【1978年米誌】ビー・ジーズ、ソングライティングを語る(その3)
バリーとロビンがソングライティングについて語ったインタビューの(その3)、いよいよ話題はビー・ジーズ独特の作曲法に及びます。取材側のビー・ジーズへの思い入れも感じられる内容の濃いインタビューです。
「どんな風に曲を書くのですか? どんなアプローチをとるのでしょう? 単独で書くのですか……声を道具に使って歌いながら曲を書くのですか…?」
「”Emotion”を書いたときのことを話そうか」そう言ってロビンが説明してくれた。「あの曲は、ある晩、外のポーチで1時間ぐらいで書いたんです。どうやるかというと、座ってギターをぽろぽろやりながら何かが起こるのを待つ。こんな曲にしようとか計画を立てたりはしません。何か思いついたら、それをつきつめていって、行き詰まったら、また戻ってやり直したりしながら、なんとか最後まで持っていくんです」
「ときどき、最初に行き詰ったときに」と、バリーも説明してくれた。「タイトルが浮かぶと、そこから急に別の方向性が開けてきたりします。タイトルは曲を書く人間にとってはインスピレーションのもとです。僕たちはタイトルをいっぱい書きとめておいて、発想のもとにしています」
「リズムにあわせて書くこともあるな」とロビンが口をはさんだ。「外に座ってるときなんか、手で脚を叩いてビートをとって、楽器なしで曲作りをしていると、変なやつら、って感じに見えるかも。曲作りをしたことがない人が見たら、僕たちはアブナイやつに見えるんだろうな」
バリーが後を引きとる……。「それから僕たちは全体の構成がしっかりできあがるまでは書きとめたりはしません。まずは、頭の中で出来上がった曲が聴こえてる、という感じになるまでもっていきます。最終的にどういう音が欲しいか、もう聞こえている状態なので、プロダクションそのものは楽なもんです。スタジオ入りするときには、何が必要なのかわかっています。書いた曲がレコードになったときに何がどうなっていてほしいか、もう僕たちには聞こえているからです」
「もうすっかりプランニングされた形でスタジオ入りするのですか? それともアレンジは頭の中にあるだけ?」
「まず、僕たち楽譜が書けないんです」とロビンが教えてくれた。「十六 分音符とかああいうやつね。僕なんか、十六分音符も黒い丸も違いが分からない」
「楽譜を読まなくちゃならないときには、共同プロデューサーのアルビー・ガルーテンが助けてくれます。彼、ずっと楽譜を読んできた人なので。現段階では、音符を習ってしまうと、これまでずっとごく自然にやってきたことから何かが失われてしまうんじゃないかという気がします」
「たとえばですね」と、ロビン。「オーストラリアで僕たちのバックについてくれてたピアニストがいたんですが、その人に”こういうコードをひいてください”と頼んだら、こちらが気に入って、”いいですね!”って言っているのに、”それは間違ってる!”って言うんですよ。僕たちは、”間違ってるかもしれないけど、いい音じゃないですか!”って言っているのに、彼は、”それはそうでも、技術的には間違った音なので、演奏なんてできない!”って言うんです。規則一辺倒で、間違った音であると習ったものは、たとえ良い音に聞こえていても演奏できないって言うんです」
バリーが説明してくれた。「曲は”Will You Still Love Me Tomorrow” でした。…僕たちは、AマイナーじゃなくてCでやってくれって頼んだんです。その方があたたかみのあるコードで、とてもいい感じだったんです。でも、彼は聞く耳を持たなかった。”Aマイナーじゃなくちゃダメだ!”って言うんです」
「あのオーストラリア人独特の表現、なんだっけ?」 ロビンがバリーに訊ねた。
「ああ、cobber(訳注 ”mate”みたいな感じでしょうか。オーストラリア独特の表現で”きみ”という感じ)ね」とバリーは答える。
「それだ」とロビン。「彼がね、”申しわけないけどね、きみ(cobber)、それは間違っているよ!”って言ったんです。すごく感じ悪かった」
「”How Deep Is Your Love”のメロディは感動ものです。あの曲には美しいコードと素晴らしいメロディ・ラインがいくつも入っていますね。バックのヴォ―カルのからみあいも本当にみごとです。どうやってあんな存在感のあるバックのヴォーカルができたんですか?」
「試行錯誤、また試行錯誤、またまた試行、そして成功、ですよ」というのがバリーの答えだった。「ヴォーカルに必要なだけじっくりと時間をかければ、望む通りの結果が出せるんです。アーティストがスタジオ入りして、一回だけ歌って、全員が”すごい!”というようなやり方には、僕は賛成じゃない。それはそれでいいんだけど、僕が目指しているのは”これだ!”というようなヴォーカルが同時に完璧なヴォーカルでもあるというケースです。それでもいいじゃないですか。これだ、となるまで、くり返しくり返しやればいい。くり返しすぎて新鮮味がなくなる、なんてことにはならずに、くり返せるはずなんだ」
「”How Deep Is Your Love”を書くのにはどのぐらい時間がかかりましたか? 」
「”Emotion”と同じぐらいかな」とロビン。「だいたい1時間ぐらいですね。だけどあの曲で聞けるいろんなニュアンスみたいなものは全部あとで追加したものです。ただ、言っておくけど、歌詞はまったく変えていません。だけど、構造という点では、あの曲のレコーディング方法は、あの曲の作曲法とはまた違っていました。少し変えたことで良くなったと思います」
「共作する際には、歌詞と音楽の両面での共同作業なのですか?……それとも基本的に特定のひとりのアイディアなのでしょうか?」
「最初はだれかひとりが思いついて、それから共作する場合には、一緒にそのアイディアを育てていきます」と、バリー。
ロビンが付け加えて言う。「”歌詞はそっちで考えてよ。こっちは音の方を考えるから”みたいなやり方はしません。
