評価の一つといえるでしょう。ここでの論考に必ずしも全面的に同意するわけではありませんが、とても興味深い内容です。

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