訳詞コーナー: 「リアリイ・アンド・シンシアリイ」

ビージーズの歌詞、特に初期のものは独特の感覚で書かれていて、英語が母国語の人にとってもほとんど意味不明だとよく言われています。比較的わかりやすい 抒情的な作品もありますが、それでも部分的に「どうしてここにこんな表現が出てくるんだろう」と頭を抱えてしまうような箇所があったりします。

それは彼ら がメロディ重視で、先に音ありきで曲作りをしていることと無関係ではないようです。けれども同時になんとも独特の感性、世界観が働いているのも確かで、それが大 きな魅力にもなっています。要はひとつひとつの言葉の意味にはあまりとらわれず、全体の”感じ”をつかめばいい、と言われているのですが、さて…。

ビージーズの2枚目のアルバム「ホリゾンタル」に収められている「リアリイ・アンド・シンシアリイ」もそんな「難解な」作品のひとつ。この曲は1967年 11月5日にロビンがロンドン郊外のヘザー・グリーンで遭遇した大列車事故の体験をもとに書いたと言われています。

使われたアコーディオンはロビンのお気に入りで、パリで見つけた1920年代製のアンティークの掘り出し物だそうです。

 

ぼくの心はぽっかりと開いている
もうこちら側に来てしまった
たとえ名前を覚えられていても
見捨てられてしまうなら
気にしてもしかたない
どうせ何も持ってはいけないんだし

ぼくを拒絶してくれてもいい
悪しざまに言ってくれてかまわない
でもぼくはがんばった
本当に心からがんばったんだ

歌が
あたりに響いている
でも何も聞こえない
いま君がいてくれたら
ぼくの気持ちを伝えたいのに
愛だってあっさりと失われてしまう

ぼくを馬鹿にしてくれてもいい
罵ってくれてかまわない
でもぼくはがんばった
本当に心からがんばったんだ

ロビンは当時のガールフレンドだったモリー嬢(のちに結婚して最初の奥さまになります)と外出した帰りに英国の列車事故史上最悪の惨事ともいわれるこの事故に遭遇。幸い、ふたりとも助かりましたが、まわり中で大勢の人が苦しみながら亡くなっていく、ロビンの言葉を借りれば「まるで戦場」のようなありさまを目の当たりにし、生還者としての悔いと罪悪感に苦しみ、鎮魂の思いを歌に託しました。

一番で「こちら側」と言っているのが、死線を越えた「あちらの世界」なのか、あるいは死者を見送って自分は帰ってきてしまった「現世」なのか、ここでは最初の解釈(あの世)をとりました。死の厳粛さの前に、名声も、富も、すべては無に還ります。

二番では、ある種の未練が生まれています。自分がこの世に生きて愛したもの、音楽や愛する人のことが心をよぎり、そのはかなさに思いをめぐらせます。

そして結局は生き残った「ぼく」は、「たとえ何と言われても自分は心から生きた」と祈るように歌い継ぐのです。それは生き残った者として、また人生に向き合っていくことの決意でもあるのかもしれません。

1960年代のロビンは「レパートリー中で好きな曲」を聞かれると必ずといっていいほどこの曲を挙げていました。この列車事故についても、人生観に大きな影響を及ぼしたと折に触れて語っています。それだけ大きな体験であり、意味のある曲なのでしょう。

ここで1971年のオーストラリア公演からのライブバージョンへのリンク(YouTube)をご紹介しておきます。

また、この曲が収められたオリジナル・アルバム「ホリゾンタル」は2006年に発売されたリマスターバージョンの2枚組英国盤が現在入手可能です。アウトテイクや未発表曲も含めての2枚組となっています。

 

 

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