でも曲のそもそものコンセプトが僕たちのうちの誰かひとりが単独で思いついたアンディアから始まっている場合にも、自己中心的な要素は皆無です。”思いついたのはおれだから、おれが最後まで仕上げる”というようなのは、なし。何か思いついたら、それを持ち寄って、お互いに意見のキャッチボールをしながら、一緒に作業します」
「もう20年間これでやってきましたからね」と、バリー。「これだけ長くやってきたんだから、曲作りについては多くを学びました。曲のどこを盛り上げて、どこでおさえるか、ということについては、僕たちは本能的にわかっていると思います。何回も何回もやっていると、とにかくわかってくる…本能的にね」
”I Just Want To Be Your Everything”で”I”の音を長く引っ張ったのにはまったやられましたよ、と私たちはバリーに言った。「たいていの人なら”I just want to be your everything”をごく自然に一行にしてしまうだろうに」というのが僕たちのコメントだった。「なんと、あなたはあれを途中で切ったんですねえ…」
「”just”という言葉がポイントだったんです」とバリー。「ああいう切り方になったのは、”just”にアクセントを置いてあの一行を歌うにはどうしたらいいか、それを考えていたからなんです。あの曲が最初にチャート入りして、”I Want To Be Your Everything”って書かれちゃってた時には”ぎゃー!”と叫びたかったですよ。あのタイトルのキモは”just”という言葉だったのに。”just”って、つまり、”それだけ、それしかない”っていうことなんです。それがあの歌で表現している気持ちなんです。だから、苦心して、”just”という言葉をサビに入れて、きれいなメロディにのせて強調する方法を探ったんです」
なるほど、それで、”アアアア…アアアーイ”となっていたわけか! その点に着目して、バリーからこのコメントを引き出した取材側もみごとです。
それにしてもギブ兄弟独特のこの”一緒に曲を仕上げる”という作業について、かつてバリーは「どうやっていたのか、僕は死ぬまで誰にも明かさないつもりだ」と発言したことがあります。昨年、残念にも亡くなったビー・ジーズ・バンドのドラマーだったデニス・ブライオンは、その著書”You Should Be Dancing: My Life with the Bee Gees”の中で、”そばで見ていても不思議だった”と、共鳴に基づいたようなその不思議なソングライティングの様子について書いています。これはやはり彼らがずっと一緒に音楽に取り組んでいた兄弟だったからなのでしょうが、そういえばレノン=マッカートニーやジャガー=リチャードのようなコンビ作家はどうやっていた(いる)のでしょうね。
ここでまだこの段階では発表されたばかりだった”How Deep Is Your Love(愛はきらめきの中に)”が具体的に話題にのぼっているのも興味深いです。ドキュメンタリー映画『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』には、ブルー・ウィーヴァ―もまたあの曲の成り立ちに大きな役割を果たしたことが描かれています。ですからここでロビンが”(バリーと)ふたりで1時間ぐらいで書き上げた”と言っているのは必ずしも正確ではないとも言えます。
もちろん、曲が仕上げられていく過程で、さまざまな段階があったでしょうから、ロビンが述べているのも、また、貴重な事実であり、後年、ロビンと話していても「愛はきらめきの中に」を書いたことをロビン自身がとても誇りに思っているのだとしみじみ感じたことがあります。同時に、版権についての考え方がより厳密になってきた現在であれば、ブルーの名前がクレジットから外れることはなかっただろう、とも言われています。そうしたいきさつや、おそらくはさまざまな葛藤を乗り越えて、ブルーが「僕の心の曲だ(あの曲には僕の心がこめられている)」と音楽への敬意と愛情をこめて発言しているのは、とても心を打たれる場面でした。
もうひとつ、ここでバリーが「試行錯誤を繰り返して完璧なものを作り上げていく」という理想を語っていますが、ある意味、これはその後の数年間にビー・ジーズがとった方向性でもありました。おそらくバリーの頭の中には”理想の音”が鳴り響いていて、それを実現しようとしたのでしょうが、その作業によって失われたものもあったのではないかと思います。60年代末の5人組ビー・ジーズの快進撃の時代について、当時リードギターを担当していたヴィンス・メローニーは’spontaneous‘という言葉を使って説明していました。”彼らがハモれば、コリンがそれに合わせてドラムスを叩き、僕はギターをかき鳴らし”て、’spontaneous に(ごく自然に)’音楽が生れていったと。上記ドキュメンタリーの中では、その単語を’勢い’と訳した記憶があります。
そして70年代、80年代よりさらに録音技術が発達した現代になって、バリーはかえって’生の音’にたちかえって、ビー・ジーズの名曲に再挑戦したデュエット・アルバム”グリーンフィールズ ザ・ギブ・ブラザーズ・ソングブック”を発表しているのも、とても興味深く思われます。
それからもうひとつ、ここで話題になっているキャロル・キングの曲”Will You Still Love Me Tomorrow”をビー・ジーズはキングのトリビュート・アルバム”Tapestry Revisited:Tribute to Carole King”に参加して歌っています。果たして彼らはそのときに、Cのコードで歌ったのでしょうか。(当方にはコードを聞き分けるほどの耳がないので、誰か教えてくださーい)⇒ こちらのビデオもどうぞ。
次回(その4)でいよいよ最終回になります。
(Thanks: Yamachan)
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