【ワシントン・ポスト紙 2021年2月】バリー・ギブ、少年時代の音楽的影響について語る

 

バリーがワシントン・ポスト紙の「アーツ・アンド・エンターテインメント」コラム(オンライン版2021年2月20日付)に登場、アーティストとして、人間として、まさに形成期にあたったオーストラリアでの少年時代に受けた音楽的影響などについて、インスタグラム上でライヴQ&Aを実施しました。この模様はこちらのリンクで動画として観ることができます。

以下に内容をざっとまとめてご紹介します。

聴き手はワシントン・ポスト紙の全米アート・レポーターのGeoff Edgers

まず、ディスコに対する一部での風あたりの強さが話題になり、バリーの答えは…。

バリー あれは僕にとっては楽しい時代でしたから、ケチをつける人の気持ちはよくわかりません。僕たちが6 曲連続ナンバーワンを達成したり、ビートルズの記録に並んだりしたことは、心から誇りに思っていますから、何を言われても気にはしていませんね。数字がすべてが語っていると思います。みんなが好きになってくれたからこそナンバーワンになれたのだと思いますからね。

ジェフ 僕はポップスの評論家でも専門家でもありませんが、ビー・ジーズは他のアーティストと違う、と感じます。ビートルズがいて、ザ・フーがいて、キンクスがいて……だけどビー・ジーズだけはどこか違っていた、と思うのですが、どうでしょう?

バリー おっしゃる通りだと思いますよ。僕たちは他のグループとはぜんぜん違う育ち方をしたせいでしょう。僕たちは家族でオーストラリアに移住しました。それってつまり、アメリカやイギリスで育った人たちとは違う経験をしたということなんです。オーストラリアにはオーストラリア独自の音楽業界があり、僕たちはそこから影響を受けました。大半がオーストラリア以外では無名の人たちでしたが、素晴らしい才能の持ち主もいました。でもオーストラリアは隔絶した世界でしたから、みんなその中で満足していたんですね。そうしたアーティストたちから僕たちは大いに刺激を受けました。いまだに大好きなのは、コール・ジョイです。彼のおかげで僕たちの最初のレコード契約が実現したんですよ。大スターです。それからビリー・ソープ。コール・ジョイよりちょっと後に出てきて、みんなを驚愕させました。マイケル・ジャクソンみたいな存在でした。

ジェフ ぜんぜん知識がないのですが、どんなサウンドだったのですか?

バリー 僕にはビリー・ソープの真似はできませんけど、ビリー・ソープを聴いたら、僕に似ている部分がいろいろと耳につくと思います。僕は彼から大きな影響を受けていますから。

オーストラリア時代の初期にはカントリー音楽しかありませんでした。アーティストとしてはロイ・オービソンとかです。もっとも彼は実際にはロック・スターだったわけですが。それにジョニー・キャッシュなどは、純粋なカントリーとして愛されていました。

ジェフ カントリー歌手というと、どんな人たちでしたか?

バリー 一番初期には、ロイ・オービソン、ジョージ・ジョーンズ、ザ・リトルマン・ブラザーズ、スタンリー・ブラザーズ、ビル・モンロー等でしょうか。こうした音楽の源流は移民の音楽だと思います。スコットランドやアイルランドからの移民がアメリカに独自の楽器や音楽をもたらしたのです。それがブルーグラスの起源です。あるいはマウンテン・ミュージックというのでしょうか、僕はそうした進化の歴史に関心があります。一連の変化がブルーグラス音楽になっていったわけです。ある人がブルーグラスの起源を話してくれたことがあります。ブルーグラスってケンタッキーで馬が放牧されていた場所なんだそうです。馬は青い草(ブルーグラス)を食べていたので、それがブルーグラスという言葉の起こりだそうですよ。そんなこと知らなかったんですが、そういった歴史があるんですね。個人的にはこのカテゴリーに関係したことはありませんでした。僕は自分が好きでさえあれば、どんなカテゴリーであっても気にしないんです。心を動かされるかどうか、それにつきます。パヴァロッティだろうと、カレーラスだろうと、プラシド・ドミンゴだろうと、あるいはビートルズだろうと、エルビス・プレスリーだろうと、感動を誘うものでさえあれば、カテゴリーは問題ではありません

ここでまたディスコという言葉に戻ります。僕たちは「ディスコ」という言葉を意識してはいませんでした。「ディスコ」という言葉の方が後になって出てきたんです。で、僕たちとしては、「へえ~、こういう音楽ってディスコっていうんだ~」っていう感じでした。僕たちは自分たちが楽しめる音楽を作っていた。そこに結果がついてきた。カテゴリーは問題ではありません。

バリーは以前からマウンテン・ミュージックへの興味を語ってきましたが、それはオーストラリア時代にさかのぼる、少年ビー・ジーズの創成期にかかわった貴重な音楽体験に根差していることが、このインタビューからもよくわかります。だけど、最初に「ディスコ批判について」というところからこのインタビューが始まったのはどうなんだろう、と聞いていてちょっと思ってしまいました。それだけでバリーが心をいくらか閉ざして、最後にやや自己弁護するような調子になってしまった感があるのは、残念ではあります。もうひとつ、ビリー・ソープの名前が出たときに、彼のバンドのアズテックスにヴィンス・メローニーが在籍していた話が出なかったのはちょっと残念?

{Bee Gees Days}

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