「バリー・ギブのソロツアーについて」(バーミンガム・ポスト紙)

ツアーを前にイギリスのメディアに続々と登場しているバリーのインタビューを順次ご紹介したいと思います。今日はバーミンガム・ポスト紙(オンライン版2013年5月10日付)に登場したインタビューです。(バーミンガムでは9月21日にツアーの初日公演が予定されていますので、おそらくそのプロモーションも兼ねているのでしょう。ビージーズの歴史とからめてバリーの発言を紹介する形がとられています)

ビージーズ最後のひとりとなったバリーが、弟たちを亡くして以来初めてのツアー体験についてマーク・ハッチンソン記者に語った。

初めてのソロツアーを続ける66歳のバリー。ふたりの弟たちと一緒の舞台に慣れていたバリーにとって、これは辛い経験になる。

「最後にイギリスに行ったのはロビンの葬儀のときでした。基本的にはぼくのコンサートということにはなりますが、これはぼくたち三人のためにやっていることです」

モーリスとロビンなしで歌うのは変な感じがしませんか?

「ふたりはいつもぼくの隣にいます」 バリーは辛そうに答えた。

ツアーをするかどうか、なかなか決められなかったそうだ。

「大きな決断でした。結局(決めるまでに)一年かかりました。いつもまず迷う時期がある。でも試しにコンサートをしてみたら、やっぱりやりたいという気持ちになったのです。

三人でツアーをしてからすでに10年以上が経過していますから、もうその時期ではあります。演奏することへの飢え、音楽を愛してくれる人たちのために演奏することへの飢えがあります。

モーリスとロビンがリードボーカルをつとめた歌は大切にして、ぼくが歌おうとは思いません」

大好評だったオーストラリア公演について

「(コンサートも聴衆も)素晴らしかったです。オーストラリアはぼくたちが育った国なのでぼくたちにとっては歴史がある。スピリチュアルな体験でした。

でも古巣のイギリスに帰って公演するのも楽しみにしています。

ぼくの長男スティーブンとモーリスの愛娘サマンサ(サミー)を含めた10人ほどのミュージシャンがステージに立ちます。

サミーは素晴らしい歌手です。スティーブンのボーカルはもうちょっとラフですが、彼は素晴らしいギタリストでもあります。うちの家族には音楽の血が流れているんです。父はドラマーで母は歌手でしたから。

ギブ兄弟のバンド活動が始まったのは、1950年代にマン島から移り住んだマンチェスターでのことだ。

「楽しい時代でした。マンチェスターは大好きです。夜の11時ぐらいまで日が沈まないんですよ。

父と母はいつも仕事で忙しかったので、ぼくたちはもめごとに巻き込まれてばかりいました。それから、運命でしょうね、ぼくたちは歌い始めた」

自分たちの声が絶妙なハーモニーを奏でると知った三兄弟は機会あるごとに歌うようになる。末っ子のアンディが1958年に誕生して間もなく、一家はオーストラリアのブリスベーンに移住。そこで「ビージーズ」が結成されて、あのハーモニーが完成された。

同時にソングライターとしても才能を開花させたビージーズは「スピックス&スペックス」をオーストラリアのチャートのトップに送り込む。こうして19歳のバリーと17歳のロビンとモーリスは再び海を渡ってイギリスへ。

「ニューヨーク炭鉱の悲劇」「ラブ・サムバディ」とヒットがに続き、ついに「マサチューセッツ」がビージーズ初の全英ナンバーワンに。

「素晴らしい時代でした」とバリー。

70年代に入って一時ヒットが出なくなり、ロビンが一時的にグループを去ったこともある。

「1970年、71年ごろには、もうダメかなと思っていました。

当時、どのグループもだいたい5年ぐらいしか持たなかったんです。それにぼくたちは大人になって家庭を持つようにもなっていました。

でも曲作りを止めたことは一度もなく、ロバート・スティグウッドがいつもぼくたちのために何かやってくれていました」

転換が訪れたのはアルバム「Mr.Natural」とシングル「Jive Talkin’」が出た70年代半ば。ここでバリーのボーカルがポイントになる。

「ファルセットのボーカルが必要で、誰か”キャーっ”と高音で歌ってみろという話になって、プロデューサーのアリフ・マーディンが『ブロードウェイの夜』でやってみようと言ったんです。それが発端です」

以後、ビージーズは世界最大の人気グループのひとつとなる。

「誰にも予想もできなかった展開でしょう。条件がそろっていたんですね」

映画『サタデー・ナイト・フィーバー』と『グリース』に曲を提供し、ヒットにヒットが続いて空前のブームが訪れた。

ソングライターとしてもプロデューサーとしても人気を誇った三兄弟はダイアナ・ロス、ドリー・パートン、バーブラ・ストライザンドなどの歌姫たちにもヒットを提供する。

「ひとりがアイディアを出し、それを全員でまとめるんです。仕事部屋があって、ぼくたちが曲を書く現場は誰も見たことがありません。とにかく三人だけ。ロビンとモーは素晴らしい才能があって、ふたりとの曲作りは本当に楽しかった」

ビージーズはアイヴォー・ノヴェッロ賞を受賞し、2002年にはCBEの称号が授与された。

いま弟たちを亡くし、自分自身も数年前に心臓の病気を経験したバリーの人生観は達観と呼ぶにふさわしい。

「モーリスとロビンを失ったのは恐ろしい体験でした。母にとってはさらにひどいことだったと思います。

ぼくは”今”を生きて、先のことは気にしないことにしました」

《付記: ばたばたしていてしばらく更新できず、いろいろと心配してくださった方たちからお問い合わせをいただきました。ご心配をおかけしましたが、少しずつ更新していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします》

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