【1968年5月】バリー・ギブが表紙の英国ティーン誌”Fabulous 208”

英国のティーン雑誌『Fabulous 208』の1968年5月4日号の表紙はバリーでした。当時、5人組ビー・ジーズのメンバーのそれぞれがこの雑誌の表紙や裏表紙やセンターフォールド(真ん中の2ページ続きのカラー)に単独で登場していますから、帰英後60年代末のビー・ジーズがいかに人気を誇っていたかがわかります。

タイミング的には、ザ・ビートルズが大人のバンドに向けて脱皮をはかり、アイドルっぽい外見を離れていったために、”少女たちのお気に入り”としてその後釜の位置にうまくはまったという面があったかと思います。この時代のビー・ジーズのアイドルとしての人気のすさまじさは、日本には伝わりきっていなかったかもしれません。

また、この号では、バリーが連載中だった「パーソナル・コラム」が一時途切れた後に復活しているほか、「ビー・ジーズのファクト・チェック」(下の写真)が2ページにわたって掲載されています。

このファクト・チェックはすでに「ロビンとモーリスの回」と「バリー、ヴィンス、コリンの回」の2回に分けてご紹介したのですが、ふと気づいたらそれも6年前のことでした(汗)。

内容的に、現時点で改めて見ると面白いのは、この号にはハードの記事が掲載されており、当時”68年の顔”とかいわれていたピーター・フランプトンが「自分が人気があるとしたら、18歳と若いのでグループの中でもファンが親しみを感じやすいからかもしれない」と発言したりしています。約10年後、ビー・ジーズもフランプトンも全米を制覇し、一緒に映画を作ることになるとは、このころは想像していなかったことでしょうね。

そのほか、デニス・ブライオンブルー・ウィーヴァ―が在籍していたエーメン・コーナーでフロントマン的人気を誇っていたアンディ・フェアウェザー・ロウの記事も掲載されています。以前にも書いたと思いますが、デニスが書いた自伝『You Should Be Dancing: My Life with the Bee Gees』の前書きはこのフェアウェザー・ロウが書いて、あいかわらず人気が高いことを示しています。(外見はずいぶん変わっていたので、最近の姿を見たときは、私は最初は彼と気づけませんでしたがーーまあ、50年以上経っていますから、ファンではなくてフォローしていない人にとってはビー・ジーズのメンバーも「変わっていて誰だかわからなかった」という感じなのかもしれませんね…)

そのほか、後にロビンが曲を捧げた当時の人気DJアラン・フリーマンが、好きなものは「フランスのワインと(作曲家の)ラヴェルとスペアリブ(中華)、自由に生きる人たち、ロサンジェルス」だと発言したりしています。

ツアーが忙しくて一時中断してしまったというバリーのコラムについても近くご紹介しようと思います。

{Bee Gees Days}

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